第103話 ※不穏な会話。ひそやかに囁く

「大丈夫ですか? 生きてます? 肉体的に、の話だけでなく精神も」


 四麻の声が電話の向こうから聞こえる。あまり心配してなさそうなフラットな声色だった。


「……その様子なら心配なさそうですね。エレベーターからの脱出、頑張ってください」


 ふと、沙良は気になっていたことを自分の上司に確認することにした。


「え? いーちゃんのことを心配しなくていいのかって? 通常なら心配していたかもしれませんが、今は大丈夫ですよ。クレアがいないので。後の獄死蝶の連中は逃げるのが物凄く大得意なだけです。

 ……いや? 唯一、マリーシャだけはクレアと同様のブチ切れっぷりなのでこっちが残ってたらヤバかったですけど、どうも彼女は私たちがこっちに来る寸前に入れ違いで脱出したらしいので運良く問題がないんですよね。しかも何故か戻ってこないし。怪我でもしたんでしょうか?」


 あっさりと捕まえた割にはクレアの評価が高かった。

 そこを指摘すると、四麻は尚もフラットに続ける。


「後に残っている二人の獄死蝶は人間を殺すという方向性にかけてはゴリ押ししかできないので、ある意味いーちゃんと相性がすこぶるいいんですよ。あの子、うちの一族の子供世代の中では相当に勘がいい方ですので。

 結構バカにできないんですよ? 殺そうと思っても殺せないだろうから、かなりやり辛いと思いますね。その前にしっかり対策打てるんです。

 それでも強いて問題点を挙げるとするなら……やっぱりでしょうか」


 ここに来て五人目の獄死蝶でもいるかのような口振りだ、と軽口を叩くと、一瞬だけ四麻は黙り、そして重々しく口を開いた。


「いや。五人目じゃなくって……ひょっとしたらいるかもしれない、くらいの話なんですけど、それでも五人目は直では関係ないんですよね」


 僅かに歯切れ悪く、言った。


「ある特定の条件を満たしたときのみゴリ押しの規模が常軌を逸するヤツがいるんですよ。要は地雷ですね。油断しなければ大丈夫だと思います。

 ……具体的に誰かって? おや。報告書とかには目を通しとかないとダメですよ。アイツですよアイツ」


 忌々し気に名前を、言った。


「コクリカ・スカイアーチ」


◆◆◆


「よーし! 余がたっぷり遊んでやるぞ! 光栄に身を浴せ!」

(はああああああああああ!?)


 メルトアの出した譲歩案。それはメルトアがパノライラを見張るというものだった。

 手足も拘束せず、口枷も嵌めない。一見してかなり自由が利いた状態を維持してはいるものの、それでもまともに動けない。


 あっさりこの案を快諾した五香が、メルトアに聞き取れない程近くまで寄って小声で囁いたからだ。


「……脳漿のうしょうをスイカジュースみたくブチ撒けたくなかったら大人しくしとけよォ。そう何度もメル公の力加減が絶妙に上手く行くとは限らないからなァ」


 実質『変な動きしたら殺すぞ』と脅されたようなもの。これで身動きできるのは余程のバカか命知らずだけだ。

 そしてパノライラは半端に知恵が付いていて、人並みに身体を壊したくないという欲求があった。


 結局、疑われた時点で終わっていたのだ。五香の勘に舌を巻くしかない。確たる証拠を現状では何も掴めていないというだけで、あの女はどう考えてもパノライラを危険だと認識している。


(……どこで感付いた!? まったくわかりません! パノラのどこがそんなに怪しかったのか、パノラには全然……!)


 しかも極め付けに、五香が同室の少し離れた場所からパノライラのことを見張っている。

 少しでもボロを出せばそこから情報を芋蔓式に引き抜いてやると言わんばかりの、奈落へと続く風穴のような真っ黒な瞳で凝視している。


(……ハッキリ言って……少し冷静になればあの女がパノラのすべてを理解しているとは言い難いのはわかります。パノラのことを本体だと言ったのがいい証拠。まだその先の真実にまでは気付いていない。

 結局、このまま時間が過ぎて行けばいつかはが来てパノラたちが勝つ。そこまで時間が持つかどうかは外で物を調べている山城涼風次第……どうか!)


 ことここに至っては祈るしかない。

 部屋の外で調査を続行している涼風がとんでもないボンクラを発揮することを、ひたすらに。


 しかしそれすら望み薄だった。


(……あの人の得意技能も覚えている……ソフト開発はかなり凡だったけど、ハードの開発技術に関しては非凡。マミーの部屋を見られたら根こそぎ……!)

「ところで凄い量のぬいぐるみだな! これは全てお前の趣味なのか?」


 メルトアの質問で思考が中断させられる。

 気付くと、その眼には気遣いや同情の色は無く、ひたすらにぬいぐるみだらけのこの部屋に興味と楽しみを見出して興奮している様子だった。


(……呑気だなぁ、この子。そういえば王族でまだ六歳なんですっけ。パノラより年下)


 そのときパノラは、昨日母親に語った台詞を思い出していた。状況がまさにそのものズバリだったので。


(仮に相手が混竜種でも余裕でしょう。相手が王族クラスでもない限りは……か。まさか……! まさかいるとは思わないでしょう!? 本当に!)

「ところで賢人種の成長具合には詳しくないのだが……余より本当に年上なのか?」

(無視です。無視! ぷいっ)

「……あうう……」


 子供同士だが、相性はあまり良くないようだった。

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