第22話 ※最悪の手段

 ジョアンナは呆然としてしまい、思わず反射で電話を切ってしまった。


 何が起こったのか理解できない。

 全部自分の目の前で、リアルタイムに起こったことにも関わらず。


 ガジェットもロケーションも奇抜なものは何もない。


 ガジェット:黒塗りの高級そうな車。

 ロケーション:たまに来るデパートの中。


 それでも、シチュエーションが完全に壊れてしまっている。


「屋内で……車を……!?」

「おや。あなたもその辺の一般人ですか? 危ないですよー。私の前に立つと」


 五香に似た顔の女性は、気の抜けた声でジョアンナに話しかける。

 メルトアの横にいることに関してはどうとも思っていないようだ。


 人を轢いたことすら、既に忘れてしまったように喋っている。


「朔美……?」

「おや……? すみません王女様。今の名前を呼びました?」


 理解が追い付かないなりに、今の発言はジョアンナも我慢ならなかった。


「アンタッ……! 一体何のつもりよ! こんなこと許されると思ってるの!?」

「こんなこと……はて? すみません、あなたは森精種エルフですよね? 逆に訊きますが、血の臭いはします?」

「!」


 ドクターほどの死臭ではないので、嗅覚は全滅しているわけではない。

 改めて周囲を嗅いでみる。


「……嘘……何で?」


 血の臭いがしない。

 あれほど派手にふっ飛ばした母子も、よく見れば既に起き上がってきている。


 轢かれた本人たちも不思議なのか、身体の調子を念入りに確認している始末だ。

 息すら忘れるほど驚愕していたメルトアも、その光景を見て胸を撫で下ろす。


 それでも人間以外の物品がグチャグチャに破壊されているのは間違いないが。

 女は何がおかしいのか、そんなジョアンナたちの反応を見て楽しそうに笑っていた。


「公務員がその辺の人を無策に轢くわけないじゃないですかー」

「公務員……警察なの? あなた」

「おや? おやおやおや。一般人じゃありませんね、あなた」


 唐突に、女はジョアンナに興味を示した。

 ギラリと抜き身の刃のような眼光が、ジョアンナの首に突き付けられるようだった。


「例えば王女様のクレカをうっかり使ってしまって『ヤバい! 逃げなきゃ!』とでも思ってなければ、スーツ姿の女の人を警察だなんて思ったりしないですよねぇ」

「……人を轢いて無傷で済ます意味不明な公務員がまともな職種なはずないと思うけど?」

「酷い偏見! この四麻さん凄く傷付いちゃいました!」


 大袈裟に仰け反る仕草をするスーツ女。その拍子に、ハイヒールで何かを踏ん付けた。


 スーツ女はそんなことを気にしなかったが、それに気付いた朔美が悲しい顔で駆け寄る。


「朔美!」

「あん?」


 母親がそれに気付いて声をかけるが、もう遅かった。

 朔美は女の足を掴み、どかそうとしている。


「お姉ちゃんがくれたクマさんを踏まないで……! それは朔美の大事なものなの!」

「あー……えーっと、すいません。この子、あなたの娘さんで?」


 気が抜けた調子の女は、感情を一切感じさせない口調で母親に問うた。

 第一印象よりは危険はないのかもしれない、と母親は素直に頷く。


「そっすか」


 女は警戒心を抱きようがない動作で、おもむろに銃を取り出し、母親を撃った。


 今度こそ血の臭いが辺りに飛び散り、母親は悲鳴も上げられずにその場に崩れ落ちる。


「ママ――!?」

「十一時二分三十一秒。公務執行妨害」

「ぐぶえっ!?」


 グシャリ、とイヤな音が鳴り響く。

 女は掴まれた足を振り上げ、幼女のことを肩から踏み潰した。


「いやー。母親の前で犯人を捕まえるのはちょっとなー。ショッキングすぎるだろうし、気を回さないと」


 蹴る。蹴り潰す。何度も蹴る。

 血が弾け飛び、その辺りの床に中身がぶちまけられる。

 最初は悲鳴を上げていた朔美も、かなり早い段階で気絶してしまったのか無反応になった。

 それでも蹴るのを一切やめない。


 酸鼻極まる光景。

 ジョアンナは銃を取り出しかける。


 その直前、自分の前を巨大な何かが通り過ぎたので、挙動を止めてしまう。


「メルトア様……!」

「おお」


 急に蹴る対象がいなくなってしまった女はフラつくが、すぐに高速で動き回るメルトアを目で捉え、銃で狙う。


 凄まじい精度で発砲された銃弾は、メルトアではなくメルトアの抱く朔美の眉間に向かう。


「この……!」


 当然、着弾させるわけにはいかないので手の甲で乱暴に振り払った。

 それが良くなかった。


「……ぐっ!?」


 メルトアの動きが、銃弾を弾き飛ばして数舜の後止まる。

 様子がおかしい。朔美を抱くメルトアは、フラついて膝を付き、目を何度もこすっている。


 女は手の中の銃を弄び、どこまでも愉快そうだった。


「あはは! やだなぁ! 警察が人を殺したりするわけないじゃないですかぁ! これはインド象でも掠るだけで眠らせる麻酔弾。殺傷力は極限まで殺がれてますが効力は絶大。仮に相手が王族あなただろうと眠らせる、賢人種サピエンスの自信作です」

