第21話 ※王女の冠と責務。幼女の買い物と世話役
少々時間は遡る。
「……探したんだけど?」
「そうか? 余の機転のお陰で手間は省けたはずだが?」
通常ならば奥になど入らないスタッフオンリーの通路の先。
迷子センターはスタッフの休憩室とほぼ似たような位置にあった。
ジョアンナは眉を八の字に曲げながら、冷静に、極めて冷静にメルトアに問う。
「お嬢様。知らないかもなんだけど、あなたは今こんなことができる立場じゃないのよ? わかる?」
「……こんなこと? どれのことだ?」
ブヂ、と音が鳴った気がしたが、ギリギリのところで留めた。
堪忍袋の緒はまだ切れる寸前だ。
相手は王女なので角が立つような苦言はいけない。
「こ、心当たりがあるのならまだ救いようがあるわね……!」
「救いようがないパターンがあったのか。ええと、余のやったことは……別行動を取った。ジョアンナを迷子センターに頼んで呼んでもらった、の二つくらいか。どっちに怒っている?」
「どっちもだけどォォォ?」
特に二番目が酷かった。
『新宿区よりお越しのジョアンナ・バレルフォレストちゃん。迷子センターでお姉ちゃんがお待ちです。お近くの店員さんに場所を聞いて来てください』
という内容の放送を聞いたときは思わず人目も憚らず『クソガキ!』と毒づいてしまったほどだ。
落ち着け。
相手は幼女。相手は幼女。しかも王女。角が立つような怒り方をしたら後々に祟る。
頭の中で必死にそう呟きながら、心をクールダウンさせる。
「……下唇から血が出ているが。大丈夫か?」
「耐えてんのよッ! 死ぬほど怒りたいけど怒れないから!」
「段々漏れてきているではないか! 怒りが!」
「理由次第では身分は関係ないわ。全力でお尻
「撃つのか!? 余を!?」
「……お姉ちゃんの友達ー?」
「あぁ……?」
メルトアの巨体の後ろからおずおずと出て来たのは、クマのぬいぐるみを大事に抱える
見知らぬ顔ではない。
むしろ、ついさっき見たばかりの顔だ。
「さっきの迷子……?」
「……見捨てられなかったのでな。こっそり戻ってしまった」
怒りが困惑によって急激に冷めていく。
「さっきも五香が言ってたでしょう? ほっといても大丈夫だったのに」
「それはそうだ。余もそれで正しいと思う。だが、朔美は余の前で泣いていたのだ。何もしないわけにはいかないだろう?」
名前まで聞き出して、すっかり仲良くなったらしい。
ジョアンナの出鼻は見事に挫かれてしまった。
「……あなたね。さっきも言ったけど、あなた自身がそんなことできる立場じゃ……」
ジョアンナは、言いながら気付いていた。
筋が通っているのはジョアンナの言い分だ。だというのに、メルトアの行動にジョアンナは圧倒されている。
その証拠として言動が言い訳じみてきているのはジョアンナの方だった。
止めに、もう泣いていない幼女がジョアンナのことを不思議そうな目でじっと見つめている。
メルトアに体の大半を隠すような位置取りで。
「……はあ。事情があったのはわかったわ。あなたの軽率さを許容するわけじゃないけど」
「感謝する。小言を言わないだけで余には十分だ」
「……で? その子の親は?」
「余がジョアンナの呼び出しを依頼する前に放送してくれたので、そろそろだと思うのだが」
噂をすれば影が差す。
メルトアの予測通り、迷子センターの入口に、優しそうな雰囲気の女性が現れた。
「ママ!」
朔美と呼ばれた幼女はメルトアの背後から飛び出し、ようやく会えた母親に正面から抱き着く。
その姿を見送るメルトアの顔は六歳の幼女ではなく、責務を果たさんとする王族のそれに見えた。
「まったく……小さいくせに」
「大きいが?」
そういう意味で言ってない。
やはり子供だな、とジョアンナは肩を竦める。
◆◆◆
「本当にありがとうございます。ウチの子がお世話になったようで」
「よい。王族としての当然の使命もがもが」
「いえいえ。ただ単にこの子がお節介なだけですので」
