第105話 ※決戦の幕を開ける
このビルはずっと焦げ臭かった。
それだけではない。わけのわからない薬品の臭いも鼻を刺すようで、とにかく不快だった。
森精種以外の人間には小奇麗に見える廊下でも、ジョアンナにとってはスプラッター要素満載の汚らしくて不快で恐ろしい妖怪の胃袋に等しい。
最初はドクターの肉が派手に焼けた臭いかと思ったが違う。そもそもそれでは薬品の臭いに説明が付かない。
このビルは最初から何かがおかしかった。猫型爆弾をいなしながら進む内、その感覚は間違いではないと思い知る。
「……姿は見えないけど、様子がおかしくなってきたわね」
目に見えない場所からジョアンナを爆撃するコクリカの挙動が、ただ逃げるだけではなくなってきた。余裕が出てきたのか、動きに明確な意図が見える。
(規則性が出て来たわ。その一。私から離れ過ぎない。かと言って近づき過ぎない。一定の距離を保つ。
その二。あのレーザーの柵を避けて通る。最初の内は詳細不明だったけどすり抜けてたのに)
すり抜けに関しては特に疑問はない。ここは敵の牙城だ。センサーでコクリカを認識すると彼女だけを素通りにさせるようプログラミングでもされていたのかもしれない。その他にいくらでも可能性はある。
だが、だからこその違和感だ。コクリカだけが通れる柵を、どういうわけだかコクリカはパタリと利用しなくなった。
(何故?)
考え、すぐに思いつく原因は一つだけだった。ジョアンナの動きだ。
(……ひょっとして……私に壊されたくないから?)
コクリカだけが通れる柵を、ジョアンナは一々潰す必要がある。そしてコクリカは柵が壊れたときそれを察知可能で、今までジョアンナの道を阻んだ柵がどうなったのかに気付いたのだろう。
(そういえば最初はおびき出すつもりであの柵を壊したのだけど、アイツ、あの柵をわざわざ直してたわね。一体何のために? ただの趣味や技術の誇示以外の理由がもしあるのだとすれば……)
コクリカを追うのを中断し、レーザーの柵を片っ端から壊しまくれば相手からこちらに近付いてくるかもしれない。
(いや。でも……無理かしら? レーザーに気を取られている内に本当に私から逃げきるかもしれないし)
追う途中でレーザーの柵にぶつかる分にはむしろ壊さなければならないが、そうではない場所のレーザーを壊すとなるとそこそこの手間がかかる。
この機構は頑丈だ。時間もかかる。コクリカの現状の位置取りは絶妙で、その気になれば全力で逃げて屋上にまで撤退できるかもしれない。
屋上にヘリコプターでもあれば、もうジョアンナには追うことはできなくなる。
(……逃げられるかもしれない。でも寄ってくるかもしれない。ハイリスクハイリターンってところね。普通の賢いヤツなら無難な選択肢を選ぶわ。このまま追ってもおそらく追い付く。多くのダメージは入るでしょうけど追い付くことは絶対にできる)
だが、と自問する。
それは果たしてジョアンナらしい選択だろうか?
五香が大怪我を負ったと聞いたとき、ジョアンナは胸が張り裂けそうになった。一刻も早く五香の元へ馳せて、彼女の呼吸を確認したかった。
だがこのビルに辿り着き、ドクターの服や携帯が床に落ちているのを発見したとき頭がふと冷えた。
ジョアンナは良くも悪くも熱しやすく冷めやすい。正気に戻って最初に思ったのはたった一つ。
――そういえば五香、私のことをナメてたなぁ。
怪我をしているから、という理由であっさり切り捨てた。心配だったから、別行動によるメリットも狙いたかったからと言えば良く聞こえるがあれは結局、ジョアンナの能力値をナメていたと解釈できる。
というかした。そもそもジョアンナは知っていた。
あの女は理由と理屈さえあれば大好きな叔母でも平気な顔で一秒未満に切り捨てられる。
仲間もそうしないという理由がどこにあるのだろう。第一あの女は度を越した秘密主義だ。最初は苗字すら知らなかったくらいの。
(……発想を切り替えろ。私のことを縛る柵を
コクリカのことはあえて無視。
硬いレーザーの柵の機構を片っ端から壊す方向へと行動力を特化させる。
(私の周囲すべてを魅せてやる!)
外套の中から銃器を手に着いた順で装備し、踊るように弾丸をバラ撒く。その弾丸は華麗な線を描き――
◆◆◆
コクリカは瞠目した。
逃走ルートには気を使っていたつもりだ。エネルギーフェンスを避けて逃げていたので、ジョアンナがあれに気を配ることはないと思っていた。
だが現実に、ジョアンナは突如としてコクリカへの追跡を止め、フェンスの破壊に注力している。
コクリカの視点からだとジョアンナの動きそのものは直接わからないが、フェンスに関してはコクリカがメンテナンスの責任者なのですべての位置、すべての状態が筒抜けとなっている。
今のところ、攻撃を受け始めたフェンスは一つか二つしか完全破壊されていないが、この調子だと一つのフロア全体が全滅しかねない。
(な、何故急に!? 避け方があからさま過ぎた的な!?)
どうあれ、このまま放置するわけには行かない。
「あー……あー! あー! イヤだー! 超イヤー!」
物凄くイヤがりながらも、コクリカは逃げた道を引き返す。責任を放棄できるほど、コクリカは恥知らずではなかったし、何よりも壊されているモノがモノだ。
放置するわけにはいかない。
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