第107話 ディザスターブレイン
五香の知識はかなり偏っている。家柄の都合、目の硝子体の濁りや体温から大雑把な死亡推定時刻を割り出す方法やら、密室トリックの作り方やらはイヤという程に叩き込まれているが、学力そのものは一般的な同世代の学生の中でも極めて優秀というレベルに留まっている。
特に工学系の知識は専門ではなく、そういう話に触れるときは必ず専門家に指導を受ける。
今回の場合、隣に涼風がいたことが功を奏した。彼女はこういう話に強かったからだ。
「ここに書いてあるBMIっていうのは文脈から察するにブレインマシンインターフェースのことだな。そっくり文字通り『脳で動かせる機械』のことだ」
「ふーん。こっちの下の方にある計算式と回路図は?」
「誰かの脳波を電気信号に変換して、それがどのように機械を動かすかの計算だろうな。実際に動かさないとわからないことは多いから、ここに書かれている限りではあくまで机上の計算だけど……」
「何か引っかかるのかァ?」
「人間……ああ、
「ちなみに『動かす機械』がどんなものなのかはわかるかァ?」
「これだけだと何とも……まだ実験段階の記録だからミニカーレベルで単純な機械かもしれないな。複雑なものにするのはもっと後で……」
このときの涼風は思っていた。
流石に女子高生。いかに明智家の人間であろうとわからないことはわからない。人並みに人に教えを乞う姿を見てちょっと安心したな、と。
異常に飲み込みが速いのが気になるが。
(まあいいか。しばらくは平和そうだし、急かしても仕方がない。このままゆっくり教えていこうか)
「この資料破いて床にバラ撒いていいかァ?」
「何言ってんのお前?」
「ダメかァ。まあいい。半分くらいは真相わかったかもしれないしよォ」
「えっ」
――まだド基本しか教えてないが!?
そんなツッコミを入れるまでもなく、五香は資料を閉じて少し俯いた。
表情は深刻そのもの。とても嘘を言っているようには見えない。
「……ちょっとヤバいかもしれない。思ったよりも遥かに私たちに余裕はなかったみたいだなァ」
「どういうことだ? 私が教えた部分以外に何が書かれていた?」
「ちょっと私たちに馴染みのある技術が出て来たから『まさか』とは思ったんだけどよォ……ドラゴンって知ってるかァ?」
「向こうの世界の大災害のことだろ? 突発的に出て来る原因不明の激強生物」
「私も実際に見たことはないからそんなワヤワヤの理解なんだけど、どうもそれがこの歌舞伎町三丁目のどっかにいるらしいな。卵の状態で」
そう言われても涼風にはいまいち実感が湧かない。
内陸地の人間に津波の恐ろしさを説明してもピンと来ないのと同じで、始点世界の人間はドラゴンの脅威を正しく理解しにくいので。
「廊下にはりめぐらされたフェンスを兼ねた無線送電システムがどこに電力を送っているのか疑問だったんだけどよォ。あれ、どうやらその竜の卵を温める目的で使っているらしいなァ」
「え。じゃあつまり、時間が経てば……」
「向こうの世界にしかいないはずの災害が、こっちの世界で派手に暴れ回る……って理解でいいと思うぜェ」
日本は世界屈指の災害大国であり、地震、大雨、強風、火山の噴火などの脅威に散々晒されてきたため、それらに対してある程度の備えはある。だがドラゴンの災害は史上かつて経験したことがない。
人類は『歴史上初めて遭遇するもの』に対してとにかく弱いため、この事態は何が何でも避けるべきだろう。一体どれだけの被害が出るのか、五香にはもう想像すらできなかった。
ドラゴンが出現する前に知れたのは幸運だったと言っていいはずだが、逆に言えば状況はその点以外すべて最悪だった。
「あと涼風さんのアシストのお陰で、ドラゴンに関するもう一つの興味深い記述が見つかった。ブレインマシンインターフェースじゃない。正確にはブレイントゥブレインインターフェース……脳から脳へ干渉する仕組みだ」
「は? ブレイントゥブレイン? 何だそれ。他人を意のままに動かすってことか? マリーシャの言霊の加護みたいな」
「あれはあれで強力ではあったけど、
五香は自分の喉がまだつっかえないことを確認しながら、ゆっくり喋る。
「人と人の人格を入れ替える技術が既にあることを前提にした上で、それを使って色々と実験してたみたいだなァ」
「は? 何それ。誰の名は。だよ」
「いやマジで。冗談じゃなく」
「……ええ?」
涼風は五香の言っていることが嘘だとは思わなかったが、それでも半信半疑の様子だった。
対して、五香は心の中で確信する。
(これは……私たちが前に体験したリバースのデモンストレーションと同じ技術かァ……!)
段々と、点と点が繋がってきた。
五香は別の資料の入ったファイルを手に取り、中身を改めて確認する。
それはとある実験の記録。題名は『竜と人との人格交代実験』だ。
「それは?」
「なあ。もしも災害が人格を持ってて、そいつが悪意満載のクソ野郎だったら……って考えたことないかァ?」
「神話の話か? 現実にはあるわけないだろ」
「だよなァ」
「まあでももしもそんなことが現実にあったとするなら、それは」
続く言葉を、五香は予測できた。
「人間にとって最大最悪のホラーだよな」
聞くまでもなかった。
人にどうしようもないからこそ災害なのだから。
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