第109話 死のメッセージD

 一発ヒットすれば一気に戦況が傾くハードパンチャーとあえて格闘する場合の注意点は、根本的で大きな物だと三つある。

 まず回避をしくじらないこと。次に防御をしくじらないこと。そして残りの体力のペース配分を誤らないこと。


 ジョアンナにとっては三つ目が最も難易度が高い。何しろ相手の攻撃を一発でも食らえばアウトなのだから、その緊張感と恐怖は筋肉を固め、精神を削り、パフォーマンスを一気に劣悪にする。


 当たれば痛いでは済まされない。いかに相手が素人であろうと筋力だけは災害的なのだから。


(早く倒れて……早く倒れて……!)


 インファイトで非殺傷を目的とするならば銃やナイフは大袈裟すぎる。だが素手で相手を制圧するような技能も無いので、ジョアンナは右手にナックルダスターを装備していた。左手を空けているのは、不測の事態に対応できるように用心してのことだ。


 隙は徹底的に排除している。負ける可能性はせいぜい二割程度。

 その二割の恐怖で既に疲労困憊だった。


(冗談じゃないわ。コイツ、結構頑丈だし! 反撃はやっぱり大砲みたく高威力だし!)


 なおジョアンナの近距離における戦闘スタイルはチンピラじみた喧嘩殺法。筋力的に優位に立てる場合ならば見様見真似のプロレス技や柔道技を使ったりするが、今回はそうではないのでひたすら打撃中心でコクリカを叩きのめしていた。


 いつかは倒れるはずだ。ジョアンナは一撃たりともコクリカの攻撃を受けておらず、その代わりにジョアンナの攻撃はすべて当たっている。

 コクリカは攻撃を受けるたびに普通に流血しているし、動きに精彩らしい精彩も無くなってきた。


(あと少し……あと少しで終わる……でも……!)


 だからジョアンナはそこで一度攻撃を止め、お互いの攻撃が届かず、なおかつ爆弾の被害から逃れきれない距離を取った。

 少しでも休みたかったが故の選択。あまりの恐怖にずっと呼吸が苦しかったジョアンナは、そのときやっと息継ぎができた気分だった。


「……い……いい加減におねんねしてなさいよ……! その間に鎖か何かでグルグル巻きにしておいてあげるから」

「そ、その間にコクリカに乱暴する気なんでしょ! エロ同人的な! エロ同人的な!」

「するかッ! アンタんところの糞豚森精種ファッ●ンエルフじゃあるまいし!」

「きっと回転寿司みたいに輪姦マワされて一晩で娼婦みたくこなれちゃう的な……あれ?」


 と、そこでコクリカは気付いた。

 やっと冷静になったので、ジョアンナの周囲の状況も不自然だということに遅れて勘付いた。


「あれ……増援とかいない。単独的な?」

「……!」


 イヤな予感がした。

 明確に答えを得たわけではないだろうが、この場合疑問を持たれた時点でアウトなのではないかと。


「……そういえばアメキリからの連絡ない……負けた? なら尚更増援がないのは変だよね。もしも手分けしてこのビルで何かを探しているとするなら……」

(あ、れ? ちょっと待って。何か……)


 予感が確信へと変わるのに時間はかからなかった。


(やばい! 呼吸を置かせるべきじゃなかった!)


 恐怖と疲労を噛み潰し、コクリカとの距離を再度詰める。

 ジョアンナは知っていた。狩人として戦った過去において、首の裏を何かが掠めたようなチリチリとした感覚には覚えがあった。


 追い詰められた敵が覚醒した感覚。

 戦っている最中に敵が一気に強くなる最悪の展開。思案を終え、顔を上げたコクリカと眼が合う。


「ごめんね。急いで帰りたいから殺すよ」


 覚悟が決まった戦士の眼光。さっきまでは八割あった勝率が一気に目減りしていく。


(完全に流れを取られる前に確実に仕留めないと……!)


 右腕を振り被り、渾身の力で振り抜く寸前。ジョアンナはありえない物を見た。


(は?)


 猫がいた。散々ジョアンナを苦しめた撃墜不可能、自動追尾機能付きの子猫型爆弾が。

 コクリカとジョアンナの間に。


「え?」


 防御が間に合うはずがない。さっきまで臆病な獲物でしかなかったコクリカから繰り出されるのはありえない攻撃だ。


 閃光も衝撃もすべてが一瞬。


 ジョアンナもコクリカもそれぞれ真後ろに吹き飛んだ。


 床に叩き付けられ、夥しい血を撒き散らしながら周辺を赤く汚していく。


「……ぎっ……あああああああああああっ!?」


 叫ぶだけの元気が残っていることを、とてもではないがジョアンナは喜べなかった。

 右腕が上がらない。鎖骨のあたりに重大な損傷が入ったようだ。


 痛みのあまり身をよじって縮こまると、ふと左手が意図せず腹のあたりに触れた。

 腐った果実を触ったかのような不気味な抵抗感の無さと、更なる激痛がもたらされる。


(え。何これ。何されたの? 何が起こったの!? も、もしかして私、死ぬ? こんなところで!?)


 錯乱。思考が纏まらない。悲鳴も止まらない。今まで蓋をしてきた分、恐怖も既に制御不能。

 現実に、ただちに治療が行われない場合ジョアンナは死ぬだろう。それほどの負傷だったし、ジョアンナ自身もそれを正しく認識していた。


「治療をしない場合の余命は三十分くらい的な……?」

「ああ、あああああ……!?」


 爆音でバカになった耳ではコクリカの声も遥か遠くに聞こえる。

 掠れた声だった。ジョアンナを自爆同然の手段で吹き飛ばしたので、当然ながら彼女も無事では済まなかったらしい。


 ジョアンナの方を向いていないので、今の余命はあくまでコクリカ自身のものだろう。彼女はジョアンナと違い、二本足で立っていた。

 夥しい量の血液を床に落としながら、今にも死にそうな状態なのは変わらないが。


「まあ……十分か。コクリカのホームだし、ここ。


 ジョアンナにはない。地の利がないから探しても見つけられないだろうし、万が一見つけたとしてもジョアンナには医学知識がないので手段を適切に生かせない。

 頼みの綱のドクターも、何故か一向に現れない。


(……あら? これってもしかして)


 死亡確定。その四文字がジョアンナの脳に浮かび上がった。

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