第84話 ※疾風怒濤のドラゴンソング

(余のやることは決まっている。とにかく守る。五香お姉を守る!)


 ひとまず威嚇のつもりでジョアンナのようなキレた罵倒でも口にしようと考える。

 そして、言うぞ言うぞと意気込みどうにか口に出した。


「いい度胸だ! 褒美として、その辺りの棚でも食らわせてやろうか!」

「くれるんなら貰おうか?」

「へあっ!?」


 ドクターの顔を模した何者かは平然と一歩踏み出した。

 威嚇がまったく効いていないのだろうか。それとも言い回しが難しすぎたのだろうか。メルトアには判別が付かないので露骨にあたふたしてしまう。


「あ、あれだぞ? 食らわせるというのはその辺の棚を投げつけてぶつけるという意味でな? とても痛いと思うぞ?」


 更に一歩近づいてきた。


「何で!?」

「ほら。どうしたの? 早くぶつけてみなよ?」

「……!?」


 メルトアは心底混乱する。

 雨桐はメルトアの攻撃が恐ろしくはないのだろうか。


(まだ来ないよネ……まだ投げて来ないよネ!?)


 答えは否。怖くないはずがない。そもそもメルトアは気付いていないが、雨桐は『急に棚が丸ごと吹っ飛んできてもギリギリ避けられる射程』より先には踏み込んでいなかったし、これから踏み込む勇気も無かった。


 あと一歩でも踏み込めば完璧にデッドゾーンだ。できればここで仕掛けたい。


 フェイントのつもりで更に踏み込むフリをする。しかも走るフォームが幻視できるような素早さで。


「ッ!」


 戦闘のセンスに天性のものを持つメルトアは、逆にその高精度のフェイントに引っかかってしまう。二度目はないが、初見ならば効果はてき面。

 周辺の棚を持ち上げて、また投げつけた。


 この間、一秒も経っていない。

 またしても豪奢な激突音が鳴り響く。


「ぐっ……相変わらずビックリするような音だな! でもこれだけやれば相手もビビって……!」


 涼風のその推測は甘かった。

 衝撃でグシャグシャになった資材棚。埃が立つその下から、細い右手が覗いている。

 血溜まりを広げながら、転がっている。


「……何……ッ!?」


 呆気ない最後だった、と言えばそこで終わっていたかもしれない。

 だが、そのとき涼風が感じたのは違和感だった。


 あまりにも呆気ない。

 涼風がそう思う一方、メルトアはそう思ってはいなかったようだ。涼風が顔を見上げると、目を見開いて顔面蒼白。細かに肩を震わせ、今にも膝を付きそうになっている。


 素人目にもわかりやすい反応。

 それが逆に、ある可能性を涼風に突き付けた。


(いや待て。! 何かの罠じゃないか!?)


 確信があるわけではない。あくまで可能性だ。そもそもが棚の下敷きになっているのは間違いない。血溜まりの色も、腕も本物に見える。


 だが可能性があれば十分だった。


「メルトア! 落ち着け! これは罠だ! 相手は今の攻撃を誘っていたとしか思えない! あの腕も血も偽物だ!」

「!」


 その可能性を事実のようにフカして騙す程度なら涼風にもできる。ヤクザとしては朝飯前の詐欺だった。


「ほ……本当か?」

「ああ、間違いない。前に仕事で似たような手口を見たことがある。周囲を警戒しておけ。奇襲が来る!」


 適当である。

 少なくとも涼風の中では適当ではあったのだが。


(……事実だヨ、バカヤロウ!)


 倉庫室の別の棚の後ろに隠れ、奇襲の隙を伺っていた雨桐は歯噛みする。

 そう。資材棚の下敷きになっているのは変装した雨桐ではない。変装に使ったと血糊だ。


 資材棚がヒットする寸前に脱ぎ捨て、攻撃によって発生した僅かな視界の悪さを利用した雨桐なりの空蝉の術だった。


 これに二人が近付いてきた隙を突いて棚の群を迂回し、五香に触れば勝てる手筈だったのだが。


(近くに大人がいるのが予想以上に厄介だヨ。どうにかしてアイツを黙らせないと……!)


 幸い、混竜種ドラゴニュートには効きそうもないが賢人種サピエンスには使えそうな暗器はいくらでもある。

 特に使い道の無さそうな人間だったのも幸いだ。安心して殺せる。


(でもこっちも射程ないんだヨ。どうやって当てようネ。近付いてきてくれないかな?)

「ん? 何だ? 何のつもりだ?」

「?」


 聞こえてきたのは涼風の困惑の声。

 雨桐はバレないよう、慎重に二人の様子を伺う。


「……!?」


 メルトアが、後ろから涼風の両耳を両手で塞いでいた。

 涼風にはその行動の意図がわかっていなかったようだが、雨桐は幸いなことにメルトアの次の行動を読むことができた。


 メルトアが大きく息を吸い込んでいるのが見えたからだ。


(ちょ、おい、まさか……!)


 一瞬でも理解が追い付かなかったなら、雨桐の戦いはそこで終わっていただろう。

 急いで耳を塞ぐ。未来の境が別れたのは、その一瞬だった。


「ア――アアアアアア――アアアアアアアアアア――」


 地面ごと空気が吹っ飛んだかと思った。

 それ程の破壊的な大声。竜の息吹ドラゴンブレスならぬ竜の歌声ドラゴンソングが、空間ごとビリビリに周囲を震わす。


 耳を塞いでいなければ確実にアウトだった。防御姿勢を取って尚、吐き気を催すような大ダメージが雨桐の全身に叩き付けられる。


「ぎあああああああああっ!?」


 大声で雨桐自身の悲鳴が掻き消されるのは、この状況の僅かな利点だった。イモムシのように這いつくばりながら、この災害的歌声が収まるのをじっと待つ。


(……待てよ。コイツら、どうしてこのビルの全階層全室が防音だってことを知ってるネ?)


 そうでなければこんな無茶な攻撃はしない。廊下はすべて繋がっているかのように音が響くが、その代わりすべての部屋は音が入らないし、出て行かない構造になっている。

 それはもちろん限度はあるし、大きすぎればすり抜けはするだろうが機能としては最高のものだ。


 これだけ騒いでも、外に一歩出ればおそらく籠ったようなメルトアの声しか聞こえない。


(……明智家の御令嬢に聞いた? どのタイミングで? 今は気絶してるのに? ありえないネ! ということは……!)


 消去法だ。メルトアに耳を塞がれている、あのツナギの女が教えたとしか考えられない。


(素性はどうでもいい! まずはあっちから消す! 下拵えもかねてネ!)


 雨桐のモチベーションが、もう一段階上がってしまった。

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