第99話 ※人生最悪の寝起きドッキリ

「ぜはーーーっ……ぜひゅーーーっ……し、しつこい! マジでしつこい! 追跡力が蛇的な!」


 コクリカには鍛工種ドワーフ由来の筋力はある。

 それは混竜種ドラゴニュートを除いた人類の中では比較的力が強い程度のものだが、ひとまず瞬間的な馬力に関しては賢人種サピエンス森精種エルフを上回る。


 だが悲しいかな、コクリカは運動不足だった。筋力はあっても持久力が無く、馬力はあってもフォームが滅茶苦茶なので速度が出ない。

 結果、一々姿を隠してスタミナの回復を図らなければ逃走も覚束ない有様だった。


 しかも相手は五感があらゆる人類種において最優の森精種エルフ。どれだけ逃げても聴覚や嗅覚で必ず追跡される。


「ぐぬぬぬぬ……パノラ、連絡返して来ないし! 呼んでも来ないし! 一体どこで何やって……」


 と、そこまで言って、コクリカは自分の落ち度に気付いた。


「……そうか。家か……! アメキリ雨桐が明智五香を攫って全部どうにかする想定だったから先に返したんだった! あまりにも迂闊的な……!」


 しかし過ぎ去ったことを後悔してももう遅い。コクリカは自らの白衣の内側をまさぐり、お手玉サイズの毛糸玉をいくつか取り出した。

 それを地面に落とすと毛糸玉はひとりでに姿形を整え、リアル指向の子猫型爆弾へと変形する。


「始末は不可能……にしても時間を稼ぐことくらいはできる。早く! パノラ、早く気付いてすぐに来て! 火急的な!」


◆◆◆


 そこにいたのは童女だった。年齢は十歳を軽く下回る程度。服はフリルがあしらわれた外行き用のドレス。

 ぬいぐるみの山をベッド代わりにして、すやすやと寝息を立てている。


 片手の先には充電器に刺さったままの携帯があり、おそらくぬいぐるみの山の中でこれを弄って動画でも見ている間に寝てしまったのだろう。


 そこそこ深い眠りのようだ。五香たち三人がそれを見下ろしていても瞼がピクリとも動かない。


「まあ限度はあるだろうけどなァ。しばらくは静かにしていようかァ」

「だな。下手に怖がらせても仕方ないし」


 五香と涼風が童女をどう扱うかの方針を決めたそのとき、携帯がピコン、と空気を読まない通知音を響かせた。


 電車の中でなら掻き消える程度の音量だが、部屋の中だと大きく聞こえてしまう。


「……う、う、ん……?」


 童女が起き上がりかけるが、眠気が勝利したようで、五香たちがハラハラとしている内にまた眠りの世界へと戻っていく。


「……はあ。助かっ――」


 五香が胸を撫で下ろした直後、今度は電話のコール音が響き始めた。


「ッ!」


 心臓が喉から飛び出そうになった。五香は慌てて携帯を拾い上げ、着信拒否のボタンを押そうとする。


「……!」


 その直前、着信画面に『マミー』の文字が出ていたのを見て一瞬挙動を中断させてしまうが、それどころではないとやっとのこと拒否のボタンを押して携帯を沈黙させることができた。


「……ま……みー……?」


 ――今度こそ起きてしまうか?


 心臓をバクバクと鳴らしながら三人で息を飲み、童女を観察する。

 願いが届いたのか、またしても童女は眠ってくれた。あと一歩遅かったら今度こそ起こしていたかもしれない。


「……た、助かった……な」

「五香お姉。音が鳴らないようにできるか?」

「任せろォ。すぐにマナーモードにしてやらァ」


 カチリ、と携帯の側面にあるツマミを弄り、マナーモードにする。これで通知が来てもバイブ音だけで済むだろう。それもぬいぐるみの山の中へ放り込めば大半が吸収されるので、もう音で童女を起こす心配はしなくていい。


「……で。今更ながら、誰だよこの童女……何か顔立ちに気がするんだが……」


 涼風の声を潜めた呟きに、五香も同意していた。

 どういうわけだか、五香は彼女の顔立ちにどこか既視感を覚えている。


 眠っている童女の姿形は、一見すると賢人種サピエンスのように見える。服を脱がせて眼を見なければ断定はできないが少なくとも邪鬼種イビル森精種エルフではないことだけは確かだった。


「携帯の方は……ダメだなァ。顔認証か認証番号が無いと開かない」

「顔なら目の前にあるだろ?」

「眼までパッチリ開いてないと携帯の顔認証は無効さァ」


 残念だが、番号の総当たりでもしなければ携帯の中身を見るのは難しそうだった。

 だが、中身を見ることができなくともわかったことはある。


(マミー……ねェ。母親がこの町のどっかにいんのかァ?)

「五香お姉。先客がいるのならあまりここは探索するべきではない。起こさないように外へそーっと出るべきではないか?」

「……ああ。そうだなァ。メル公、足元に十分気を付けて全員で外に――」


 ぷにゃあ。


「……あ?」


 今までに聞いたことのないようなが聴こえた。

 自然に全員の目線がメルトアの足元へと向く。


「……ひ、え、あ……!」


 おそらく、お腹かどこかを押すと鳴くタイプの猫の人形が、メルトアの左足に敷かれていた。うっかり踏んでしまったのだろう。


 メルトアは泣きそうな顔をしながら左足をそうっとどける。

 ぷにいいいいああああああああ。

 ご丁寧に、吐き出した空気が戻るときにも鳴き声が出る仕掛けだったようだ。状況が一秒ごとに悪化していく。


「あ……あわ……あわわわわわわ……」


 ギギギ、と油が切れたブリキ細工のように振り返るメルトアの顔は半泣きだった。

 その顔は最初こそ五香と涼風に謝罪するような調子だったのだが、やがて視線がもっと下へと向けられて、ただでさえ悪い顔色が更に真っ青になった。


 五香と涼風も見たくないと思いつつも、メルトアの見ている物へと視線を向ける。


「……え?」


 寝起きの第一声は、疑問の声。

 童女の眼はすっかりパッチリ開いていた。

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