第104話 ※責任負債

「五香。ひとまずそれっぽい資料をピックアップして持ってきたぞ」


 メルトアがパノラとの対応に四苦八苦している間、涼風の情報収集は滞りなく進んでいた。いくつかのバインダーやファイルを抱え、子供部屋の床にドサドサと積み上げて行く。


「おう。ありがとなァ。さーてと」


 五香は適当なファイルを読み込み始めた。隣で見ていた涼風が唖然とするような凄まじいスピードでページが捲られていく。


「……斜め読みか?」

「いや。一応全部記憶してるぜェ。じゃないと後で困りそうだし」

「雑な天才だな」


 しかも会話にも淀み無い。特に引っかかるような情報がないのか、点と点が線で繋がらないのか、今のところ態度もいつも通りに見える。

 敵の本拠地に乗り込んでいるにしてはあまりにも緩やかな時間だったので、涼風は質問を投げてみることにした。


「なあ。お前、子供が嫌いなのか?」

「別に。意識したことはないなァ」

「じゃあさっきの態度は何だよ。あの子をやたらと脅したりさ」

「そっちの方が情報毟れそうだったから」

「お前なぁ……」

「……怒らないでくれよォ。私は万が一間違ってても『後でごめんなさいと言えば済むレベルのこと』しかしてないぜェ?」


 やたら恩着せがましい物言いだ。本当に手加減していなければこの台詞は出て来ない。

 彼女とは短い付き合いだが、果たしてここまで余裕のない子供だっただろうか。


「……治療が終わって起きてからだよな? お前の態度がおかしくなったのは。焦ってるのか? 怖がってるのか?」

「どっちもかなァ。でも致命的に私の思考を中断する程のものじゃないから安心しろってェ」

「お前自身を心配してるんだ」

「私を? ときめくこと言ってくれるなァ」

「五香」


 冗談だと思われては堪らないので少し強めに名前を呼んだ。


「何を怖がってる?」

「……裏っちは私のせいで消えた」


 誤魔化しが削げた表情で、五香はそう言った。


「助けに行きたいけど今は無理で。邪鬼種だから命に別状がないとしても私の中にあるのはイヤな想像ばかりで」

「だから取り返すために無茶しようって? ギャンブルで破滅するヤツの思考回路だぞ、それは」

「かもなァ。でも破滅する危険性リスクなしで御せるような相手じゃないだろォ?」


 それは正論だ。そして、結果が出ていない現状では五香の選択が間違いだったとは口が裂けても言えはしない。


「……あのドクターが外の世界に弾き出されたというのはお前の推理だが、それが当たっていたとして、その後どうなったと思っている?」

「私なら出口は密室に設定すんなァ。で、その密室は内側から合言葉を言うとか、外側の誰かが中の様子を確認するかしてから開く仕組みになっている。広さは出来る限り狭い方がいい。二人入るのがやっとなくらいでもやや大きいかもなァ」

「外からしか開閉に干渉できない密室というのは合理的だけど……狭い方がいいっていうのはどういうことだ?」

だろォ?」


 いかにもヤクザじみた考えだった。

 つまり都合の悪い人間しか入っていない箱であれば、東京湾かどこかに運んでから沈めてしまえば安全に処理できるというわけだ。


 仮に相手が死なない人間でも関係ない。内側から開かない箱であれば封印として機能する。行動力が喪失するという意味では同じだった。


「どちらにせよ手間はかかるから人目の無くなる深夜までが勝負になる。だから私たちにはあまり時間はないのさァ」

「……あの人が邪鬼種で良かったな。もしも外傷で死ぬタイプの人類だったら今ごろお前たちは……」

「脅されてるだろうなァ。でも裏っちは邪鬼種だからそういうわけにも行かない。どこかに捨てるにしても手間はかかるし、その証拠を完全に処分するには一朝一夕じゃ短すぎる。助けることは一番容易なタイプの人質さァ」


 しかしやることが増えたのは事実だ。

 四麻を出し抜いてクレアを奪還。そのためにコクリカを確保して脱出方法を奪う。同時進行でドクターを救出。


 状況が動きすぎて目が回る。


「でも結局、直近での目的は変わらない。コクリカ・スカイアーチの確保。これに尽きるはずさァ」

「まあ、脱出しなければ全部始まらないのは事実だよな……思ったんだが、そこの子供を人質にしてコクリカを呼び出すというのは有効じゃないのか?」


 このぬいぐるみの山。そして家財の傾向からして『まったくどうでもいい誰か』ということはないだろう。パノライラかどうかはともかくとして愛されていることは確かに見える。


「考えてはいるけどよォ。タイミング的に今じゃない。人質作戦で一番重要なのは下準備だぜェ? それは私が今やってる途中だしなァ」

「それはそうか」


 情報が足りない内から提案するようなことではなかった。涼風はこの方向では口を閉ざす。


「……ところで話が変わって別の質問だけど」

「ん?」

「自分ではない誰かに、自分の失敗の尻ぬぐいをさせてないだろうな?」

「……痛いところを突くなァ」


 五香の脳裏に浮かぶのは、金髪で硝煙の臭いのするジョーの後ろ姿だ。

 自分の失敗の尻ぬぐい。そう言われればぐうの音も出ない。


 だが現実として、それで話が済まないのも事実なのだ。自分が怪我をして、自分だけが危険な橋を渡る。それで済むのであれば五香はいくらでもそうしている。


「ジョーには後でちゃんと謝る。状況によるけど……絶交されても文句言えないかもなァ」

「アイツが死んでなければの話だぞ、それも」

「そんときは後追いで死ぬ。死んで詫びる」

「……」


 ――重たい。


 涼風の率直な感想は口に出なかった。

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