6-7

 きっかけは、アンジェの一言だった。

「楽しみ方を知らない孝也さんのために、私、考えてきました」

 連休半ばの昼下がり、新たに購入した家具を組み立て終えたタイミングでやってきたアンジェは、そう言い放った。

 ここ数日、なんだかんだで俺がどこにも出かけていないことに気づいたのだろう。

 それを見兼ねたのか、単純にアンジェも暇を持て余していたのか、あるいは両方かもしれないが、とにかくやって来るなり、そう言った。

 実際、いざなにかをしようと思っても、思いつかずにいたのは認めるしかない。

 スマホには毎日、バイトに勤しむ悠里や旅行中の音羽ちゃんから連絡は来るが、それ以外に変わったことなどない。

 連休にしかできないことは、なにもしていないようなものだった。

 アンジェはそれを、楽しみ方を知らない、と思ったらしい。

 まぁ、間違いじゃない。

「せっかくですし、夕飯は外で食べましょう。ついでにお酒なんかも飲んじゃいましょう」

 とりあえず思いついたのが、それだったようだ。

 あえて断る理由も見当たらなかったので、その提案に乗った。

「では、五時くらいに出発するということで。お店のほうは私が予約しておきますね」

 正直、アンジェの妙に楽しそうな様子に、不安を覚えなかったわけではない。

 なにか、俺にとって良からぬことを思いついた顔に見えた。

 とは言え、夕飯で少し酒を飲むくらいなら、そうそう問題など起こらない。

 と、思っていたのだが……。

「予約した店って、ここかよ……」

「当日予約だったので、ギリギリでした」

 なぜか胸を張っているアンジェを横目で見つつ、改めて看板を見上げる。

 いやもう、見間違えようもなく、よく知っている。

 今は友人である、三鐘灯々希が経営している居酒屋だ。

 任せきりだった俺が悪いのかもしれないが、アンジェの意図が読めない。

「なんでここにした?」

「さて、どうしてでしょうね、ふふふっ」

 アイアンクローをお見舞いしてやりたくなるが、グッと堪える。

「ささ、入りましょう。予約の時間に遅れてしまいます」

「おい、引っ張るな」

 俺の葛藤など意にも介さないアンジェは、腕を絡めるようにして引っ張り、店内を目指す。

「いらっしゃいませー」

 そして、入店早々出迎えてくれたのは、灯々希だった。

「予約していたアンジェですー」

 営業スマイルのまま凍りついている灯々希に対し、アンジェは臆することもなく、元気にそう告げた。

 腕を引っ張られたままだと気付き、強引に引き剥がす。

 が、灯々希の笑顔は変わらない。

 しっかりと顔は俺のほうに向いたままだ。

「……よ、よう」

 店内の喧騒にかき消されそうな声で、状況を打開すべく灯々希に手を上げてみせる。

「……いらっしゃい。また来てくれたのね。二人で」

「ん、あぁ」

 なんだろう。『二人で』の部分がやけに強張って聞こえた気がする。

「急な予約ですみませんでした、灯々希さん」

「大丈夫ですよ、空はありましたから」

 いつも通りのアンジェに、灯々希は笑顔で答える。

 凍り付いていたように見えた顔も、今では普通になっている……と思う。

「予約リストを見たとき、もしかしてとは思ってたけど……一言連絡くらいくれれば良かったのに」

「いや、俺も急に連れ出されたっていうか……ここだとは知らなかったんだ」

 なので俺に非はないと主張しておく。

「お店の予約まで任せきりにするのは、甲斐性がないと思う」

 心なしか、灯々希の声に棘が含まれている気がしてならない。

 甲斐性がないという点を否定はできないが……。

「デートなら、少しは頑張るべきだと思うよ?」

「違う。そういうんじゃない。相手はアンジェだぞ?」

「可愛い子だよね、アンジェさん」

「……なんか、怒ってる?」

「どうして?」

「いや、なんか……」

 灯々希とこうして顔を合わせるのは、徹夜をしたあの日以来だ。

 毎日とは言わないが、何度かはメッセージのやり取りをしていた。

 その時は別に、機嫌を損ねるようなことはなかったと思う。

 連休は忙しくなるから大変だと、愚痴っぽいことは言っていたが、忙しさのせいだろうか。

「……お席へご案内します」

 貼りつけたような笑顔の灯々希に先導され、店の奥へと進む。

「作戦は成功かもですよ、孝也さん」

「……なんの話だ?」

 小声で耳打ちしてくるアンジェを、半眼で見る。

 得意げな笑みに、嫌な予感しか覚えない。

「幸せサポートです」

「だからなんの話だよ」

「常套手段、というやつですよ。恋は争奪戦です」

「……意味がわからん」

 こいつ、ネットかなにかで余計な偏った知識を得たのではないだろうか。

「任せてください。全力で孝也さんの幸せをサポートしますから」

「やめろ。やめてくれ」

 絶対ろくなことにならないと確信できる。

「心配無用です。私だってここ数日、恋愛とか幸せについて勉強してきましたから」

「だからそれが不安なんだよ……」

 どうしてわからないんだと、俺は底なしに深いため息をついた。

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