エピローグ4 上郷悠里

「って言うかさ、希望がないって言うなら実家の手伝いとかでもいいんじゃない?」

 それらしいアドバイスはできそうにないので、パッと思いついたものを提案してみる。

「それは家事手伝い、という意味ですか?」

「いや違うけど。あーでも、音羽がそうしたいならそれもまぁアリかなとは思う」

 あれこれ悩んで無理にでも就職するくらいなら、一息入れるのも悪くはないはずだ。

 音羽の両親なら、それでもいいと言ってくれそうだし。

 なによりあの社長なら、そのほうが喜びそうでもある。

 一人娘の溺愛っぷりは今も健在で、むしろ一人暮らしを始めてからは更に凄くなったような気もする。

「さすがに稼がないという選択肢はありません」

「だよね。だからさ、あの会社に就職しちゃえばいいんじゃないのかなって。事務とか経理とかあるでしょ?」

 製造業について詳しいわけじゃないので、あくまでイメージでしか語れないけど、そういう音羽向きの仕事はあると思う。

 枠が空いているかどうかは、この際考えないとして。

「私がいなくても、父の会社は問題ないですよ」

「んー、まぁね。でもほら、今の世の中、どうなるかわかんないし。新しい風っていうの? もっと先の将来を見据えた経営とかさ、音羽は考えるの得意そうじゃん」

「……以前、うちで飲んだときに私、なにか言っていましたか?」

「いや特には。でもその顔、考えてなかったわけじゃないんだ、やっぱ」

「……全くない、とは言いませんけど」

 どうやら音羽も、実家の仕事を手伝うという考えはあったらしい。

 あたしに言い当てられて複雑そうな顔をしているけど、わりとあり得る選択だと思う。

「先輩の言う通り、事務や経営面では力になれることもあるかと思っています。一応、資格などもいくつか取っていますし」

「あー、そういやそうだったね。なんだ、結構そのつもりだったんじゃん」

「最終手段として、です。希望欄で言えば、最下層の」

「でも準備はしてた。やっぱり気になるよね、実家が会社を経営してたらさ」

「……そこまで無関心では、いられませんよ」

 やれやれとでも言いたげにため息をつき、音羽は視線を落とす。

 あたしに言わせてみれば、その考えが頭にあるからこそ、他の就職先に興味が抱けないんじゃないかと思える。

 あらかじめ資格を取っておくなんて、真剣に考えていなければしないだろうし。

 仮にどこか別の会社に就職しても、実家の経営がピンチにでもなったら、すぐそっちを優先するはずだ。

 あたしが知っている、坂崎音羽という人間なら。

「どうかと思うんです。親の会社だから、なんて理由で就職していいのかどうか」

「そこ、悩むとこ? いいじゃん、実家の手伝いでも。ちゃんと成果を出して、お給料もらえばさ」

 縁故採用にしか見えなくても、あの会社の人たちなら音羽を歓迎するだろうし。

「よくよく考えると、音羽こそ必要な人材な気がする」

「一応、理由を訊かせていただけますか?」

「経営方針とかにもズバッと口出せそうだから」

「……確かに、しっかり学んだ上で気になる点があれば指摘はすると思いますが」

「でしょ? そういう人がいるって、結構大事じゃないかなぁ。お母さんはそのあたり、口出ししない感じでしょ?」

「えぇ、そうですが……」

「ならますますいいじゃん。それに音羽だったらそのまま営業とかもできそうだし。もうね、想像できる。呆れるくらいにバンバン新規の仕事増やすとことか」

 父親とは全く違う視点から、新しい仕事を開拓していく姿が目に浮かぶ。

 音羽もたぶん、なんとなくだが自分でも想像できているんじゃないかと思う。

 宙を見つめる視線が、はっきりとなにかを見据えていた。

「あたしとしてもさ、あの会社には頑張ってもらわなくちゃいけないわけだし」

「……桜葉さんのため、ですか」

「そそ。利益が上がれば、巡り廻ってタカ兄の給料も上がるかもだし。そういう意味ではもうね、ぜひとも音羽には頑張っていただきたい」

「確定している前提で話さないでください」

「いやいや、ちゃんと考えてみてよ。音羽の頑張りで会社の業績が上がる。そうしたら音羽の立場っていうか、役職とかも偉い感じになる」

「ただ苦労が増えるだけ、という気がしますけど」

「でもその分、発言力が増すわけよ。そんで偉い肩書でもつけばもうさ、あれだよ。タカ兄をこき使えるかもしれない」

 なんとなくノリで言っているだけだが、音羽は意外にもふむ、と頷いていた。

 そしてたぶん、ちょっと想像している。

 タカ兄に対して、絶対的権力を握るという光景を。

「……まぁ、経営が傾いても困りますので、検討する価値はありますね」

 まんざらでもない感じで、口元にも笑みが浮かんでいた。

「でしょ?」

「はい。ありがとうございます。なにをどう考えればいいか、少しだけわかったかもしれません」

 どうやら少しは、着地点が見えてきたらしい。

 と、音羽はそのまま目を細めて、なぜか笑いかけてきた。

 この数年で大人っぽさがグッと増した笑みに、かつての少女だった面影が混じる。

「先輩が男の人だったら良かったのにと、少し思ってしまいました」

「は? 意味わかんないんだけど」

「そうだったら惚れていたかもしれないな、と思ったもので」

「は、はぁ? ちょ、変なこと言わないでよ」

「そこまで変なことは言っていないと思いますが。顔、赤いですよ?」

「うわぁ、久しぶりに見た、その顔」

「えぇ。私も久しぶりに、人をからかう楽しさを思い出せました」

「あー、そうだった。あんたってそういうやつよね。うん、知ってた」

 相変わらずというかなんと言うか……。

 タカ兄の苦労が少しだけわかった気がする。

 この子を相手にするのは、なかなかに大変だ。

 まぁ、今のは軽く笑い飛ばせなくて、あたしが隙を見せたのが悪いんだけど。

 あまりにも予想外すぎて、不覚にも照れてしまった。

 こんなやり取りをできる相手は、そう多くない。

 真剣な話もふざけた話も、からかったりし合うのも。

「ホント、いい性格してる」

「ありがとうございます」

 すっかり吹っ切れた顔で、音羽はにやりと笑う。

 思わずこっちまで、笑みがこぼれてしまった。

 本当にいい性格をしているけど、そこが好ましかったりするから厄介だ。

 音羽はたぶん、ずっと付き合っていける友達だと思う。

 そんな音羽とあたしを繋いでくれたのは、確かめるまでもなくタカ兄で。

 だからきっとこれは、タカ兄がくれたもの。

 ずっと付き合えそうな友達と言えば、うてなの顔も浮かんでくる。

 どちらも不思議な縁で結ばれた、かけがえのない相手。

 さすがに口に出して言うのは恥ずかしいので、絶対に言わないけど。

 ただ、ちょっとだけ確かめてみたい気持ちもあった。

 音羽もあたしと同じように、そう想ってくれていたらな、なんて。

「そろそろですね」

「あぁ、ホントだ」

 軽い進路相談をしている間に、意外と時間は経っていたらしい。

 気が付けばもう、次が目的の駅だった。

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