第88話 ※ドクターテリブル(真)
結局、雨桐の作戦がここまで上手くいかなかった理由は突き詰めればたった一つ。『メルトアが最後の最後まで五香の守護という地味な役割からブレなかったこと』に尽きる。
中途半端に実力があればもっとアクティブに動くと思っていた。『先手を打って相手を探し、始末すればいいだろう』と考えても不思議ではなかったし、実際メルトアとしても精神的にはそちらの方がずっと楽だったはずだ。
五香からメルトアが離れればそれでよかった。普通の
勝利条件の緩さもあって勝てない状況ではなかった。それを打ち破ったのはメルトアの健気さと、なけなしの精神力、献身だ。
(あと少し! あと少しなのに……!)
状況は詰み一歩手前。そこまで追い詰められた雨桐の撤退を躊躇させたのは、あと少しで勝てたという未練だった。
その逡巡により、ドクターに存在を感付かれる。煙幕に隠れてはいたが、角度的には十分見える場所にいたが故に。
「あれ? そっちに誰か知らない人がいるね? 味方なら三秒以内で大きく返事してねー! メルトアに居場所がわかるくらい!」
「ッ!」
冗談じゃない。そんなことをすれば棚を貫通、もしくは倒壊させる勢いで物を投げつけられるに決まっている。
そういう迷いを抱いている内に――
「経った」
「ひっ」
ドクターが弾かれたように跳んできた。一直線に。おそらくあの透明な爪を振り回しながら。
雨桐は面喰いながらも反射的にドクターの懐に入り込む。
煙の中にいたお陰で予備動作は見えにくかったはずだし、逆に雨桐は煙幕の中でも目を慣らす訓練をしていたため動作に怪しさはない。
ドン、とドクターの胸の中心に掌が置かれる。
「ん?」
「吹っ飛べ!」
暗器その一。手袋に仕込んだ指向性の爆弾。
起爆の瞬間、手袋全体が硬質化し指や掌の皮膚を衝撃と熱から守り、反対に密着した相手に大ダメージを与える。
カチリ、というスイッチが入る音の直後、短く大きな破裂音と閃光が発生し、ドクターの小さな胴体をズタズタに破壊した。
「ぎゃっ!?」
ドクターは胸をザクロのように弾けさせ真後ろに吹き飛び、雨桐はその隙に煙の濃い方へと消える。
大雑把な位置は知られた。おそらく次の瞬間にはメルトアの投げつけが始まるだろうという判断だ。
然してその判断は正しかった。威嚇射撃のつもりだろう。高速で投げつけられた何かが雨桐の隠れていた棚にヒット。詰まれてあった資材を大きく激しく散乱させた。
移動していなかったら多少のダメージは入っていただろう。
(……クソ)
煙の中に身を隠す雨桐の顔は晴れない。
一時的にドクターを退けたところで彼女は
壁に穴が増えてしまったというのも手痛い。煙幕が五香のいる場所まで充満することはおそらく無くなった。
(逃げようか。今度こそ。もっと早く充満するタイプの煙幕に持ち替えて……)
「ふーん。この煙、空気より重いんだね。それじゃあ」
ドクターの声。そして、先程と同じようなどこか硬い場所を切り裂く音が聞こえた。
ズシャズシャ、と何かが崩れ去る音も遅れて来る。
(……ん? 何ネ? 何の音ヨ?)
「ど、ドクター!? 大丈夫なのか!? 下に誰かいたのではないのか!?」
「……!?」
その台詞ですべてを察した。ドクターが今度引き裂いたのは床だ。それもおそらく、雨桐を逃がさないように人が通れない程度の狭い穴を数個。
その証拠に煙の嵩がどんどん下がっていく。このままでは雨桐の隠れる場所が無くなってしまうのに三分もかからないスピードで。
「大丈夫。ウチ、繊細だから。下に誰かいたとしても、この掘り方じゃちょっと怪我する程度。致命的なことにはならないよ」
(マジかヨ……!?)
そもそもそんなことを気にするような人格とも思えない。雨桐はドクターの戦い方を先程見ていたからだ。
彼女は一切の容赦がない。その程度のことはわかる。雨桐は、一刻も早く撤退すべきだったのだ。
換気穴を開けたドクターは周囲の警戒をメルトアに任せて(吸い込んでいた煙はとっくに下の階に吐き出させている)五香の治療に専念する。
少し診て、ドクターはメルトアを安心させるように口を開いた。
「脳震盪だね。そこまで重篤じゃないよ。ここまでグッスリなのは……まあ、さっきはあと一歩で殺されるところだったからね。精神的な疲れによるものかな。緊張のし過ぎで精神がぶっつんしちゃった感じ?」
「……そこまでわかるのか?」
と涼風が訊くと、ドクターは振り向かずに答えた。
「簡単。私の
五香のその他細かい傷に治療用スライムを塗り付け、ドクターは立ち上がる。そのとき五香の枕にされていたメルトアのコートを持ち出し、代わりに五香のリュックサックを枕として差し入れていた。
「応急処置終了! それじゃあメルトア! もうちょっと五香ちゃんのこと守っててね!」
「……ドクター? 何をする気だ?」
メルトアのコートを羽織りながら、ドクターは暗い笑みを浮かべる。
「子供は知る必要がないコト」
精一杯気を使った表現だったが、どうしようもなく不穏だった。
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