「……その割には、余はまだ寝ていない……が……?」

「ああ。強がらなくて結構です。混竜種ドラゴニュートの弱点は、ちゃんとあなたのお母様から聞いてきてるので」

「なん……だと!?」

「……ま、さっさと捕まっちゃってください。大丈夫。あなたが眠っている内に、あなただけはので」


 それが一番困る。だからメルトアのことを秘密裏に連れ回していたのだから。

 もし東京二十三区からメルトアが出れば、後に残るのは四人の悲惨な人生だけ。まだメルトアを返すわけにはいかない。


 だが――!


(……得体が知れない! コイツ、一体何手用意してきてるの?)


 不吉な気配がジョアンナの動きを鈍らせた。

 迂闊に手を出せば返り討ちにされそうな不気味さがこの女にはある。


 メルトアもまだ辛うじて無事だ。

 そして相手は本人曰く公務員。下手に刺激すればジョアンナもメルトアもお尋ね者となる。


 ここはあらゆる観点から逃げることが最善策。

 ジョアンナは己の情動を押し殺して静観する。


 逃げる隙を見つけるために。


「お前……何故こんなこと……!?」

「おや。流石に六歳児。何故私がここに来れたのかわかりませんか? この四麻さんは、あなたのクレカ情報が常に見えるよう携帯に設定してたんですよ。お仕事ですので」

「な……!?」


 当初の質問の意図するところではなかったが、メルトアにとってはそちらも十分衝撃的な内容だった。

 眠そうな目が僅かに見開かれる。


 女は自分の足元にあったクマのぬいぐるみを器用に蹴り上げ、銃を持った片手で巻き込むようにキャッチ。


 興味深そうに眺める。


「ひょっとしてですが、このクマさんをお友達に買ってあげた、とか? 何のために消えたのかはわかりませんが、こんなことのために居場所がバレるなんて間抜けですねぇ!」

「……余が……」

「んん?」

「余がお前を呼び寄せてしまった……のか……?」

「お前じゃなくて四麻さんです。まあ、簡単に言えばそういうことですねぇ。あ! つまり、そのグッタリしたお友達も結局はあなたのせいで傷付いてしまったのかも! 最高におバカで笑えますねぇ! アハアハアハアハ!」

「ぐっ……!」


 ……逃げる隙は見つけた。

 というか、そもそもこの女はジョアンナに大した注意を向けていない。

 不意を打てばいくらでもメルトアと共にデパートを抜け出せる。


 それが最善策だ。

 歯軋りの音が頭の中に響くのは無視すればいい。


「あれ? 何で泣きそうになってるんですか!? 全部あなたのせいなのに!?」

「違……余は、そんなつもりでは……!」


 最善策なのだから、すぐにそうするべきだ。

 それがメルトアのためでもある。

 あまりの苛つきに息が荒くなるが、運動に支障はない。


「アハアハアハ! ああ、ごめんなさい! 本当マジで泣いちゃいましたね! 私、そんなつもりじゃなかったんですけどねぇ! いやあまったく、王様気取りのガキはこれだから嫌いなんですよ! 頭が最っっっ低に悪くて!」

「余は……! 余のせいで……!」

「もう一発食らってください」


 タイムリミットだ。女は銃を、片手で再び構える。


「全部あなたのせいなので」


 パン、と軽い銃声。

 その前に聞こえた聞き捨てならない暴言。


(あ、ダメだ。もう限界)


 プッツン、と何かが切れた音。

 更に多くの破裂音。


 過つことなく撃たれたはずの銃弾は、別の銃弾によって弾き飛ばされる。

 どころか、女の身体に向かって無数の銃弾が着弾した。


「ジョアンナ……!」

「……ん?」


 緩慢な動作で、薄笑いを浮かべる女がジョアンナに振り返る。


 身体に傷は一切ついていない。

 やはり、未知の防御手段で身体を守っていた。


 こうなることは予想できていたはずだ。

 だがジョアンナは一切後悔していなかった。


「……何のつもりで?」

「見てわからない? 羽音がうるさいから害虫駆除よゴミ虫ッ!」


 強がり、銃を構えて存分に笑う。

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