第四節 つかの間の休日、そして仕上げ

つかの間の休日、そして仕上げ その一



 ――硝子ガラス


 ――水。


 ――色のない壁の向こうで誰かが笑っている。


 ――随分ずいぶんと楽しそうだ。


 ――ゆらゆらとして固まらない。


 ――上手く形造れない。


 ――ウタが聞こえる。


 ――歌っているのはあの子か。


 ――あのか。


 ――あのか。


 ――ウタを聞いていると頭のしんからとろける。


 ――せっかくカタチになれたのに。


 ――このままだとき回されてしまう。


 ――練切ねりきりみたいにたましいぜられてしまう。


 ――もう其処そこまで来ている。


 ――色のない壁の向こうに。


 ――こっちをている。


 ――のぞいているのは誰だ。


 ――壁の向こうからウデが伸びる。


 ――腕ではない、触手うで


 ――ああ、これで交ぜるのか。


 ――ちゃんと交ぜ切って貰えるのか気になる。


 ――――……あの子を助けてください。


 ――あの娘?


 ――あの児?



 ――――、





 ――支子くちなし色の空。


 ――鈍色にびいろの土。


 ――虹色の柱の向こうで誰かが泣いている。


 ――随分悲しそうだ。


 ――くらくらとして定まらない。


 ――境界あわいが確定しない。


 ――祝詞ウタが聞こえる。


 ――うたっているのはあの人か。


 ――あのひとか。


 ――あのひとか。


 ――祝詞ウタを聞いていると身体カラダの中からぜる。


 ――せっかく産まれてくれたのに。


 ――このままだとすすられてしまう。


 ――飴玉あめだまみたいにたましいめとられてしまう。


 ――もう此処ここからってしまう。


 ――虹色の柱の向こうへ。


 ――あっちを観ている。


 ――顕現してのぞいているのは何だ。


 ――柱の向こうへアシが引っ込む。


 ――脚ではない、触脚あし


 ――ああ、あれで啜るのか。


 ――残らず吸い尽くして貰えるのか気になる。


 ――――あの子を助けてください……。


 ――淡子あわこ……。


 ――蛭子ひるこ……。



 ――――。



[註*練切ねりきり=『練り切りあん』の略称。

 白餡に砂糖やくず、つくね芋、微塵粉みじんこ(もち米を加工した米粉の一種)、求肥ぎゅうひなどのつなぎ食材を加えて練って作る高級菓子。

 見た目の美しさから『食べる芸術』と称される事も。

 くずやつくね芋を使用した高級品は味の劣化が早く、店先に並ぶ事はまずないので要警戒]





 一九一八年 一一月 宮森の自室





『……リ、……モリ。

 ミヤモリ起きろー、コノヤロー』


「…………う、うぅ~ん、ん? 明日二郎? もう朝?」


『朝っつーかもう昼前だぞ。

 そんでもって肉声でてんぞ。

 イイカゲン気を引き締めろ。

 布団片付けたら飯食うぞ。

 早くしろ』


『分かった、分かったからそう急かすな。

 先ずは一服させろ』


 宮森は明日二郎に言われた通り布団を片付け、明日二郎には取り合わずゴールデンハットを吹かし始めた。

 何かを思い出したのか、おもむろに股間をまさぐる。


 その光景を観ていた明日二郎は宮森の脳中で得意気に声を上げた。


『な、ダイジョーブだったろ?

 お前さんを起こさずに処理してやったぜ。

 だから、一服したら直ぐに飯だぞ』


『あー女将さんと顔合わすの気まずいなー。

 誰かさんの所為でー』


『終わったコトをネチネチと穿ほじくり返しやがって、だからお前さんはモテないんだよ!』


 三日前出逢ったばかりの筈だが、彼らの掛け合いは竹馬ちくばの友の様に遠慮がない。


 ようやっと一服し終えたのか、宮森は褞袍どてらを着込み階下の便所へと向かう。

 用を足し乍ら、昨夜の明日二郎の手並みにひと先ず安心した宮森であった。


 炊事場からは良い匂いが漂って来ていて、居間に入った途端に明日二郎などは興奮し出す。

 女将にどう言い訳しようかと気を揉んでいた宮森であったが、腹の虫に加えて頭のムシまで騒ぎ出しそれ所ではなくなった。


 女将が炊事場から上がって来る。


「あら宮森さんおはよう。

 さば味噌煮みそに、もう直ぐだから待ってて」


「あのっ、女将さん……。

 昨晩は大分酔ってたみたいで、よく覚えていないんですが、なんか変なこと言ったかも知れませんが……その、気にしないで下さい……」


「あはははは……な、なんかあったかね~。

 意中の女性ひとに袖にされでもして、むしゃくしゃしてたんじゃないかい?」


「そ、そうでした。

 振られたんでした、自分。

 ご迷惑をお掛けして、申し訳ありませんでした……」


「なんの、若いうちは当たって砕けろってね。

 ん? 鯖の味噌煮、もうそろそろだね」


 当たりさわりのない会話で収まり、ほっと一息ついた宮森。

 だが、隣で気分を爆上げする相棒には辟易へきえきするしかなかった。





         つかの間の休日、そして仕上げ その一 了

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