14-14

「ご馳走さま。いろいろありがとう」

「これくらいは。あ、あとはこれ、薬です」

「本当になにからなにまで……」

 用意された薬を水で流し込み、一息つく。

 音羽ちゃんが食事を作っている間、眠ることはできなかったが、冷却シートと水分補給ができたおかげで、調子はよくなった気がする。

 おかげで食べられるか心配だった食事も、喉を通った。

「おかゆ、美味しかったよ」

「お口にあいましたか?」

「あぁ」

 どういう作り方をしたのかは知らないが、俺が灯々希に作ったものとは別の食べ物みたいだった。

 工夫次第では、おかゆでも美味しく作れるらしい。

 今度、レシピくらいは調べてみようと思う。

「さ、薬を飲んだのでしたら横になってください。それと額のそれも交換しましょう」

 いやもう本当に、なにからなにまで世話をされてしまっている。

 音羽ちゃんに言われた通り、ベッドに戻って冷却シートを交換した。

 洗い物を済ませた音羽ちゃんも戻ってくる。

「私に任せてくれて良かったのに」

「これくらいはね」

 甘えすぎるのも落ち着かないので、我慢してできることは自分でしたい。

 そんな俺の強がりを見透かしているのか、音羽ちゃんは微笑を浮かべていた。

「調子はどうですか?」

「楽になったよ、凄く。本当にありがとう」

「さっきも聞きました」

「それくらい感謝、してるから」

「父を説得してきた甲斐がありました」

 いくら気にかけてくれる社長と言っても、さすがに二つ返事では許可してくれなかったようだ。

 父親としては、正しい判断だと思う。

 最終的に押し切られたとしても。

「それにしても、いきなり熱を出すほどの風邪をひくなんて。昨日の雨が原因ですか?」

「まぁ、直接的な原因は、たぶん」

「なにか含みがありますね」

 探りを入れるような視線に、苦笑して応える。

 意図を察してくれたのか、それ以上追及はしてこない。

 あのタイミングで悠里が電話をかけてこなければ、と言えなくもないだろうけど、それを理由にはしたくない。

 一番は俺の油断が原因なのだから。

「桜葉さんが病気でお休みしたのは、これが初めてですよね?」

「ん? あぁ、だね。風邪も初めてだよ、ここで生活し始めてから」

「だからなにも用意されていなかった、と。気が回る桜葉さんらしくありませんね、なんだか」

「いや、どうだろう……まぁ、施設にいた頃もあんまり、病気とは縁がなかったからさ」

 もちろん、何年も生活していたのだから、一度や二度は風邪をひいたことがある。

 でも、看病されるより、看病する側になることが多かった。

 当時はそれすら、自分を恨めしく思う要因になっていたと思い出す。

 代われるものなら代わりたいと、いつも考えていた。

「備えあれば憂いなし、ですね」

「身に染みてる……」

 仕事を休んだこともそうだが、こうして音羽ちゃんに心配や面倒をかけていることが、特にキツい。

 誰かを頼る意識について指摘されたが、あれは少し違う。

 誰かを頼るのが、怖いのだ。

 長年染みついた意識は、どうしてもまだ、拭いきれない。

 普通のときは平気だが、こうして弱っているとそういう一面が表層に出てくる。

「これを機に、甘え上手になりましょう」

「……い、いや、いい」

 そもそも、頼るのと甘えるのはなにかが違う。

 特に音羽ちゃんの口ぶりだと、ニュアンスが怪しい。

「そうだ、休む前にあれ、しておきましょう」

「……なに?」

 あれ、とか言われると怖い。

「着替えです。汗、掻いていませんか?」

「あ、あぁ、確かに」

 薬を飲んでこれから眠ると考えると、さらに汗を掻くことになる。

 先に着替えておいたほうがいいかもしれない。

「では脱いでください」

「ゴメン、意味がちょっと」

「着替えるのなら、脱いでもらわないと」

「い、いや、自分でできるから」

「えぇ、着替えだけならそうでしょう。でもほら、せっかくなら汗も拭いておきたいですよね?」

「……それは、まぁ」

 シャワーを浴びるのはまだムリなので、タオルで拭くのが精一杯だろう。

 音羽ちゃんはそうしましょう、と言っているようだが……。

「では、タオルを準備してきますので。どちらにありますか?」

「え、あ、そこの棚にあるけど」

「わかりました。戻ってくるまでに服、脱いでおいてくださいね」

「ちょ、ちょっと待って……」

 という俺の声は、全然届いていない。いや、無視されている。

 選択権はない、ということか……。

 観念して、音羽ちゃんが戻ってくるまえにシャツを脱ぐ。

「替えのシャツはこれでいいですか?」

「あ、あぁ、うん。ありがとう」

 照れくささに壁を向いている俺の背後に、音羽ちゃんの気配が迫る。

「あのさ、その、全部じゃなくていいっていうか……背中だけで、お願いいます」

「えぇ、そのつもりです」

「あ、そ、そう?」

「さすがに私も、全身をなんて言いません。というか、する勇気がまだありません」

「だ、だよね、ははっ」

 良かった。音羽ちゃんにも人並に近い羞恥心があったようだ。

 問答無用で全身をなどと言われたら、卒倒していたかもしれない。

「では、失礼して」

「あぁ、よろしく」

 お湯につけたタオルが、背中に触れる。

 ゆっくりと丁寧に汗を拭われていく感覚は、心地良かった。

「くすぐったいですか?」

「ちょ、ちょっとね」

 自分で拭くときはなんともないのに、他人に触れられると変な感じがする。

 丁度良い加減ができないから、だろうか。

「背中はこれくらいですね。さ、こっちを向いてください」

「ま、前は自分で――」

「早くしないと、このまま後ろから手を回して拭きますよ? そのほうがいいですか?」

「いや待って早まらないで」

 音羽ちゃんが妙な行動を起こす前に、観念して向き直る。

「思っていたよりしっかりしていますね、桜葉さんの身体」

「大したことない、と思うけど」

「いえ、筋トレの成果は出ていると思いますよ」

 胸元をなぞるように拭いてくれる音羽ちゃんから目を逸らす。

 この状況は思っていたより、危険だ。

 変な声が出ないよう、必死に耐える。

「三鐘さんの看病をしたときも、こんな風に拭いて差し上げたのですか?」

「んへぇ!?」

「なんです、その声」

「は、いや、え? な、なんで?」

「あの方も先日、風邪をひいたそうですね。そして桜葉さんは、その看病をされたとか」

 全て知っていますよ、と満面の笑みが物語っていた。

 情報の出所は今更確かめるまでもない。

「し、知ってたの?」

「えぇ」

「そんな素振り全然……」

 あれから二週間ほど経過しているが、音羽ちゃんはいつ知ったのだろうか?

 知っていたのなら、もっと早くなにかしらアクションをしてきそうなものなのだが。

「こういうのはタイミングがあると思って。そして今が一番、面白いタイミングかな、と」

「……病人相手に?」

「汗をたくさん掻いたほうが、風邪の治りは早いそうですよ?」

「ひ、冷汗は含まれないよ」

「では、しっかり拭き取らないといけませんね」

「って、あっ、ちょっ、く、くすぐったいっ」

 楽しげな音羽ちゃんの看病に、大人としての尊厳を根こそぎ蹂躙された。

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