14-15

 身体を清めて新しいシャツに袖を通し、ベッドに戻る。

 いろいろと問題はあったが、おかげで気分は良くなった。

 その代わりに、薬が効いてきたのか、昼間を寝てすごしたにも関わらず、眠気に襲われる。

「眠れそうですか?」

「たぶん。その、ありがとう」

「いえ、これくらいは」

 洗濯籠にタオルやシャツを入れて戻ってきた音羽ちゃんは、俺の定位置――ベッドのそばにある座椅子に腰かける。

 まるでそのまま、俺が眠るのを見届けると言わんばかりだ。

「今、何時?」

「そろそろ九時、ですね」

 もうそんな時間か。

 食事をして身体を拭いてもらっただけなのに、随分と遅い時間になっていたようだ。

「音羽ちゃん、俺はもう大丈夫だから、そろそろ帰らないと」

 歩いて十分程度の距離とは言え、いい加減帰らないと社長や奥さんが心配する。

「その点は問題ありません。今日はここで休ませていただきますので」

「……待った。なに言ってるの?」

「ですから、朝までちゃんと看病します、ということです」

「いやダメだよ。ちゃんと帰らないと」

 さらりと言っているが、問題しかない。

「平気ですよ。桜葉さんは寝込んでいるのですから。問題なんて起こりようがありませんし」

「そういう問題じゃなくて……しゃ、社長だって心配するし。泊まっていいなんて言ってないでしょ、たぶん」

 連絡して確かめるまでもない。

 いくらなんでも、外泊を認めるわけがない。

 事実、音羽ちゃんは答えずにそっぽを向く。

「思っていたよりも具合が悪そうなので、放ってはおけません」

「いや、おかげさまで大分良くなったから。これなら一人でも平気だよ」

「病人の大丈夫は信用できません。特に桜葉さんのような性格の方だと」

 病人を相手に卑怯な言い方はやめて欲しい。

 それにしてもなんだろうか、この違和感は。

 音羽ちゃんはなんだか、意地になっているように思える。

「とにかく、ダメだから。早く帰ろう」

「……あれだけ悶えておいて、今更真面目な発言をされても、説得力がありません」

「そ、そこは置いておこう」

 今問題にするべきポイントは違う。

「病人を看病するのは、咎められるようなことではありません」

「なんと言われようと、ここは譲れないって」

 いつものようにふざけている雰囲気ではない。

 それに音羽ちゃんも、自分の発言が正しいとはきっと思っていないはずだ。

 目を逸らしているのが、それを物語っている。

「さっきからスマホ、何回か鳴ってるし。奥さんか社長から、でしょ?」

「……病人なのに目ざといですね」

「おかげさまでね。やることも、特にないし」

 振動の長さから、メッセージだけではなく、電話もかかってきているはずだ。

 音羽ちゃんが気づいていないとも思えない。

 出ない理由は、いくら俺でも察しがつく。

「両親なら、きっと理解してくれます。私のことも、桜葉さんのことも信用してくれていますから」

「そういう問題じゃ、ないでしょ」

 出かかった咳をどうにか堪えた。

 このタイミングで咳をするのは悪手だ。

 音羽ちゃんが付け入る隙は、極力見せないようにしないと。

「私が看病するのは、迷惑ですか?」

「感謝してるよ。でも、泊りがけになるなら、それは迷惑、だよ」

 胸の奥で疼く痛みを感じるが、ここだけは譲れない。

「音羽ちゃんは未成年なんだから、ちゃんと帰らないとダメだ」

「……いつもの我がままと同じですよ」

「全然違うよ。本当にこれだけは、ダメだって」

 一晩中看病する必要はないと証明するように、上体を起こす。

 軽いめまいを覚えるが、表情には出さない。

「上郷先輩に告げ口すると言っても、ですか?」

「……あんまり良くはないけど、それでも、だよ」

 悠里に心配をかけたりすることになっても、音羽ちゃんを泊めるわけにはいかない。

 施設にみんなで泊まるのとは、違いすぎる。

 なにより両親の許可がないのだから。

「病気のときは、厳しくなるのですね」

「健康なときだって、答えは同じだよ」

 まだ納得できないのか、唇を引き結んで頬を僅かに膨らませる。

 妙に子供っぽい態度が、なぜか微笑ましく思えた。

「夜中に具合が悪くなったら、どうするつもりですか?」

「その時は、そうだな……お隣さんを頼るよ」

 失念していた選択肢だが、今ならそれを選べる。

「私はダメで、アンジェさんならいいのですか?」

「あれでも一応、大人だから」

 普通の人間と同じ尺度で測れるかはなぞだが、少なくとも自分の行動に責任を持てる立場であることに変わりはない。

 一向に働く気配がないが、それでも音羽ちゃんとは違う。

「…………やっぱり私はまだ、子供ですか」

「大人とは、言えないかな」

 どれだけ大人びていようと、頼りになる存在であろうとも、音羽ちゃんはまだ、未成年なのだから。

「……わかりました。今日は、そうします」

 まだ葛藤はあったようだが、音羽ちゃんは一応納得したと頷いて見せてくれる。

 そのことに俺は、安堵のため息をついた。

「でも、朝一でまた様子を見にきますから。それなら問題、ありませんよね?」

「寝てるかもしれないけど、わかった。明日もその、お願いするよ」

「えぇ。なので一晩で良くなりすぎないでくださいね」

「……できれば元気になりたいかな」

「ダメです。まだ看病、したりませんから」

 ひどい言い草に聞こえるが、思わず苦笑してしまうくらいに、表情はいつもの音羽ちゃんそのものだ。

「送ってはいけないけど、気を付けて」

「……桜葉さんが変なところで常識を優先するからじゃないですか」

 最後に皮肉めいたことを言って、音羽ちゃんは帰って行った。

 静かに閉まる鍵の音に、息を吐く。

 今のやり取りで、また少し、熱が上がった。

 冷却シートをもう一度交換して、部屋の明かりを消す。

 昼間とは違って、これならすぐにでも眠れそうな気がした。

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