4-4

『今度の土曜日、暇だよね?』

 食器を片付け、シャワーを浴びようとしたタイミングで、悠里が電話をかけてきた。

 質問という形をとってはいるが、暇だと決めつけているのは丸わかりだ。

「先に要件を言え。暇かどうかは、それから考える」

『じゃあ、進路相談ってことで』

「どうするか決めたのなら、電話で十分だろ」

『まだ決めてないし。だから直接会って話したいの。予定、ないんでしょ?』

「あぁ、なにもない」

 探りを入れてくる悠里に答えながら、静かに息を吐く。

 先日の遭遇事件については、日曜日に電話で説明は済ませてある。

 だいぶ疑っていたが、一応はなにもなかったと納得してくれた。

 悠里には関係ない、とだけは言ってはならないと、さすがの俺でもわかる話だった。

 今の気がかりは、あれっきり連絡をしていない灯々希のことだ。

『ねぇ、聞いてる? どうなの?』

「あぁ、わかった。施設に顔出すから、バイトのない時間、送っといてくれ」

『……別に、ここじゃなくてもよくない? 外で会うとか、でもさ』

「……考えとく。じゃあな」

『……うん』

 大人しく引き下がった悠里は、静かに電話を切った。

 こっちがそう仕向けたとは言え、後味は悪い。

 すぐにスマホをテーブルに置こうとして、もう一度操作する。

 残っているメッセージを、改めて表示させて目を通す。

 灯々希と別れた翌日、一度だけメッセージが届いた。

『悪い酔いしすぎて、ごめん』

 そう簡潔に綴られたメッセージに、俺はなにも返せなかった。

 このままなにも返さなければ、灯々希との繋がりも自然と途切れてくれるだろう。

 彼女の性格を考えれば、俺が返信しない限り、連絡はしてこない。

「……最悪だな」

 それが最善だと思っているのに、胸が軋む。

 もう無くなったと思っていたはずの感情が、内側から針のように突き刺してくる。

 アンジェが現れてから、二週間程度しか経っていないはずだ。

 それなのに俺の世界は、一変した。

 凍りついていた世界が、動き出してしまった。

 彼女が残した爪痕は、確かに存在する。

「でも、だからって、な……」

 今更動き出して、どうするというのか。

 アンジェが残した、最後の言葉が忘れられない。

 呪いはもう、消えている。

 あの言葉が本当だったとして、どんな意味を持つのか。

 都合よく考えることもできるが、それができたら、俺はこんな生き方をしていない。

 求めれば、また失う。

 どうしてもその恐怖が拭えない。

「このままが、一番いい」

 なにもなかったことにして、また元の生活に戻る。

 アンジェが来てからのことは、夢だったとでも思えばいい。

 俺は自分だけで、精一杯。

 他人の存在が自分の中にあるのは、怖い。

 大切だと想うなにかなんて、もう手にしたくはなかった。

 ずっとそう思っていたのに。

「これじゃあ、また失くしたみたいじゃないか」

 たった二週間程度とは言え、アンジェという存在はインパクト抜群だ。

 やっかいさでも、不可解さでもダントツだった。

 だからだろう。どうしても無視できないほどの、なにかが残っている。

「ホント、最悪だ」

 出会いも別れも、一方的。

 急に押しかけてきて、わけのわからないモノを押しつけて。

 とんでもなく、押しつけがましい迷惑な自称女神。

「……なんだろうな、これ」

 思い返せば思い返すほど、考えれば考えるほど、胸の奥と頭の奥が熱く煮えたぎる。

 これはそう、いら立ちだ。

 あまりにも自分勝手な都合を押しつけていった、アンジェという存在に対するいら立ち。

「…………俺が言うのかって話か」

 そして気づいてしまった。

 一方的に姿を消そうとしていたのは、俺も同じだと。

 三年前は、悠里の前から。

 三日前は、灯々希の前から。

 そしていつかは、社長や音羽ちゃんの前からも、消えるつもりでいる。

「そりゃあ、文句も言いたくなるな」

 三年前の悠里の気持ちが、今になってわかった気がする。

 これでいいはずがないと、初めて思った。

「さよならくらいは、ちゃんと言わないと……やっぱ、ダメだよな」

 いら立ちはもうなくなっていた。

 その代わりに申し訳なさや、恥ずかしさや、情けない自分に対する感情が次々と湧いてくる。

 だけど今は、そんな自分の罪を棚上げしておく。

 まずは、そうだ。

 自分の感情を優先して、俺は部屋を出た。

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