第108話 ※ドラゴナイズマンレポート

「エラー。ヒューマンイズデッド。ミスマッチ」

「ゼリーマンズレポート?」

「大分古い作品なのによくわかったなァ。まあ要はここに書かれてるのも似たようなモンさァ。ガッツリしてる」


 唐突にエグい単語が出たので、精神的な受け身を取れなかった涼風は顔を顰めた。

 五香はそれを見た上で無神経に続ける。


「内容はざっくり言えば卵状態の竜に人間の脳味噌の中身挿入インストして乗っ取れないかなーって試みさァ」

「は? そんなの上手くいくわけ――」

「いくわけがない。同感さァ。でも最悪な事実として、この資料を読む限りでは滅茶苦茶いいセン行ってやがった」

「ハハハ、ナイスジョーク」

「ジョークじゃないってェ。ほら」

「見せるな。頭がおかしくなりそうだ」


 それでも一瞬見えてしまった記述で察してしまった。

 普通なら暗中を突き進むかのような途方もなく無駄で危険な実験でしかないはずなのに、五香の言う通り途中まで上手くいっている。


「冗談だろう!? 同じ人間ですら脳の入れ替えは不可能なのに!」

「本当に?」

「……何が言いたい?」

「倫理的に無理だからしかるべき施設がある場所では誰も試せない……って定義に限定しての話だろォ?」


 法と倫理を犠牲にすれば病院のような施設は使えなくなる。こういった実験は大量の資金と時間と、当然ながらできるだけ人間と規格が似ている実験動物モルモット、そして国家レベルでの許可が不可欠だ。


 用意できるはずがない。ただし、歌舞伎町三丁目のような異常なロケーションならあるいは。

 五香はそう言いたかったのだろう。


「あのな。仮にモルモットやラットでも脳の入れ替えは現状不可能なんだよ。ちょっとスケールアップした人間なら更に無理だ。施設や資金や許可のすべてが揃ったところで絶対に無理なんだよ。無理じゃなきゃいけないだろ……」

「私もそう思いたいが、この町に来てから私の眼にはありえない物ばかりが映ってるんだ。今更脳の入れ替えなんて何のそのって感覚なんだよなァ」


 実はありえない物が眼に付くようになったのは三丁目に来る前からなのだが。そこを五香は語れない。


「続けるぜェ。結局のところ、結論だけで言えば『脳の入れ替え乗っ取り自体は上手くいくがその先でどうしても無理が出る』ってところで落ち着いたみたいだなァ。ドラゴンの中身に入った人が一歩歩こうとしただけで足が自重で崩れたり、急に体の内側から異物が突き出して蜂の巣になったり、酷いところでは周囲約一.二キロメートル近く消し飛ばす自爆であっと言う間に死亡したらしい。当然本人の意思じゃない。人間の脳味噌じゃドラゴンの身体をまともに操れなかったんだ」

「能力の暴発……ってところか」

「で。この実験そのものは普通に無理! ってことで凍結はされたんだけど……私が気になってるのはこの研究資料の後ろの方に手書きされてる一言の方さァ」

「ん?」


 五香がファイルのかなり後ろの方までページをめくり、ある一点を涼風に指し示した。

 ボールペンの殴り書きでこう記されている。


『逆なら行けるかも?』


「逆?」

「まだわからないけど、多分この実験は手を変えて進行中……ひょっとしたら完成したかもしれない。でも涼風さんが持ってきた資料の中にそれっぽい資料はない」

「持ってこようか?」

「いや。多分真相は見えてる。後はそれを確かめるだけだから別にいい。いいんだけど……」

「ん? 歯切れが悪くなったな? どうかしたか?」

「……いや……流石にこの推理は外れててほしいなって思っただけさァ」


 ファイルを無造作に放り投げ、五香はまたパノライラの方へと目を向ける。


「何だよ。言えよ。気になるだろう?」

「……なあ涼風さん。この家に臭気センサーとか、サーモグラフィー……X線撮影の設備とか無いかなァ」

「え? いや、無いと思うが……見なかったし居住区画にあるようなものじゃないだろう?」

「となるとジョーが来るのを待つしかないかァ……? あんまり敵地で動きたくないしなァ。子供も抱えてるし……」

「……んん?」


 要領を得ない。果たして五香は何に気付いたのだろうか。涼風にはまったく見当も付かなかった。


「仕方ない。あまりやりたくないけど、メル公にアイツを持ち運びさせてこっちからジョーのところへ――」

「……あ?」


 突然声を上げたのはメルトアだった。

 優しい声と仕草で執拗にパノライラと仲良くなろうとしていた彼女は、ふと顔を上げて遠くを見たまま固まる。


 その仕草に、五香と涼風は言い知れない不吉さを感じた。


「どうしたメル公」

「いや……何かこっちに来るような感覚が……」


 何も聞こえない。そもそも、この部屋は防音なので聞こえるはずがない。

 メルトアが感じているのはそれとは別の、賢人種では感じることのできないもっと抽象的な何かだ。


「いや、間違いない。何かがこっちに来るぞ! 猛スピードだ!」

「な……んだとォ……!?」

「よくわからない! よくわからないが! ええと、誰だったか……!?」

「もっと他にわかることは!?」

「多分、凄く強い! とても無視しがたい存在感だ!」


 新手の敵だろうか。

 五香はその辺の棚を急いで押し、ドアの前に立てかけて即席のバリケードを作る。メルトアが強いと言った以上、無いよりはマシな気休めでしかないが。


 いざと言うときはメルトアに床を破壊してもらって逃げ道を無理やり作るしかないが、どこにどんなトラップや誰がいるかわからない状況では最後の手段だ。


「メル公! 確か最初のドアは溶接して張り付けたからちょっとやそっとの力じゃ開けられないよなァ?」

「流石に余くらいの力があれば簡単に破壊できるぞ!」


 つまりそっちも気休めだ。開けられること前提で考えた方がいい。

 そして、その予測は現実となった。


 子供部屋のドアの向こう。最初にメルトアが破壊したドアが破られる轟音が響く。


「五香お姉! 涼風! 余の後ろに……?」


 メルトアが急いで前に出ようと身を乗り出そうとする。

 いや、したのだが。


(……え? あれ? メル公、何で急に止まっ――)


 メルトアは警戒態勢に入ろうとしたところで、また何かに気付いたのか、そこで行動を止めてしまった。


「メルこ……!」


 身の危険を感じた五香と涼風はドアから離れ、自分からメルトアの後ろへ隠れようと走り出す。


 その動きは、侵入者にとっては緩慢に過ぎるものだったが。

 ドアが乱暴に破られ、侵入者の巨大な影がドアの枠すら破壊しながら部屋に侵入。


 狙いは――


「――がはっ……!?」


 一直線で迷いもなく。五香だった。

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