6-12
「聞いてはいたけど、本当なのね」
「はい。今までとは、生き方を変えてみようと思います」
今日はただ泊まりに来ただけじゃない。
世話になり、心配もかけた咲江さんに報告をするためでもある。
悠里から話は聞いていたようだが、ちゃんと自分の口から伝えなければいけないと思った。
それがこの人に対する、礼儀だろう。
「なにがそうさせたのかしらね」
「いろいろあって……上手く説明はできないですけど」
ある日女神がやってきて、呪いが解けたとわかったので……なんて言ったら、別の意味で心配されてしまいそうだ。
「それならそれでいいわ。理由はどうであれ、そんな風に考えられるようになったのなら、素敵なことだもの。それに……」
咲江さんの目が、優しさを帯びる。
「今の孝也君は、なんていうのかな……輪郭がこう、柔らかくなった気がするし」
「そう、ですか?」
「なんとなく、ね。表情もそうだし、一番は雰囲気かな。前を向いてるって、言葉にしなくても伝わってくる」
そんなにわかりやすい顔をしているのだろうか。
いや、俺を見てきてくれた人だからこそ、わかるのかもしれない。
「両親も喜ぶわ。孝也君のご両親も」
「……はい」
俺と咲江さんの視線は、同時に仏壇のほうへと向いた。
前回と同じように、仏壇には最初に手を合わせている。
こんな気持ちで手を合わせる日が来るとは、思ってもみなかった。
咲江さんと、その両親がいなければ、今の自分はいなかった。
アンジェと出会い、前向きになることもなかっただろう。
いろんな人のおかげで今の自分がいると、改めて実感する。
「お墓参りには?」
「それはまだで……でも、行こうと思います」
「いい報告ができるわね」
「……そのつもりです」
最後に両親の墓参りに行ったのは、もう何年も前になる。
咲江さんのご両親が健在だった頃に連れて行ってもらったきりだ。
両親に関わるものは全て叔父の家にあるので、俺の手元にはなにもない。
それを悲しいとか寂しいと感じたことはなかったが、今はどうだろう。
顔はおぼろげで、声はもう、忘れてしまった。
考えてみれば、家族と一緒に過ごした時間よりも、失ってから生きた時間のほうがはるかに長くなっている。
悲しみ方すら、忘れていたのかもしれない。
「まぁ、どうすれば幸せになれるのかとか、全然わからないですけどね」
暗い思考に落ちてしまわないように口角を上げ、肩を竦める。
「焦らず、少しずつでいいの」
「わかってはいるんですけど……」
染みついた思考は、なかなか厄介だった。
自分の不器用さを、改めて思い知る。
「大丈夫よ。生きているだけでそれは……自然とあなたの中に、積み重なっていくから」
咲江さんはそう言いながら、自分の胸を軽く叩いて微笑む。
幸せの在り処はここだと示すように。
軽く自分の胸に触れてみるが、実感はできない。
「すぐにわかる必要はないわ。孝也君はこれからなんだから」
「これから……そう、ですよね」
「えぇ。孝也君はまた、ここから始まるの」
咲江さんの言葉が、不思議なくらい胸の奥に入ってきた。
『また』という言葉に、そうだったと思い出す。
決してゼロだったわけじゃない。
薄れて、埋もれてしまっていたとしても、両親とすごした記憶は、まだある。
学生時代に楽しいと思えた記憶も、ここですごして笑えた記憶もある。
閉ざしていた蓋を、俺はまた開いただけだ。
複雑に考えすぎているのだろう。
「きっとすぐわかるわよ。幸せなんて、何気ないところにあるものだって」
「そう、なんでしょうね」
幸せに正解や答えなんてものは、きっとない。
自分にとってどうなのかが全てなのだから。
「失礼しまーす。タカ兄をお借りしたいのですがー」
ノックとほぼ同時にドアを開けて入って来たのは、先ほどは姿が見えなかった翔太だった。
その後ろには、子供たちとアンジェの姿もある。
のんびりとしていられるのも、ここまでのようだ。
「人気者は大変ね」
「咲江さんも一緒にどうですか」
「冗談はやめて。本当に無理だから」
笑顔から一転して、咲江さんは真顔になる。
これから始まる遊びがどれほど過酷か、よくわかっているのだろう。
「以前は遊んでたじゃないですか。久しぶりにどうです?」
「何年前の話か、わかってるよね? ん?」
「……ですね。ゆっくり休んでてください」
ピクリと眉を吊り上げる咲江さんの迫力に、俺はすぐ前言を撤回した。
二十代と三十代の差は、それほどのものらしい。
なら、ここは俺が身体を張るしかない。
そもそも今日は、それも目的の一つなのだから。
「軽めに頼むぞ」
立ち上がり、なぜかシャドーボクシングをしている翔太の肩を叩く。
「じゃあ準備運動ってことで、鬼ごっこから。もちろん鬼はタカ兄一人で、全員捕まえるまでやってみよう」
「おい待て。そんな準備運動があるか」
ろくに運動をしてない成人男性に対して、過酷すぎる。
「まずは体力面で俺がどれだけ成長したのか、見せてやるぜ」
「だから待てって――」
「はいスタート!」
俺の言い分など聞かず、翔太が合図をしてしまった。
一瞬にして詰めかけていた子供たちが散って行く。
アンジェも負けじと走って行くのを、俺は見逃さなかった。
本当に溶け込みすぎだろう……。
「夕飯の準備は四時ごろから始めるから、それまで頑張ってね」
二時間以上頑張らなければいけないという事実に、もう挫けそうだ。
だが、やらねばならない。
翔太の個人的な思惑が出すぎているような気もするが。
課せられた役割を全うするため、俺は靴を履いて外に出た。
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