第96話 ※絆ドライ

 セントラルビルの最上階の一室。絶対不可侵のオフィスにて、寝息が一つ上がっていた。


 電気は付けっぱなしで、布団ではなくぬいぐるみの山の中にいるその少女は、童女と言っていいような見た目だ。上等なフリル付きのお姫様のドレスのような外行き用の服のまま夢の世界へトリップしている。


「……ううん……マミー……」


 一見すると絵本の一ページのようなその光景。そのすぐ近くでは、充電器に刺さったままの携帯が通知音をピコン、ピコンと鳴らしていた。

 まるで誰かの危機を知らせるように。眠り姫へずっと語り掛けている。


◆◆◆


「――というわけで。賢人種サピエンスがどれだけの熱に耐えきれるのかはわからないが、五香お姉や涼風がアレに触れるのは危険だな! 人間とはどのくらいの熱に耐えきれるものなのだ?」

「気温なら三十度超えたくらいからかなりの苦痛で……風呂なら四十三度超えれば長風呂は不可能だな……」

「はっはっは! そんなはずはないだろう! たかが気温や風呂程度で!」

「フィジカル王族め!」


 メルトアによるパノライラの戦闘時のカラクリの説明は子供にしてはかなり良く纏まっていたが、根本的に賢人種の脆弱さを理解できないという点でどうしても危機感を欠いていた。


 もちろん、先の爆発のような派手なイベントが弱者の命を簡単に奪うということは知っているのだが、やはり種族のギャップというものは一朝一夕では如何ともし難い。

 涼風は頭を抱えながら感想を絞り出す。


「……あ、会いたくねぇー。もう二度とあの町長には会いたくねぇー」

「それは同感だなァ。でもまあ、会うわけないとは思うけど」

「何?」


 幸いとして、コクリカの方はジョアンナが追っている。ジョアンナの危険性は相手方も理解しているはずなので、しばらくすれば町長は援軍として、エレベーターでそっちに向かうだろう。


 派手に囮になって、その上で無事でいてくれることを期待するしかない。心苦しいが今はこれが合理的で正しい判断だ。


「ジョーなら多分大丈夫さァ。相手が余程の規格外でない限りは死なない。さっきみたいに立ち向かわなきゃ死ぬみたいな状況じゃないから逃走も十分選択肢として機能するはずだしよォ」

「……そ、そう……か……? まあ、ジョアンナなら……」

「五香。一つ聞いていいか?」


 釈然としないながらも首を捻っていたメルトアに対して、涼風は明確に納得していない顔をしていた。


「……一つで済めばいいけどなァ」

「茶化すな。お前、本当にいいのか? いや私は他人だし、あの森精種エルフ女に関しては苦手だから知ったこっちゃないんだが……お前自身はあの女のことそんなに嫌いじゃないんだろう?」

「好きだなァ」

「なら合流してさっさと助けた方が……そもそも向こうに町長や副町長が行く可能性もあるだろうし、そっちでメルトアを大暴れさせて生け捕りにすれば全部済むだろ」

「……涼風さん」


 涼風は横からメール画面を盗み見ていたため、コクリカのことを知っている。これは五香にとって明確な誤算だった。

 現状の情報を正しく認識した涼風は正しいことを言っていた。こちらもこちらで一定の合理性はあるだろう。


 だが。


「リスク抜きで出し抜ける相手かァ?」

「それは……」

「私はなァ、涼風さん。どっちも一定の正しさ、一定のメリットデメリットがある二択があるとき『無難な選択肢』じゃなくて『大勝ちできる選択肢』しか選びたくない。そりゃ相手によって選択を柔軟に変えることは大前提だけど、今回は私のことを逆算できるような相手じゃないから私の気持ちいいやり方で勝ちに行くのが合理的だ。

 極論、ジョーのところに向かって町長、副町長を同時に相手にしたものの情報不足が決め手で負ける可能性だってある。それはダメだろォ」

「……あの女はお前のことを待っているんじゃないか?」

「かもなァ」

「なら!」

「でも。それは私の合理性に反するから」


 涼風は絶句した。

 五香の目の奥には年相応の情がないわけではない。それでも彼女の決意は揺らぎそうにない。

 五香は明らかにとり憑かれていた。年不相応の、合理性という鎖に。


「安心しろってェ。責任は全部私が取る。後でジョーにボコ殴りにされてやるさァ」

「それはそれでどうなんだよ!」


 悪魔のような選択肢を取る女学生に怖気が止まらない。

 一体どんな家庭環境で育てば、仲間を半ば見捨てるような選択ができるのだろうか。


 本人としては後で詫びを入れる覚悟もとっくにしているようだが、そもそも罰と見返りを前提にすればどんな罪を犯しても構わないという発想自体、合理性がいくらあったとしても人間性に唾を吐く最悪の行為だ。


「お前、ロクな死に方しないぞ……!」

「別にいいさァ。ジョーに殺されるのなら」


 涼風の吐き捨てるような忠告にも耳を貸さない。

 正しさを盾にして、非道を真っ直ぐ突き進み勝利を得ようとするその姿勢はまさに合理性の悪魔と呼ぶに相応しかった。


(……何か……痛々しいな。こういう状況でなければもっと違ってたのかもしれないけど……)


 なけなしの良心の片隅で、涼風は五香のことを思う。

 正しいことはそれ単体では偉くも何ともないことなのだと、彼女に真っ直ぐ言葉を届けられる誰かが言ってくれればいいのだが。

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