余計なことを言わないように後ろ手でメルトアの口を塞ぎ、ジョアンナは外行き用のスマイルで対応する。
四人はスタッフオンリーの空間から退出し、店内へと戻ってきていた。
子供から大方の事情を聞いた母親は、メルトアだけでなくジョアンナにまで礼を言っている。
当のジョアンナは少し居心地の悪い気分だった。わざわざ訂正するのも面倒なので言わないが。
「ところで……この子が今持っているクマさんは……?」
「え? クマ?」
母親の質問の意味がわからず、ジョアンナは思わず聞き返してしまった。
朔美が持っているクマのぬいぐるみがどうかしたのだろうか。
いや待て。
確かにその辺の迷子として見つけた当初、この幼女はこんなぬいぐるみなど持っていなかったはずだ。
スカートを寂しそうな小さい両手で掴んで泣き叫んでいたのだから。
「ああ、それは余が与えたものだ。泣きまくっていて、あまりにも可哀想だったのでな。少しでも安心してくれればとその辺で買った」
「……!」
そこでジョアンナは沈黙する。
黙っている横で、母親が『申し訳ないのでお金を払わせてください』と遠慮がちに言い、メルトアが『よいよい。ぬいぐるみ一匹程度、大した出費にならぬ』と鷹揚に笑う。
その間、ずっと背中の毛穴が全開になるような感覚をジョアンナは味わっていた。
やがて母子は改めて礼を言ってから立ち去り、メルトアはやっとのことジョアンナの異変に気付く。
「……どうした?」
「一つ聞かせて。メルトア様。あなた、あのクマをどうやって買ったの?」
「クレジットカードに決まっているだろう?」
マジで横っ面張り倒してやろうか、このクソガキ!
……と、叫ばなかったのはジョアンナの理性がまだ残っていたのと、メルトアの買い物の目的が目的故だ。
むしろ小腹が空いて駄菓子を買いたくなったから、とでも言ってくれた方が素直に怒鳴り散らせたので精神衛生上よかったかもしれない。
「財布は持ってないのにクレカは持ってたの!?」
「母上が持たせてくれたのでな。いざというときのためにと。最初に着ていたドレスの内側に縫い付けてあったのだが……どうかしたのか?」
ジョアンナはもつれる手で五香の連絡先を表示。
電話を掛け、五香が出るのを待つ。
幸いなことに五香はコール後すぐに出た。
「今すぐこのデパートから出るわよ! 早く用事を済ませて!」
五香の困惑するような声が聞こえた気がしたが、事は一刻を争う。
いくら何でも、誘拐された王族がクレジットカードなど使えば話は冗談では済まないだろう。
誤魔化しももう通用しない。
誰かが来る前にデパートから姿を眩ます必要が――
「ぼ、暴走車だぁーーーッ!」
「え?」
唐突。そして、非現実的。
ジョアンナは、突然自分の目の前に起こった出来事を信じることができなかった。
黒塗りの乗用車がデパートの中を爆走している。
それは一切スピードを緩めることなく、近くに陳列された商品を車体に引っかけ、手当たり次第に破壊し――
「なっ……!?」
あの母子を轢き飛ばした。
予想できる衝撃ではない。二人は繋いでいた手を離し、別々の方向へとふっ飛ばされる。
メルトアが買ったクマも、宙を舞った。
やがて、二人の前方数メートルの位置に急ブレーキ。
タイヤから煙を上げながら車は止まった。
「ふう。飛ばせば意外と早く着くものですねぇ。いやぁ、八重ちゃんの連絡が事前にあって良かった! 本当にタイミングがいいんですよねぇ、あの子!」
ガチャリ、と中からスーツ姿にハイヒールの女が出てくる。
その姿は、五香にとてもよく似ていた。
年齢はいくらか上のように見えるものの、五秒ほどは違いを説明できない程度には。
「あ。本当にいましたね。王女様」
周囲に充満する死の臭い。
流石にドクターほどではないが、その女も人殺しの臭いを纏っていた。
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