エピローグ7 神無城うてな

「そろそろ、かな」

 必要以上に大きな器を真っ新にして席を立つ。

 自信満々だった店主の顔が、今は間抜けなものになっていた。

 いや、驚きすぎでしょ、と思わなくもない。

 食べきれる自信がなきゃ、挑戦なんてしないのに。

 引きつった笑顔に手を振って店を出る。

 最近はこういう、バカみたいに大盛りの食事を格安で提供してくれるお店が増えてきた。

 私としては非常にありがたい流行だ。

 満腹度は半分くらいと言ったところだけど、生憎と次の予定があるのでこの程度にしておく。

 そのまま意気揚々と通りを進み、目的地であるお店に到着した。

 時間はぴったり。

「バイトは終わりですか?」

 予想通りのタイミングで店から出てきた女性に声をかける。

 彼女は私に気づくと、すぐ満面の笑みを浮かべてくれた。

 実に華やかな、それこそ花が咲くような笑顔だ。

「はい。今日はお皿を割らずに済みました」

「んー、なるほど。今日は、ね」

 彼女がここで働き始めてもうずいぶんと経つはずだけど、まだミスはするみたいだ。

 そのあたりは実に彼女らしいというか、微笑ましい。

「今日は食べにきませんでしたけど、どこか違うお店で済ませちゃったんですか?」

「うん。あっちにね、大食いチャレンジができるとこがあったから」

「あー、はは。その様子だと、また勝ちみたいですね」

「当然。むしろ物足りないくらい」

「さすがは大食いの異名を持つうてなさん、ですね」

「……あいつの戯言は忘れていいから」

「かっこいいじゃないですか」

「……とにかく、忘れて」

 やっぱりパートナーの深月を紹介するんじゃなかったと、内心舌打ちする。

 彼女自身に悪気が一切ないので、怒りの矛先は深月に向けるしかない。

「お食事じゃないなら……あぁ、デザートの時間ですか?」

「ん、それもあるけど、近くに来たから。どうしてるかなって、ね」

「おかげさまで、時給がちょっとアップしました」

「おおー。じゃあお祝いに今度また、飲みに行こっか」

「あ、いいですねぇ。久しぶりに酔いどれちゃいましょう」

 他愛のない会話だ。

 私と彼女の関係は、ただの友人。

 他にも友人と呼べる人間はいるけど、彼女は少しだけ違う。

 初めて彼女と会ったのは、かれこれ五年前。

 そのとき彼女は、アンジェと名乗っていた。

 でもある日を境に姿を消し、そして忘れられた。

 あの頃は友人なんて呼べるものではなく、ただの顔見知り。

 友達の友達、みたいな関係だった。

 当時の彼女は、私にとっては監視対象の一人。

 組織から請け負った任務として、彼女を監視していた。

 ただそれだけではなく、別の人物も一緒に監視することになっていたので、いろいろと面倒な部分もあったのだが、それはまた別の話だ。

 とにかく彼女に関する情報は謎だらけで、存在そのものが異質だった。

 彼女だけではなく、同居していたセフィという人物に関しても同じだ。

 もしかしたらという予想はついたが、正体について確証は得られなかった。

 まぁ、私としてはそれでも良かったのだが、問題は別にあった。

 彼女の消え方だ。

 姿を消すだけならわからなくもないが、彼女に関する情報や記録までもが同時に消失したのだ。

 組織のデータベースからも、そして彼女に関わった全ての人間の記憶からも。

 写真や動画ですら、彼女という存在の痕跡を確認できない。

 深月でさえ、彼女に関する任務の内容を忘れていたくらいだ。

 唯一の例外は、私だけ。

 私という人間だけが、彼女を覚えていた。

 理由はまぁ、お決まりのあれだろう。

 私――神無城うてなが異邦人であるがゆえに、だ。

 世界中から情報や記憶が消失するなんて、普通じゃない。

 だから彼女の正体が、ただの人間じゃないことは確かだった。

 自分だけが覚えていることが引っかかり、仕事の合間に私は探した。

 あのいけ好かない、口やかましい人工知能の力まで借りて。

 彼女を見つけられたのは、二年前。

 記憶を失ったまま、まったく異なる身分で生活していた。

 どう考えてもおかしいのだが、世界はそれを認めていた。

 決して裕福ではなかったが、ちゃんとした身分を持って存在していたのだ。

 ある、一人の人間として。

 いくら調べても、背後組織は出てこない。

 ならどんな力が彼女を世界に溶け込ませているのか、なんてことは考えるのをやめた。

 たぶん、考えても私じゃたどり着けない。

 少なくとも、この世界では。

 彼女のことは組織にも報告していない。

 深月には話して顔も合わせたが、やはり思い出したりすることはなかった。

 ならまぁ、それでいいかと思った。

 組織は彼女に対して興味を抱いていないし、監視する任務はもう終わっている。

 なのにこうして会いに来るのは、私の個人的な感情に他ならない。

 誰も彼にも忘れられ、別人として生きる彼女。

 異邦人である私と、どこか似ているような気がして。

 私だけが、以前の彼女を覚えている。

 いや、もう一人いる。

 人間ではない彼女――セフィと名乗っていた存在も、彼女のことを覚えていたようだ。

 あまり深く関わらないようにはしているようだが、ときおり顔を見に来ているのは知っている。

 私も顔を合わせたことがあるし、少しだけ話したこともある。

 かなり敵意を向けられたが、仕方ない。

 あっちも私という存在を許容するのは難しいだろうし、異物としか思えないだろうから。

 それでもまぁ、彼女を見守るという一点において、立場は一緒だった。

 だから今でもときどき、話すことはある。

 必要であれば力を貸すことも。

「それじゃあ、私はそろそろ。今日は特売日なので」

「あー、ゴメンね。それじゃ、また連絡するから。帰り道、気をつけて」

「はい。うてなさんも、お気をつけて」

 そう言って立ち去る彼女の背中を見送りながら、髪飾りに触れる。

 そこにあるのは、忘れられない記憶と感情だ。

「……ただの自己満足、だけどさ」

 彼女に関わることは、私の目的とは一切関係がない。

 それでも放っておけないのは……いや、放っておけないからこそ、人間なのだと思う。

 胸に宿る痛みと温かさを噛み締めながら、私も踵を返して歩き出した。

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