第八節 ウミからくるモノ、山から来た者 結び

ウミからくるモノ、山から来た者 結び

 一九一五年 一月





 岡田は情勢視察も兼ねて、イギリス領のインドを経由し日本へと帰国する。

 アトランティス勢力の影響を強く受けているインドに大蔵経の写本を連れて行くのは少しばかり気が引けたが、そのじつ全く問題なかった。


 誰も彼に気付かなかったのである。

 そう、魔術師達でさえも。


 日本に到着した岡田は九頭竜会大昇帝派の施設でテンバ・シローを養育したが、その期間は極短いものであった。

 テンバ・シローは日本語の読み書きを来日一週間で完璧に熟達マスターする。


 その後も、ものによっては一週間も掛からずに各国の主要言語を習得し続けた。

 言語を覚える序でに各国の歴史、文化、習俗、政情までも修めて行く。


 何故彼はそこまでの学習能力が発揮出来るのか。


 その答えは【虚空蔵菩薩こくうぞうぼさつ求聞持法ぐもんじほう】にある。

 この秘術を修めれば一度見聞きした物事は決して忘れず理解力も高まり、頭脳明晰を極めるのだと云う。


 虚空蔵菩薩・求聞持法は覚者密教に於いてかなり有名な術法である。

 但し修得するのは至難のわざで、大昇帝派の魔術師でも使えるのは数える程。


 その魔術師達でも、十回前後の挑戦でやっと修得出来たと言わしめる高難度術法なのだ。

 岡田が尋ねた所、テンバ・シローは初回の挑戦で修得したらしい。


 自らも魔術師であり大昇帝派を束ねる【井高上いたかうえ 大吾だいご】大佐もテンバ・シローを大いに気に入る。

 彼には日本の国籍ばかりか、陸軍士官学校卒業と云う偽りの実績と特務曹長とくむそうちょうと呼ばれる階級まで与えたのだ。


 特務曹長とは、この時期の帝国陸軍下士官階級最上位に当たる。

 そして井高上大佐は自身直属の秘密諜報部隊にテンバ・シローを配属、その任に就かせた。


 部隊に配属されたばかりのテンバ・シローは、魔術師ではない一般隊員達から冷やかしを受ける。


 若年である事、非常に小柄な上に体格に対して頭部が大きい事、額に特徴的なあざがある事などが理由だ。

 井高上大佐の寵愛ちょうあいを受けていたのも一因かも知れない。


 それとは反対に、魔術知識を持ち合わせた隊員達は彼の秘密を理解しており、決してからかう事などはしなかった。

外法頭げほうがしら〗だと判っていたからである。


 外法頭とは魔術で扱う呪物の一種であり、同じ呪法でも外法頭を使うのと使わないのとでは雲泥の差が出ると云われ珍重されて来た。

 厳密には頭のはちが開き目が両耳よりも下に付き、あごが不均衡にすぼんでいるそうを云う。


 だが大概は体格に対し頭部が大きい人物の頭蓋や、長頭ちょうとうに代表される変わった形状の頭蓋が用いられた様だ。

 人骨が用意出来ない場合は獣骨で代用する事もあったらしい。


 外法頭は高額で取引される為、魔術師相手の商売人は墓荒らしや殺人にも手を染めた。

 平和的な解決法では、外法頭を有する人物と生前に接触しておき、死後に頭蓋を譲って貰えるよう大枚をはたいて予約しておいたとの話まである。


 但し頭蓋の持ち主が成仏してしまっては効果がなくなると云うので、頭蓋を人の流れの激しい往来おうらいに埋めてその成仏を阻んだとも云われた。

 平和的に解決するどころか、死後の安寧さえ得られない訳である。


 その様な来歴の外法頭を生まれもって有しているテンバ・シローの魔術の腕がいかなるものか、魔術知識のある部隊員は容易に想像出来たであろう。

 なお、テンバ・シローをからかっていた部隊員達は直後の任務から一人づつ惨死してった事も付け加えておく。


 テンバ・シローはどの様な服装の時にも必ず緑色の品物を身に着けた。

 軍服を着用している時は緑色の手袋と云う風に。


 緑色の手袋を着けた魔術師は瞬く間に出世階段を駆け上がり、今や井高上大佐直属の魔術実戦部隊である【外法衆げほうしゅう】隊長に抜擢ばってきされた。

 これ以来テンバ・シロー改め日本名【天芭てんば 史郎しろう】は、井高上大佐の懐刀ふところがたなとして国内外のアトランティス勢力や瑠璃家宮派などを相手に熾烈な闘いを繰り広げる事となる。


 そして出会う事となるのだ。


 数奇な運命を背負った青年……宮森 遼一と、彼を守護する呪われた落とし児に――。





 岡田 慧山とテンバ・シロー出立後 ラマの部屋にて





 岡田とテンバ・シローの出立を見届け、自室で一人瞑想していたラマの許へ〈影〉からの思念が届く。

 その思念のやり取りは、親昵しんじつ間柄あいだがらで交わされる駄弁だべんの様に遠慮のないものであった。


御久おひさしゅう御座いますな、〈エメラルド・ラマ〉』


『……誰じゃと思うておったら御主おぬしか、久しいな……』


『今回はまた上手い事丸め込んだものですね。

 九頭竜会大昇帝派さん達はラマこそがムー帝国の盟主だと信じ切っている。

 流石は〈エメラルド・ラマ〉……【大いなるあざむく者】の異名は伊達だてではありませんね』


『ふぉっ、これはたわけた事を。

 元々は御主の入れ知恵であろう。

 それに、御主ほど頭と口が達者な者もおるまい……』


『これはこれは御謙遜ごけんそんを。

 私などまだまだ、大いに勉強させて頂いてますよ』


 ここに来て、ラマの思念が一瞬ではあるが張り詰めた。

 久方ぶりの来訪者である〈影〉に対して、いぶかしみの念が感じられる。


『話し掛けて来たのは何か魂胆があるからじゃろう?

 言うてみよ……』


『魂胆だなどと滅相めっそうもない。

 私は只ラマに勝って欲しいだけです』


『相変わらず底を見せんな……まあ良い。

 御主、はアトランティスに加勢したの……。

 今度は我を担ぐ積もりか?』


『人聞きの悪い事を仰る。

 私はこの世界を面白くしたいだけなんですがね』


〈影〉が幾分かしこまった態度でラマに呼び掛ける。


『親愛なるエメラルド・ラマよ。

 私の助言を聞き入れて下さるのならば、その御身おんみが御健在の内に計画の成就を御約束致します』


『二つどもえから三つ巴か……。

 とは勝手が違う……。

 負け戦にならなければよいがの……』


『そうはさせません。

 私も期待しているのですよ、【ハスターの帰還】に……』


『……時にお主、今はなんと名乗っておる?

 また巫山戯ふざけた名前じゃろう?』


『名前ですか?

 今は日本にいるので主に日本名を名乗っています。

 鳴戸寺なるとでら 保夫やすお、と云うんですよ。

 ではラマよ、私はこれにて御暇します。

 それでは又、混沌の這い寄るままに…………』


『ふぉっ、結局巫山戯ておるではないか、お主も変わらんの……』


 二柱ふたりの会話は親密さを取り戻し終了した。

 しかしそれは、凶事の到来と同義である。


 極東の帝都に、大災厄の影が迫っていた――。





         ウミからくるモノ、山から来た者 結び 了

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る