第112話 ※大脱出の真相

 メルトアがあからさまに警戒を解いた理由は簡単だった。近付いてくるその気配が味方のものだったからだ。


 その味方に激突された五香の脳裏では一瞬で、ある仮説が導き出されていた。

 結果だけ言えばその仮説は正解だった。内容は『ドクターの身に何が起こったか』だ。


(そう……かァ! 入口が歌舞伎町にある以上、予想はついていたことだけど。やっぱり出口は歌舞伎町に繋がってた!)


 かつて五香は自分で言っていた。


 ――まあその気になりゃ、自分でエレベーターのスイッチ押して自分で外出れるだけの知能はあるけどよォ。


 五香の味方は。拠点に置き去りにしたペットが一匹いた。


 毛並みは灰色。日本には絶対に存在しない大型の狼。名付け親は五香。

 その獣は敵意ゼロの眼光で五香を舐め回す。


「まさかこんなところで会うとはなァ! よく来てくれたぜ、コバヤシ!」

「あおんっ!」


 コバヤシは主人に向かって元気よく応えた。


◆◆◆


「ビックリしたよね。五香ちゃんのコバヤシがウチを助けに来てくれたときにはさ」


 ドクターは自分の身の上を語り聞かせる。

 メルトアを庇って強制退去装置で外の世界に飛ばされたところまでは説明が済んで、今彼女が語っているのはその後の話だった。


「エサを探しにたまたま外に出てたのか、それとも動物的な勘かそれ以外の異能か。それは判別付かないけど、ウチが棺桶か掃除用具入れレベルの閉所に密封されているところに現れてさ。周囲でヒソヒソ話していた敵側の勢力をあっと言う間に制圧して拘束を解除してくれたんだよね」


 ぐちゅ、とドクターの身体の下で水っぽい音がする。

 ドクターが下敷きにしているのは、治療しているジョアンナだった。服はすべて脱がされて、されるがままになっている。


 ドクターもまた一糸纏わぬ姿。全身を一気に治療する場合は肌感覚すべてで触診する、とジョアンナは聞かされていた。胡散臭いが痛みはみるみる内に消えて行くので、効果そのものはもう疑っていない。


 それはさておいて怪我とはまったく別の意味で最悪の気分だったが。


「本当に冗談みたいな話だよ。ウチは自分の人生を投げ出したつもりでメルトアに教えたんだ。『同情する相手は選べ』とか『綺麗ごとだけじゃ世の中やっていけない』とかさ。でもウチを助けたのは五香ちゃんの同情した相手で、綺麗ごと並べ立てて救ったあの犬だ。勘弁してほしいよね? 自分の主張を完全否定された気分だよ」

「……まさかとは思うけど、その八つ当たりを私にしていないでしょうね?」

「ん? あはは! いやそれは逆に考えてなかったなぁ!」

「うぐっ……!」


 明らかに手付きが乱暴になり、ジョアンナ自身にも正確にどこか判らない部分に痛みが走る。ぼんやりと下腹部のような気はするが。


「悪くはないかもね。この光景を録画して五香ちゃんに送ったら、あの子どんな顔してくれるかなぁ? 泣いちゃうかな? 流石に泣いちゃうかなー?」

「あくまでも治療行為なのよね?」

「四分の一くらいはキミの尊厳を凌辱するためだけにやってるけど」

「……あとで万回殺す」

「負け惜しみに興味ないから話続けるね。大騒ぎする周囲の人を押し退けながらウチはコバヤシに乗って、そのまま歌舞伎町三丁目に戻ってきた。解放された以上、ピンチになっているかもしれないキミらを放置する選択肢はなかったし」


 精神回路がまともなのか狂っているのかわからない判断力だった。ジョアンナとは定義が違うだろうが、仲間意識のようなものは一応この女にもあるらしい。


「あの犬、やたら頭はいいらしいね。三丁目に入った後は説明なしでこのビルに一直線に来たかと思えば、ウチと別行動を始めてさ。多分、五香ちゃんのところに向かったんじゃないかな」

「あのビームの柵は……まあ、自力で壊せるでしょうね」

「その必要すら無かったかもね。途中まではビルの外壁に爪立てて昇ってたし」

怪物バケモンじゃない」

「大本を辿れば、そもそもウチを助けたのはウチに『五香ちゃんの血の臭い』がべったり付いてたからだろうし。ここまでこれたらもう迷いようがないね」


 そうこうしている内に、治療は最終段階に入ったようだ。

 身体中、外部や内部を問わずに張り巡らされた触手がジョアンナの身体中を這い回る。


「……筋も血管も内臓もリンパも神経も異常は……ない。ないな。骨も……うん大丈夫。元通りに動けるね」


 ずるりずぶりと身体中に挿入された見えないスライムが引き上げて行く。ドクター自身もジョアンナの身体の上からどいて、疲れをほぐすように伸びをした。


「さて。それじゃあ調子を確かめてくれる? どう?」


 ジョアンナは起き上がり、身体の調子をゆっくりと確かめながら立った。

 二本足で立つ分には問題ない。バランス感覚にも乱れはないし、視界も完全にクリアになっている。


 肌は傷跡一つ残らず完治。五香はこの肌が好きそうだったので、それだけで十分ほっとする。


「驚いたわね。今わかる範囲では完全に治ってるわ。後の確認は今からするけど」

「ん? 後の確認?」


 了承を得られるはずがなかったのでジョアンナは右拳を振りぬいた。ドクターの顔面を破壊し、彼女の矮躯を吹き飛ばし、薄暗い部屋にドクターが転がる。


「痛っっったぁーーー!?」

「ふうー……確認終了。よくやったわねドクター。最高で最悪の気分よ」


 ジョアンナ、ドクター、共に完全復活。

 戦線復帰。

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