第19話 ※交換屋の深層

 人の錯覚と思い込みを上手く利用した通路。

 ドクターの抱いた感想はそんなものだった。


 こんな狭い場所に道を作らないだろう。仮に作ったとしても何かの間違いだろう。この先に行っても何もないだろう。

 簡単にそう片付けてしまいそうな空間に道を作り、何かの間違いに見えるように段ボール等で上手く隠し、先に行くための通路を『どうでもいい場所』へと変貌させる手管。


 そういった道を二回ほど潜り抜けた末、コンクリートや配管が剥き出し状態になり、安っぽい蛍光灯しかまともな光源がない空間へと出た。


「ここ?」

「まだだ。あと少しだけどなァ」


 五香はその辺りの何てことはないコンクリートの壁に近付き、手の甲でゴンゴンと音を鳴らす。


「……ん!?」


 通常、コンクリートを素手で叩いても密度が違うのでまともな音など鳴るはずがない。


 だが今五香が叩いたとき、かなり大きく音が響いた。


 この壁はコンクリートのように見えるが、ハリボテだ。中に空間が広がっている。


「どーぞー」


 気の抜けた声と共に、コンクリートのハリボテは五香とは真逆の方向へと倒れ、中の空間が丸見えになる。


 まず目につくのは九つの分割モニター。

 それぞれ天気予報だったり、通販番組だったりを取り留めもなく再生し、音声はごっちゃに聞こえてほぼ意味を理解できない。

 聖徳太子でもない限りは、そこにあるのはただの情報のちゃんぽんだ。とても意義のある光景ではない。


 次に目についたのは、その部屋の住民についてだ。

 カップ麺の残骸や、空と化したお菓子の袋等が床にあったので誰もいないとは最初から思ってなかったが、それでも認識に時間がかかった。


 生きた毛布。


 そんなありえない印象で、ドクターの頭は一瞬フリーズする。


「うわっ……動いた!?」


 あまりの不気味さに声が出てしまったが、何のことはない。

 毛布の下に人がいるというだけの話だ。


 部屋の薄暗さ。湿っぽさ。気温の低さも合わさり、住人も含めて健全な空間とは言い難い。


「やっと会えたね、いーちゃん。しばらく見てないから本気で死んじゃったかと心配してたんだよ」

「や……交換屋。今は知り合いがいるからさァ。できれば子供扱いした言動はやめてくれるかなァ」


 五香の抗議を受けた毛布は、やっとのこと顔を僅かに覗かせる。


 光の方向と量のせいで眼光以外ほとんど見えないが、声と雰囲気から女性らしいということはわかる。

 しかもかなり薄着だ。ひょっとすると、下着姿なのかもしれない。


「これが交換屋……? 伝え聞く話からアウトロー感満載だったけど、随分とまあ不気味だね」

「……ん? まるで初対面の焼き直しみたいなことを言うんだね、

「ッ!」


 神経を全力で逆撫でされた。

 ドクターはすぐさま爪を展開させ、交換屋の鼻先を掠める軌跡で床を抉る。


「いいっ!?」


 床に模様が浮かび上がると、交換屋は間抜けな声を上げた。

 慌てて五香は止めにかかる。


「裏っち!」

「……信用するよ。その名前を知ってるってことは、腕はいいみたいだね。でもタイミングが悪すぎる。五香ちゃんの前でその名を出すことが自殺行為だとは思わなかった?」

「お……思わなかった……」

「あ?」


 交換屋は、震えながらも極めて意外そうな声色だった。


「今更の話すぎるし……ねえ。そもそも、キミの方こそ何を言ってるの? さっきからまるで初対面みたいにさ」

「……なあ。裏っち? 本当にここに来るの初めてなのかァ?」


 爪を構えながら警戒するドクターに五香がそう訊ねると、更に交換屋は困惑する。


「いや。何言ってんのいーちゃん。?」

「は?」

「まさか自分の手柄を忘れちゃったの? キミが連れて来たんだよ。私のところに。コイツと引き換えに情報をくれって」


 ビシイッ!

 何かに決定的な亀裂の入る音を、五香は確かに聞いた。


 訳も分からず、背中に嫌な汗が溢れかえる。剥き出しの殺気を向けられているのだ、ということにすら遅れて気付くような本能的危機感。


 ぬるん、とすっかり表情の抜け落ちたドクターの顔が五香に向く。


「……裏切ったの? ウチを」

「え!? 何!? 裏切ったって何のことだァ!?」

「……残念だよ。本当に……こうなったらこの場で二人を斬り捨てて、後のことは破れかぶれに処理するしかない……」

「すげぇ投げやりな台詞! 待て待て待て落ち着けェ!」


 事情はまだ呑み込めない。

 呑み込めないなりに、五香は気付いた。


 明らかに交換屋との会話が噛み合っていない。

 どこかの時点で致命的にズレている。誇張無しで、文字通り致命的に!


「せめて苦しまないよう、一瞬で息の根を引き千切ってあげるよ」

「止めてくれ! あ、いや止めるのすらやめてくれよォ!」

「え? え? 何? 何!? 私、何か変なこと言ったァ!?」


 バチン、と五香の頭の中でパズルのピースが嵌まった。


 交換屋は五香たちが知らない何かを前提に話し、そしてその前提を共有できていないことを認識していない。


 つまり。


 思考が激しくスパークしている間に、ドクターが見えない爪を振り被る。

 五香は決死の覚悟で叫んだ。


「……八重やえお姉ッ! ァ!?」

「十一月三日だけどォ!?」

「!」


 悲鳴混じりの交換屋の答えに、ドクターの動きがすんでのところで止まる。

 あたりには爪が巻き起こした風が吹き荒れた。


 渾身の速度で爪を五香に叩きつけようとしていたらしい。受けていたら、今ごろ五香は無残に死に果てていただろう。


「十一月……三日……?」


 ドクターが吟味するように口に出す。

 四人が失った四日間の記憶。その内容が思わぬところで繋がった。


 ドクターは殺気を収め、爪を仕舞い込んだ。


「……詳しい事情を聞く必要がありそうだね。ごめん。早まった」

「早まり過ぎだァ! あー、本当怖かったァ……」

「は、はわ……はわわわわわ……」


 午前中から濃密な殺気を浴びた交換屋は、風で捲りあがった毛布を拾うことすらせず、その場で尻もちをついて震えている。


 悪いことをしたな、とドクターが思ったのも束の間。


「あれ……?」


 毛布の下から出て来た、下着姿の女に既視感を覚える。

 別に、四日間の記憶を思い出したわけではない。


 ただ、この顔をどこかで見た覚えが――


「……あ!?」


 思わず二度見する。

 五香の顔と、交換屋の顔と。


 結果として、見間違いではなかった。

 強いて挙げるなら、違いはせいぜい眼鏡の有無と髪型と服装だけだ。


「ふ……双子!?」

「……従姉妹いとこだよ……クソ……」


 気まずそうに五香は頭をかく。

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