第89話 ※次回! 雨桐死す!

(来る……!)


 雨桐の最大の武器は変装能力でも、暗器でもなく、経験だ。今まで盗みを働いた際に自分を追い詰めたピンチやチャンスの記憶が雨桐を強くしてくれた。


 それらの経験から裏打ちされた勘が告げている。明智家の御令嬢でもなく、銃を自在に操る森精種でもなく、最強の王族級混竜種でもなく、あの褐色肌の邪鬼種こそが一番危険だと。


 どんな無理を通しても相対するべきではなかったと。あまりにも激しく警鐘を鳴らすものだから恐怖のあまり吐き気がしてきた。


(もうこれは仕方ないヨ。ここで降りるしかない!)


 雨桐はコクリカから脱出手段を一つ譲ってもらっていた。


 使う際に留意する点は三つ。

 一つ、使い捨てである。一度使えばもう脱出装置として使えない。

 二つ、出口は既に設定してある。雨桐がそれを弄ることはできない。

 三つ、通常の三丁目からの退出に使われる手段ではないため全体的な使用限界回数が限られていること。


 特に三つ目が問題だ。雨桐の持っている物と、コクリカが持っている物の二つしか用意されていない。


 出ることができるのは最大で四人。ここで雨桐が逃げればコクリカかパノライラに期待するしかないが、かなり望み薄だった。


 経験を最大の武器とする雨桐の対極にいるのがコクリカだ。彼女が五香をどうにか攫えるとはとても思えない。


 ここで雨桐が脱落することはクレアを諦めることに他ならない。


(でも仕方ない! クレアのことは好きだけど、流石に私の命を賭ける程じゃ――!)

「あ。ラッキー! 結構すぐ会えたね!」


 ハッとして振り返る。

 銀髪の悪魔が、爪を振り回して雨桐の首を跳ね飛ばそうとしている様が目に映り――


◆◆◆


「犯罪者の楽園を作らない?」


 五年前、角も肌も真っ白な邪鬼種イビルがそう言った。

 それはとある兵器の大規模密輸が終わり、ふと時間が空いたときのことだった。取引相手の代表が会いたいと言うので部屋を用意し、軽く茶菓子を用意して語らった、その合間に挟まれた一言だったと思う。


 その当時、家族総出での怪盗稼業が楽しくなってきた雨桐は好奇心の塊だった。


 表情としては出さなかったが、その女の言うことに耳を貸す。


「私たち『だけ』が最高に楽しい場所を作りたいんだ。殺し放題。犯し放題。奪い放題。そんな場所を国規模でさ」

「楽しそうだネ。でも夢物語にしか聞こえないヨ」


 冗談だと思った。適当に笑うフリをしつつ、紅茶に口を付ける。

 だが女の上機嫌な弁舌は止まらない。


「別に千年帝国を作りたいって言ってるんじゃないんだ。三ヶ月……いや一週間で滅んだっていい。犯罪者の楽園を作りたいんだよ」


 どうやら本気で言っているようだ。交渉の席では油断ならないと思っていたが、その第一印象よりも遥かにあっぱらぱーだったらしい。

 それでも雨桐は彼女を追いだしたりはしなかった。


 その顔があまりにも楽しそうだったから、つい話に乗ってしまったのだ。

 まるで学生時代のクラスメートとの語らいのようだった。


「で? 具体的にはどこに作りたいのヨ?」

「うーん。先進国のどっかかなー。そこそこ経済が発展しててー、料理も美味いといいよねー。うーん……中国はデカすぎるし……日本とか手頃じゃない?」


 手頃なわけあるか、と失笑する。

 いくら国土が小さめだからと言って、軍事力が特筆して弱いというわけでもない。


 下手に触れば火傷する程度の防衛力はあるだろう。


「ねえねえ! 雨桐さんって金あるんでしょ? うちに投資してくれない? 一週間だけでいいなら美味しい思いもできるよ? ね? ね? おねがーい!」

「……別にそんな場所なくっても私たちはいくらでも悪いことできるネ。どうしてそんなもんをわざわざ作るのヨ」

「だって気持ち悪くない?」


 子供のように甘えた声色から一変、底冷えする声音になった。

 嫌悪感が剥き出しになった声。何かへの憎悪が露出した表情に。


「悪いことをしている私たちのことを社会のゴミみたいに扱う世間の目が気持ち悪い。正しいことをしていれば幸せになれると信じてるヤツらがバカに見える。いつか絶対に報いがあるだろうと私たちに予言めいたことを言う正義漢の鼻を明かしたい。

 悪いヤツが世界一幸せになる場所を作りたい。性格に産まれつき欠陥を持つ人間のゴミを輝かせたい。純真無垢に善意を信じる乙女たちを殴りながら犯したい」


 それは秩序ある世界への歪んだ反抗心だった。

 雨桐はその女の目を見て理解する。この女は、世界に蔓延する当たり前や、こうあるべきという世界の改善案を心底から嫌っているのだと。


「一瞬でも前例を作りたいんだ。悪いヤツでもお構いなしに、世界一幸せな人間になれる場所を作りたい! 後で死刑になったとしても『ああ生きててよかった』って最期に言い切れるくらいの!」

「お前、えーと、名前何だっけ?」


 そのとき雨桐は、名前を聞いただけだった。そこに何の意図もなく、単純に思い出せなかっただけだった。

 だが、彼女は雨桐の質問に何を勘違いしたのか。興味を持ってもらえたと思ったのか、満面の笑みを浮かべ、改めて自己紹介をした。


「クレア。クレア・ベルゼオール。気安く名前でいいよ、雨桐さん」

「イヤだ。そこまで仲良くなる気ないし」

「えー!? 仲良くしようよー! クズ同士さー!」

「同類扱いするなヨ、イカレ女」

「褒めてる? えへ?」

「褒めてないヨ!」


 そこから先の回想は早送りだったので、雨桐自身把握しきれなかった。

 一体、いつから雨桐はクレアのことを名前で呼ぶようになったのか。それもわからない。


◆◆◆


 ぶん、と風切り音だけが響いた。


「あ、意外と素早い」

(っぶねぇぇぇぇぇぇぇ! 走馬灯! 走馬灯見えたヨ! 4K解像度で!)


 決着はおそらくすぐに着く。ドクターの力は即効性だ。一手間違えるだけで雨桐はこの世からいなくなる。

 それが理解できて尚、雨桐をこの場に縛り付けるものがあった。


「ねえ? さっさと死んだ方が恐怖も少なくて楽だと思うよ?」

「断るネ! ここで死んだら『ああ生きてて良かった』って思えないし!」


 汗を拭い、身体中に隠した暗器を意識する。

 死の爪に向き合う理由はたった一つ。ただ最愛の友の夢のために。

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