エピローグ9 桜葉孝也

 怒涛の勢いで通知が届くスマホに、落ち着けと言うほうが無理な話だった。

 まるで実況でもするように、悠里からメッセージが届きまくる。

 灯々希本人はスマホを操作している余裕はないらしい。

 つまりそれだけ、生まれる瞬間が近づいているということだ。

「もうちょっとだ……待っててくれよ」

 ようやく次が降りる駅だ。

 大きな病院じゃなく、もっと近場の病院にしておくべきだったかもしれないと、今更ながらに思う。

 本当に今更だが、次があればそのあたりも検討材料にしよう。

 それよりも今は、目の前の出産だ。

 あと二分もすれば電車が止まる。

 こんなにも電車の到着が待ち遠しいのは初めて……でもないけど、早くしてくれとソワソワしてしまう。

 灯々希とのデートに遅刻しそうなときや、悠里の卒業式に遅れそうなときもソワソワしたものだが、今回はその比じゃない。

 悠里からの連絡に紛れて、翔太からもメッセージが届く。

 夜になったら病院に顔を出すそうだが、バイト中にスマホを弄るのはどうかと思う。

 まぁ、いつもはそんなことしないやつだけど、今日は気が気じゃなかったのだろう。

「早く、早く、はやく……」

 減速し始めた電車に、思わず足踏みしてしまう。

 ドアの前に陣取っている状態では、不審者みたいに思われるかもしれないが、この際どうでもいい。

 とにかく一秒でも早く電車から飛び出して、タクシー乗り場に向かうのだと移動ルートを脳内に描く。

 ようやく電車が止まり、ゆっくりとドアが開いた。

 両手で押しのけたくなるのを我慢しつつ、通れるギリギリの隙間から滑り出すように電車を降りた。

「――っと、す、すみません!」

 気を付けていたはずだが、電車から降りた際に誰かにぶつかってしまった。

 たたらを踏みながら振り返り、すぐに謝罪する。

「…………って、あ、あれ?」

 確かにぶつかった、そう思ったのだが、振り返った先には誰もいない。

 少し離れたところにスマホを眺めている人の姿はあるが、距離的には違うはずだ。

 もう乗り込んでしまったのかと思って車内も見るが、それらしい人影は見当たらない。

「おかしいな」

 どう考えても誰かとぶつかったはずなのに、それが誰なのかわからない。

 わからないどころか、まるで認識できないようで……。

「と、とにかくすみません!」

 急がなければという気持ちのせいで余計に混乱し、誰にともなくそう叫んで俺は階段を駆け上がった。

 そもそも、焦りすぎてドアにぶつかっただけかもしれないし。

 気にならないと言えば嘘になるが、今は私情を優先することにした。

 幸いにもタクシー乗り場で順番待ちをすることはなく、すぐ病院に向かうことができた。

 よほど焦りが顔に出ていたのだろう。

 運転手さんに心配されたが、子供が生まれそうでと言ったらおめでとうと祝ってくれた。

 安全運転で急ぎますという運転手さんの言葉に、少しだけ落ち着きを取り戻せた。

「シャワーの意味がないな、これじゃ」

 大した距離は走っていないのに、しっかり汗を掻いてしまっていた。

 ちょっと汗臭くなったかもしれないが、そこは我慢してもらおう。

 運転手さんにお礼を言ってタクシーを降り、病院に駆け込む。

 走らないで、と注意されないよう足早に歩きながら、病室を目指した。

「お、お待たせ!」

 病室のドアを開け、最初に出た言葉がそれだった。

 すでに集まっていた義両親、それに悠里と音羽ちゃんが一瞬目を丸くして、それから笑う。

 もちろん、灯々希も一緒だった。

 ベッドではなく、車椅子に座っている灯々希の手を握る。

「間に合って、良かった」

「あ、あぁ、悪い。えっと、どうだ?」

「うん、もうすぐ。今からね、分娩室に向かうところ」

「そうか」

 分娩室、という言葉に緊張感が増す。

「ほ、本当に生まれるんだな」

「今度はね、間違いないと思う」

 なにか確信でもあるのか、灯々希は嬉しそうに笑みを浮かべる。

 陣痛の痛みか、額に汗が浮かんでいた。

「それじゃあ、移動しますので。お父さんもご一緒に、でしたよね?」

「……はい」

 やってきた助産師さんの言葉に頷く。

 お父さん、という言葉に、背中が震えた。

 そんな俺の手を、灯々希がギュッと握り返してくる。

「それじゃあ、行こっか」

「……あぁ」

 力強く頷き返し、病室に集まっているみんなの顔を見る。

 ここにいてくれる人だけじゃない。

 いろんな人に応援され、助けられ、ここまで来たんだと思える。

 信じられないような奇跡の積み重ねを経て。

 どれだけの言葉を尽くしても、感謝は伝えきれない。

 それはこれからも、もっと増えて行くのだろうけど。

 だから今は、こう言うのが相応しいはずだ。

「行ってきます」

 灯々希と声を揃えてみんなに伝え、子供を迎えに行くような気持ちで、分娩室へと向かった。

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