第111話 ※誰にも言えない物語
その女は憎らしくその場に立っていた。
何を考えているのかわからない笑顔を張り付け、どういうわけか脱いだはずのボーイッシュな服も着込み直し、まったくの無傷。
頭には
通称ドクター。自称裏切升代。
「待った?」
「……おっそい」
「うん! ちょうどいい感じかな! そんな憎まれ口まだ叩けるんならさ!」
「今までどこで何やってたのよ」
「……あー……ハハッ……」
憎まれ口を軽く流したドクターは、そこで不自然に空笑いした。理由はわからないが聞かれたくないらしい。
「後でいい? ある意味キミと無関係じゃないしさ……」
「治療」
「それも後。ま、加護を使ったりしない限り突然死する心配も低いでしょ。脳に損傷イッてたら使った反動でマジ死にかねないから気を付けてね」
知っているし、言われるまでもなかった。
そんな会話をしている最中、ついにコクリカが爆発の射程の外へ脱出できたらしい。
猫型爆弾が一斉にドクターへ襲い掛かってくる。
爆弾の理想形は『対象者が自ら近付いてくる爆弾』、もしくは『撃墜か解除のいずれかないしどちらも不可能な爆弾』だ。その点、完全に子猫にしか見えない爆弾はそれらを完全に満たしている。
まともな神経をしていれば破壊できない。
「え? トロくない?」
だがドクターは涼し気な顔で、周囲に群がった猫型爆弾をすべて一刀両断した。
罪悪感も一切なく。そもそもこの爆弾の設計思想自体理解できていない様子で。
ジョアンナは特に驚かなかった。この女の精神はとっくに常軌を逸している。
「じゃ、アレもそろそろ止めようか。明らかに死にかけだし? しかも
相変わらず不可視の爪を振りかざし、無邪気に駆け出すドクター。完全に背後を取って、しかも相手は瀕死。殺す気が無い(はず)とは言え背筋がゾッとするほど完璧なバックアタック。
そのはずだったのに。
「ぶびゃべぶっ!?」
裏拳を顔面へモロに食らい、ドクターは壁に思い切り叩き付けられ
どうしたのか、とジョアンナが思っているとドクターは振り返り、こう訊ねた。
「コイツ殺していい?」
「いい要素ないわよね!?」
脳の損傷が更に悪化したかと思った。頭が余計に痛くなる。
しかしドクターの顔色を見るに、冗談ではないらしい。
「いやホント真面目に殺した方がいいよ。絶対」
「……根拠は?」
「経験則。こういう気配を纏ったヤツは殺しておかないと後々もっと厄介になる。具体的にはそう、死ぬより怖いことを知っているヤツ……みたいな?」
「何それ?」
「とにかくコイツ、殺さないと多分止まらないし。生半可な攻撃しても反撃されるし。気絶とかも……何故か気力充実してて望み薄だし」
「おバカ。五香の作戦だとコイツがいないと……」
「ウチらにだって思考と現状認識くらいできるよ。作戦を失敗させても正直惜しくないと思う」
殺すという過激な選択肢を提案している割に、ドクターの言は妙に消極的で慎重だった。
ジョアンナは考える。
ドクターの手札では、コクリカを殺す以外の方法で止めることは困難らしい。ジョアンナ自身もそんな判断を下すドクターのことを信用しきれないので全部任せるのは心理的に無理だ。
そうなると効率はあまりにも悪いが、取れる手段はたった一つとなる。
「……アンタ、私のこの傷を全部塞ぐのどれくらいかかる?」
「アグレッシブに動けば傷口開いて死ぬけど安静にしていればその内何事もなく完治する
「……滅茶苦茶イヤだけど後者ね」
「え? 嘘。別にそこまで怪我したんなら普通に脱落でも誰も責めないんじゃない? 休んどけば?」
「私を
道はもう一つしかない。
この悪魔に頼りに頼って、自分自身の手でコクリカを拘束する。今度こそ絶対にヘマをしないよう細心の注意を払って。
「治療でさえ業腹なのに、アンタなんかにコクリカの拘束を任せられないわ。それに……!」
「それに?」
「……五香に大怪我したなんて知られたくないのよ」
「……ぷふっ」
そっちの方が本音なのでは? と口に出して言われたら能力無しで狙撃してやるつもりだったが、流石にそこまで無粋ではなかった。
イラつくニヤニヤ笑いを携えて、ドクターはコクリカから目線を外し、完全に見逃す。
ジョアンナの傍らに座り、顔と顔をズイと近付けた。
「いいね! やってあげるよ! 報酬に何を約束してくれる!?」
「……さっき結構直で四麻に『誰か売りたい犯罪者いないか』って言われたのだけど。あなたのことを売らないであげるわ」
「ちょっと安いけどそれでいいよ! 普段は絶対にマケないんだけど……今回だけは仕方ない!」
含みのある言い方だが交渉は成立した。
笑みを浮かべているドクターの顔の影が更に濃くなる。
「クッククククク……! マジで覚悟してね。ウチのこの治療は、誰にも言えないくらい過激だから……!」
そしてドクターはジョアンナの身体をあますことなく弄り始める。
(……天井のシミ、数えておきましょうか)
極力現状の認識を遮断しながら、ジョアンナはこのときのことを生涯誰にも話さないと心に誓った。
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