14-13

「……ありがとう」

 自覚していた以上に水分が不足していたらしい。

 一息ついたときには、ペットボトルの中身は半分以下になっていた。

「一気に飲めるくらいの元気はあるようですね」

「朝から、ほとんど食べたりしてなくて……助かったよ」

「そんなことだろうと思いました」

 やや呆れたような笑みの中に、安堵の気配が混じる。

「それより、どうして……」

「桜葉さんが病欠だと父から聞いて。熱はどれくらいあるのですか?」

「体温計、持ってない」

「……予想を下回ってきましたね。さすがに体温計は持ってきませんでした」

 そう言いながら音羽ちゃんは、鞄から飲み物や薬らしきものを取り出す。

 少し前の自分を、ちょっとだけ思い出した。

「さっきのは、えっと……」

「あぁ、これです。お父さんに許可を取って持ってきたものなので、ご安心ください」

 会社の社員寮なのだから、社長が合鍵を持っているのは当然だ。

 さすがにそれは理解できる。

 問題なのは、その合鍵を使って音羽ちゃんがやって来た、という部分だろう。

「なにしにここへ……」

「看病に決まっています。どうやら、思考力が低下しているようですね」

「あっ、ちょっ」

「あー、かなり熱がありそうですね。とりあえずこれ、貼ってしまいましょうか」

 俺の額に手を当てた音羽ちゃんは、すぐに鞄から取り出した冷却シートを貼ってくれた。

 急速に冷やされた額が、ピリッと痛む。

 が、すぐに気持ち良い感覚が広がっていく。

 やっぱり、冷却シートは常にストックしておこうと、改めて思った。

「楽になりましたか?」

「あぁ、おかげで……って、そうじゃなくて」

「お母さんにもちゃんと話してきましたから、ご心配なく。と言うか、私が来なければお母さんが来ていたかもしれません」

 どうやら、奥さんにも心配をかけてしまったようだ。

 会社に行ったら、お礼を言っておかなければ。

「必要そうなものは一通り持ってきましたから、今夜はなんとかなると思います。体温計までは気が回りませんでしたけど」

「あ、ありがとう……十分だから、もう大丈夫だよ」

「なにを言っているのか、理解しかねます」

「いや、うつしたら悪いし……飲み物と薬……それとこれがあるだけで、十分だ」

 個人的に一番嬉しいのは冷却シートだ。

 これがあるだけで、眠れそうな気がする。

「はい却下です」

「……え?」

「確認しますが、体調を崩して寝込んでいること、誰かに連絡はしましたか? もちろん、会社以外で」

「……してない、けど」

「えぇそうでしょうね。まぁ、熱のせいで思考力が低下しているでしょうから、仕方がないと言えなくもありませんが」

 こちらが病人であることなど、音羽ちゃんはお構いなしだ。

「三鐘さんや上郷先輩に連絡しないのは理解できます。でもせめて、お隣のアンジェさんには助けを求めても良かったのではありませんか?」

「……その手があったか」

「……ドン引きです。本当に考えなかったのですか? 遠慮とかではなく?」

「うっ、せ、咳が……」

 誤魔化すつもりではないが、タイミングよく咳が出てしまった。

 確かに音羽ちゃんの言う通り、アンジェに頼めば飲み物や薬を用意してもらえた可能性が高い。

 朝の段階であれば、どこかに出かけてもいなかっただろうし。

 考えが及ばなかったのは、熱のせいか。

「そんな気はしていましたが、やはりという感じですね」

「えっと、なにが?」

「困ったときに誰かを頼る、という意識が決定的に足りていません」

 おっしゃる通りすぎてぐうの音も出ない。

 こういうときにこそ、隣人を頼るべきだったのだ。

 頭痛に耐えて朝から横になっているより、治りも早かったに違いない。

 そうしておけば少なくとも、今こうして音羽ちゃんの手を煩わせずに済んだだろう。

「申し訳、ないです」

「いえまぁ、私としては役得、という感じもあるのは認めますけど」

 そこは認めなくてもいいポイントだと思う。

 俺の看病をすることが役得という意味も……いや、わからなくはないのが複雑だ。

「でもホント、もう十分だから。音羽ちゃんが風邪ひいたら俺、困るし」

「幸い、明日は土曜日ですので。万が一風邪をひいても、学業に支障はありません」

「い、いや、貴重な学生時代の休みを浪費させるわけには……」

「それに私が風邪をひいたら、今度は桜葉さんがお見舞いに来てくれる、ということですし」

「……風邪、ひかないようにね、ホント」

 考えただけで頭痛がひどくなりそうな話だ。

「さて、とりあえずなにか作りましょう。おかゆとかなら食べられそうですか?」

「あ、あぁ……でも」

「なら決まりです。病人は大人しく休んでいてください」

「いやだから」

「食事をしないと薬も飲めませんよ?」

「そうだけど」

「……あまり聞き分けがないようでしたら、上郷先輩、呼びましょうか?」

「…………よ、よろしく、お願いします」

「えぇ、任せてください」

 平常時でも勝てないのだから、風邪を引いた状態で勝てる道理はない。

 エプロンまで持参してきた音羽ちゃんに任せて、俺は大人しく、ベッドに横たわった。

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