5-16
徹夜なんてずいぶんと久しぶりだが、あまり怠さも眠気もない。
日曜の朝はまだ人通りも少なく、歩きなれた道もいつもと違って見える。
「今日は暑くなりそうだな」
雲一つない今日の空は、布団を干すには絶好の天気だ。
さすがに帰ったら少し眠りたいので、今回は見送るしかないが。
「あいつはもう起きてるか」
始発で帰ってくるつもりだったが、予定よりも少し遅い電車で戻ってきた。
なんの気兼ねも不安も遠慮もない灯々希との会話は、たぶん初めてだったと思う。
そのせいなのか、お互いにやめどきを見つけられず、気が付けば始発はとっくに動いている時間になっていた。
何時間も話していたのに、まだ足りない。
あれだけの時間を共有しても、数年分の空白や抑えていた気持ちは、満たされることはなかった。
これからはいくらでも話せるとわかっているのに、名残惜しい。
「そういうところが急ぎすぎ、か」
自嘲気味に呟きながら、アパートへと向かう。
生まれ変わったような気分というのは、もしかしたらこういう感じなのかもしれない。
まだスタートラインに立っただけで、ほとんど始まってすらいないというのに。
「どうなるんだろうな」
新しく積み重ねていった結果、俺はどんな答えを出すのだろう。
そんなことを考えることすら、以前の俺からしたら違和感がある。
なにも灯々希のことだけじゃない。
色んな人付き合いも、これからはするようにしていきたいと思う。
ほんの少しずつにはなるだろうが、それでも確実に、一歩ずつ。
そうと決めてしまえば、よくわかる。
俺の周りには、見捨てずにいてくれた人がたくさんいると。
会社の先輩たちとも、今までとは違う付き合い方ができるだろう。
「あぁでも、鈴木先輩の誘いは困るな」
あの人が誘ってくる場所は、大体女の人がいる店になる。
灯々希とのことを真剣に考えたい俺としては、迂闊に近づけない店だ。
「それに、音羽ちゃんにでも知られたらマズいしな」
そこからどう話が広がっていくかを考えただけで、ため息が出る。
「なにを知られたらマズいのですか?」
「…………なにしてるの?」
丁度アパートが見えてきたあたりだ。
会社からは、徒歩で十分程度の距離がある。
ありえないわけではないが、それでもこの時間に彼女がここにいるのは、日常的とは言えない気がする。
「散歩くらい、私もします」
「そ、そう」
本当にただの散歩なのかは怪しいが、とりあえず頷いておく。
「それで? なにが、マズいのですか?」
好奇心に加えて、嗜虐心が混じっていそうな笑顔で質問を重ねてくるのは、坂崎音羽という名の少女だ。
あまりにもできすぎたタイミングでの登場に、なにかしらの意図を感じずにはいられない。
「なんでもないよ。本当に。ただの独り言だから」
「なんでもない独り言で私の名前が出てくるなんて、イヤらしいと思いませんか?」
「断じて思わないかな、うん」
「なら、そんな風に誤魔化さないでください。勘ぐってしまいます」
「……本当になんでもないから」
鈴木先輩のあるかないかわからない名誉のためにも、ここは誤魔化しの一手を貫く。
良好な人間関係はきっと、思いやりから築かれていくものでもあるはずだ。
「どうしてもというのでしたら、構いませんよ」
意外にも音羽ちゃんは、あっさりと引いてくれた。
「桜葉さんが休日の朝に、私を思い浮かべてなにを考えていたかなんて、追及しても可哀そうですから」
もしかしたら、大人しく白状しておいたほうが傷は浅かったかもしれない。
それと同時に気づく。
この先、音羽ちゃんとも向き合うのだとしたら、かなり大変なのではないかという事実に。
「それはそうと桜葉さん」
「……なに?」
「もしかして、朝帰りですか?」
「…………なんのことかな?」
「あぁやっぱり。直感というのも、意外と侮れないものですね」
直感で言い当てたのなら、恐ろしすぎる。
「冗談です。休日の朝に出回る恰好ではなさそうだったので、もしかしたらと思って言ってみただけですよ」
「……そう」
状況から推察したようだけど、それでも普通じゃない。
悠里といい音羽ちゃんといい、最近の女子高生は本当に恐ろしいな。
「お酒の匂いは、しないようですが」
「ちょっ、なんてことしてるんだ」
胸元の匂いをいきなり嗅いでくるなんて、恐ろしいを通り越して怖い。
「すみません、つい」
「つい?」
つい、で他人の匂いを嗅ぐのか?
いや、あまり深く考えるのも、この話題を続けるのもよろしくない。
「お、俺のことはまぁいいだろ。散歩の邪魔しちゃ悪いし、俺はこれで」
返事を待つことなく、そう言って俺は足早に立ち去る。
アパートに逃げ込んでしまえば、こちらの勝ちだ。
「桜葉さん」
「…………は、放してくれると、助かるんだけど」
「…………」
まだ話は終わっていませんよ、と裾を掴んだまま、音羽ちゃんは微笑みで語っていた。
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