第114話 ※似合わない三つ編み
ジョアンナの記憶は、しばらくの間曖昧になってしまった。多分、口答えをやめてドクターが導くままに移動したのだろうということはわかる。
見覚えのない場所。見慣れない施設と設備。見るに堪えない別世界のような惨劇。それらに囲まれながら、ふと気が付くとジョアンナは呆然と立っていた。
「初対面からずーっと思ってたよ。あの三つ編み眼鏡、似合ってないなって」
ドクターの声が遠くに聞こえる。
物理的に遠いわけではない。むしろすぐ傍にいる。遠くに聞こえるのは、平静さを失っているからだ。何もかも別のことに神経が行ってしまっているからだ。
「五香ちゃんはもうちょっと短い髪の方が似合うなって、多分本人もそう思ってるんじゃないかな。運動神経が良いわけじゃないけど行動力があって、どこにでも行く。何にでも首を突っ込む。髪の手入れの時間をもっと他の何かに費やしたい、みたいなタイプ」
「何を……言いたいの?」
「今から考えると、みたいな話だよ」
ドクターは携帯を弄り、画面をジョアンナに向かって突き付ける。
「この国だと結構な大事件だったみたいだね。大規模連続少女失踪事件って題で記事にもなってる。キミはこの国に住んで長いんだよね? もしかして知ってる?」
奇妙な事件だった、という感想を抱いたことだけを覚えているが、日本にはそれ以外にも大事件などいくらでもある。長く生きていればいるほど、大惨事などありふれているものだ。
自分が関わっていないものなのだから、その程度の認識だった。ずっと他人事でいたかった。
「私が知っているのは……いえ、覚えているのはテレビで連日報道されてた部分だけよ。東京在住の眼鏡の女の子、または三つ編みの女の子が中心にどこかに消えてしまう平成の神隠し。そんな騒ぎ方だったわ」
「大規模って言うくらいだからさ、結構な数が消えてたみたいなんだよね。記録上は三十人ジャスト。で、全員今も捜索中なんだけどさ。この事件はその失踪者の数だけじゃなくて、もっと別の要因で有名になったみたい」
「……明智家の御令嬢も巻き込まれたからでしょ。今思い出したわ」
そう。ジョアンナもぼんやりとそのニュースを見ていた。明智家と関わることなど最近になるまでずっと無かったものだから、思い出す必要すら無かった。
特に不思議ではない。人間は日々を、趣味や仕事などの手の届く範囲のトピックで埋め尽くして生きている。
当たり前だ。当たり前のことなのに、何故かジョアンナの心が痛い。
「名前は
「ねえ」
ジョアンナは堪らず口を挟んだ。動揺を隠せず、声が震える。
「目の前にいるのに、写真なんか見る必要ある?」
ゼロイドの原材料は人間の死体だ。一体どんな設計思想でそんな真似をしているのか、知らない上に知りたくもないが、とにかくこれは紛れもない現実だ。
なので、このビルには夥しい量の死体がストックされていた。部屋の奥の方にはカプセル状の透明な棺桶がズラリと横並びになっていて、その中でもある一定の基準を超えたらしきものは、足元のプレートに名前と経歴が箇条書きにされていた。
『明智十色
・十代中盤
・明智家御令嬢
・頭脳は極めて優秀なため、ゼロイド化の際にはここを活かせる設計を』
棺の中には、五香の姉らしき人間が眠っている。青白い顔で、傷は無いものの一目で死んでいるとわかる状態で。服は着ておらず、透明なのですべて見える。
もう怒りと悲しみが渦巻きすぎて、自分がどんな顔をしてこのプレートを見ているのか、ジョアンナにはわからなかった。
「この書き方だと……あのゼロイドって生前の技能をある程度、ひょっとしたら百パーセント発揮できるのかもしれないね。化生山吹の例を考えると、一定の方向性でいいのならそれ以上のスペックも期待できるかも」
「裏切」
「……あ、ごめん。話が逸れちゃったな。キミと五香ちゃんに関係ある話に戻ろうか。この事件が誘拐事件ではなく失踪事件と言われている所以なんだけどさ、誘拐事件なら当然あるべきの身代金要求どころか、死体の発見すらも完全になかったらしいんだよね」
ここから先はジョアンナも知らない情報だ。ひょっとしたら聞いていたかもしれないが、興味が無かったので覚えてないのかもしれない。
「三十人いる少女には三つ編み、または眼鏡、あるいは両方っていう明確な共通点があった。人格のある誰かが極めて恣意的にこのグループを狙い撃ちにしたのは明らかだ。委員長タイプの見た目の女の子だけが神隠しで消えるなんて馬鹿げてるよね?」
「五香が……三つ編みと眼鏡だったのは」
「一種の囮捜査だった……なら可愛げがないなぁ。ありえそうだけど。単純に、姉にどんな手を使っても会いたかったというところかな。まあ無駄だったろうけどね」
「どういうこと?」
「日本にいるキミの方が詳しそうなものだけどねぇ。この事件は未解決だ。そこは間違いない。でも同時に既に起こらなくなった事件でもあるんだよ。三十人目が消えたタイミングからパッタリと。平成の神隠しという異名があるこの事件は、つまり令和元年以降は起こってないという意味なんだ」
それはそうだ。流石に当事者意識の薄いジョアンナと言えど、現在まで続いているような事件であれば今まで忘れているはずがない。
「無駄な理由はもう一つ。未解決事件なんだ、これ」
「……?」
「あ、わかりにくかった? じゃあ言い直そう。明智家の御令嬢が巻き込まれたということは、当然明智家の人間は総出でこの事件を解決しにかかったはずなんだ。にも関わらず、未解決」
「ッ!」
あまりにも丁寧な解説だった。
それは明確な絶望の壁だった。
「どんな気分だったんだろうね。探偵一家としてはさ」
「……五香は……諦めてないんでしょうね」
あの三つ編みと眼鏡をやめていないということは、そうなのだろう。自らの身を投げ出す究極の囮捜査を今の今までずっと続けていたのだから。
「ま、甲斐はあったんじゃない? 生死どうあれ、見つかりはしたんだからさ」
「……ふざけないで! そんなわけないでしょう!」
終始徹底して他人事のように説明するドクターに、ついにジョアンナは怒鳴りつけてしまった。
筋違いな怒りなことは自覚できている。ただ単に、感情が抑えきれなくなっただけだ。
「こんな
「……まだバッドニュースは続くかもよ。怒鳴ったり泣いたりするのはもうちょっと後にしてくれない?」
「え」
「あのさぁ。ウチらも一応誘拐事件の被害者なんだけどさぁ……その事件の渦中に巻き込まれた末に、未解決事件のかなりデカい証拠をたまたま見つけてしまうなんて偶然あると思う?」
「は……?」
ない、とは言い切れない。だが確かに話が出来過ぎている。しかもその誘拐事件の被害者には、他ならぬ五香も巻き込まれている。
「偶然じゃないなら、何なの?」
「ここから先は、ひょっとしたらウチらにもちょっと関係ある話になるかもね。トピックはもう一つあるんだよ」
また携帯を弄り、ドクターは僅かに顔を曇らせながら言った。
「リバースシフトって名前が付けられた都市伝説なんだけど、知ってる?」
「知らないわよ。そういうの興味ないし」
「人格の入れ替わりに関する都市伝説だって言っても?」
「
かつて起こった忌まわしい体験が、ジョアンナの頭をもたげる。
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