第83話 ※倉庫室の心理戦:開始

 雨桐はいくつかの前提を基にして勝算を見出していた。


 まず、メルトアは混竜種ドラゴニュートであり単純戦闘においては間違いなく最強だが、実際は生後六歳そこらの幼女であるということ。

 二つ目に、恐怖の大小というものは必ずしも相手の強さに依存しないということ。


 大きなものは主にこの二つだが、これはつまり『耐久度最弱の賢人種サピエンスでも混竜種ドラゴニュートを追い詰めるのに不足はない』ということだ。


 そして更にもう一つ。勝利条件がいくつかの幸運によって物凄く緩くなっているというのも挙げられる。

 雨桐の勝利条件。それはだ。


(パノラから聞かされたときはヒヤリとしたけど……あれは適切な処置を施せば命は助かるだろうネ。喋れるようになるかは状況を悪い方に考えてやっと五分ってところか。これなら多分、使える)


 パノライラが五香に重傷を与えたこと。これは偶然だ。

 たまたまパノライラが、最後の仕事として自分の部下と機材を処理していたことに端を発する。そこに五香たちが訪れたのは彼女たちの最大の不運だったろう。


 だが、そこにたまたま居合わせていたのが雨桐とコクリカだ。

 二人はこのビルで『四麻からどうやってクレアを奪還するか』に頭を悩ませていたところだった。

 侵入者に気付いたのはパノライラが相手を迎撃した直後だが、そこでセントラルビルを封鎖したのはコクリカのファインプレーと言えるだろう。


 この町は丸ごと放棄する予定で、しかもビームを使った封鎖はかなりエネルギーを食う。誰かが入ってきたところでパノライラが適当に追い払うし、少なくとも中から出て行って困る者も『もういない』ので出入り自由の状態になっていたのだが、そこに現れた五香たちは思わぬ闖入者だった。


 だが歓迎はする。何故なら五香は、四麻の家族だからだ。


(コイツなら人質交換が成立する……!)


 雨桐は五香を殺す気はない。

 ただ攫って人質にし、四麻の抱えるクレアとの交換を持ち掛けるだけだ。


 応じないのであればそれはそれでいい。後で五香を『クレアを逮捕したことへの報復』の名目で、残酷に殺すのみだ。


 獄死蝶としてはクレアの逮捕に対して何もできないという状況が問題なのであって、それに対して何かしらのアクションが取れればそれでいい。犯罪組織は求心力を保つために体面を重視する。


(触れればそれでいい。一度触りさえすれば……!)


 そして、雨桐の最後の幸運は何よりも、傍にいたのが歌舞伎町三丁目の出口を管理するコクリカだったということに尽きる。

 今の雨桐は、手に触れた誰か一人と一緒に、いつでも歌舞伎町三丁目から出られる状態だった。


 一瞬でいい。一瞬触れることができれば、そこで外の世界に五香ごと脱出できる。後は四麻に連絡し、そこから交渉を始めればいい。

 これらの雨桐側の都合を、メルトア側が何一つ知らないというのも好都合。

 一瞬でも隙を見つけることができればそこで雨桐の勝利は確定する。


 以上の事情をまったく知らないメルトアは、と言うと。


(……本物のドクターが来るまでは絶対に。ぜっっっっったいに五香お姉に触れさせない!)


 隙はまったく無かった。目の前の偽物のドクターに対し、恐怖を感じてはいるものの、それ故に警戒心もマックス。

 最悪近付いてきた場合、遠くの壁へぶん投げる心の準備もできていた。


 雨桐が幸運に恵まれていたのは確かだったが、それでも彼女はいくつかの思い違いをしていた。いくら容姿と声色と口調を真似しても、メルトアにはまったく通じないからだ。


 何故ならメルトアには、ドクターの現在位置がわかるからだ。


(まだドクターは目の前にいない! さっき見たからな!)


 それはかつてメルトアが左腕に付けている腕時計型デバイスにインストールされた機能によるものだ。


『MISSION:2

 マーキングの付いた魔物の制圧。

 報酬・あなたのチームメンバー三人の位置座標の開示』


 このときに受け取ったアプリケーションはまだ四人のデバイスの中に残っていた。

 先程メルトアが涼風に隠れて見ていたのはこれだ。


(ドクターはまだ来れない! さっき余らを邪魔したあの邪魔っけなビームの柵があるだろうし、さっき余たちの真下に来たばかりだったから!)


 メルトアはメートル法をまだ習っていない。そしてあらゆる長さの単位を知らない。

 それでもメルトアは、まだドクターが目の前にいるはずがないということだけはわかる。


(涼風は……まだよくわからない。頼りにできるかあやふやだ。五香お姉を守れるのは余だけと考える方が楽だな)


 もしこの場にジョアンナがいれば。

 そんな甘い想像がどうしても頭から離れないが、必死に目の前に集中する。


 メルトアは端的に、目の前の誰かが心底怖かった。殺すことはおそらく簡単だが、そもそも殺す理由がメルトアの中にはない。

 人の命を奪うなど、考えるだけで身震いが起こる程に悍ましいことだ。


(アイツは何のつもりなのだ? 余らに何の用だ? 何故さっさと逃げない?)


 もし今すぐ五香が目覚めてくれれば。

 更に甘い想像がチラ付く。メルトアは、自分が五香程に頭が良くないことを自覚していた。

 少なくとも彼女なら、すぐに推論をいくつか並べ立てていたに違いない。今のメルトアのように一切の見当が付かないような情けない状況には陥っていないはずだ。


(……とても驚いている。あの三人は、ただいるだけで余のことを支えてくれていたのだな)


 この場にドクターがもっと早く来てくれれば。

 そう思うだけで足腰が砕けてしまいそうだ。今すぐ泣いてへたりこんでしまいたくなる。


(だが)


 だからこそ、と思うのだ。


(さっきは余がひたすら楽しいだけだった。最初はジョアンナを守りたかったのに、途中からそれを忘れてしまっていた)


 三人に頼れない、この状況だからこそ恩を返すチャンスだと。


(……今度は守る。最後まで五香お姉を守ってみせる!)


 メルトアは小さな勇気を、必死に奮い立たせる。

 覚悟はまだ決まっていないけれど。


 凛と立つ姿には、王族の威厳の片鱗程度はあった。

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