2-16

 地獄のような昼食を終え、静かな廊下を歩く。

 今向かっているのは俺を尋問するための部屋……ではないが、状況的には似たようなものだ。

 施設のみんなと一緒に昼食を済ませた俺は、本来の目的を達成するため、悠里に話しかけた。

 食事中から話しかけられるような雰囲気ではなかったが、そうしなければ始まらない。

「話なら、部屋で聞くから。それでもいいでしょ、先生」

 そう言った悠里の主張を、咲江さんは渋々ながら受け入れた。

 どうやら悠里は、俺と二人で話すことを望んでいるようだった。

 俺としてはせめて咲江さんには同席して欲しかったが、悠里がそう望むのなら、諦めるしかない。

 だから今向かっているのは、悠里の部屋になる。

「前はこっち、男子禁制だったのに、今は違うのか?」

「今もそうだよ。今回は特別。二人で話せる場所、他にないし」

 当たり前のことを聞くなと言いたげに、悠里が半眼で見てくる。

「それとも、どこかのお店にでも連れてってくれるわけ?」

「なんだ、喫茶店にでも行きたいのか?」

「別に、ただ言ってみただけ。タカ兄に甲斐性があるかどうか、試してみたの」

「あると思ってないだろ、お前」

「あるわけ?」

「……知らん」

 反論できない俺を見て、悠里は鼻を鳴らす。

 小馬鹿にされたというより、勝ち誇っている感じだ。

 どうして甲斐性なんて話が出てくるのかと言えば、おそらくはアンジェのことがあるからだろう。

 食事中のピリピリした空気からも、アンジェの正体について聞きたがっているのがわかる。

 問題の源であるアンジェは、子供たちに気に入られたようだった。

 都合もいいので、そのまま相手をしてもらうことにした。

 一応釘を刺しておいたが、これ以上余計なことを言わないよう祈るばかりだ。

「……どうぞ」

「ん、いいのか? 片付けるなら待つぞ?」

「いつも綺麗にしてるから。タカ兄と一緒にしないで」

「お、おう」

 一応年頃の女子ということで気を遣ったつもりだが、逆効果だったかもしれない。

 悠里に促されるかたちで、部屋の中に入る。

 何年も同じ施設で暮らしていたが、こうして悠里の部屋に入るのは初めてだ。

 もっと幼い頃は、悠里が俺の部屋に来たりすることはあったが。

 カーテンや小物を含めた部屋の雰囲気は、あまり年頃の女子らしくはないような気がする。

 比較するものがあるわけじゃないので、あくまでイメージだ。

 ただ、どことなく甘い匂いがする、そんな気がした。

「ジロジロみすぎ」

「悪い」

 さすがに不躾だったかと謝りつつ、ジト目で見てくる悠里の後ろにあるそれに気づいた。

 壁にかけられた、見慣れた学校の制服。

 そしてその隣にある、地味なパーカー。

 翔太がさっき言っていた、俺が昔着ていたパーカーだ。確かに、あんな感じのものを持っていたと思い出す。

「……ぁ、こ、これは……タカ兄が忘れてったやつ見つけて、サイズが丁度良かったから」

「別に返せなんて言わないって。今更必要でもないし、好きにしていい」

「……あっそ」

 年頃の女子が着るには野暮ったい気もするが、部屋着としてなら別に構わないのかもしれない。

「とりあえずそこ、座れば?」

「そうだな」

 それほど広くはない部屋には、ベッドと机が並んでいる。

 向かい合って使えるようなテーブルはないので、ベッドの脇に腰かけて背中を預ける。

 悠里はなにかを考えるような素振りを見せ、最終的には机に向かって椅子に座った。

 その様子を目で追いながら、もう一つ見覚えのある物をみつけた。

「それ、まだあったんだな」

「あぁ、これ? まぁ、ね」

 そう言って悠里は机の隣に立てかけてある、アコースティックギターを手にする。

 あのギターは俺より前にここで生活していた人の、置き土産だ。

「上達したのか?」

「独学だけど、聴く?」

「おう」

 得意げな顔を見せる悠里に頷く。

 悠里があのギターに興味を示したのは、俺がここを出ていく少し前だ。

 当時は全くと言っていいほど弾けない素人だったが、さて。

「じゃあ、有名なやつで」

 軽くリズムを取りながら悠里が弾き始めたのは、何十年も前の有名な曲だった。

 曲のチョイスは、咲江さんの前の責任者が趣味で集めていたレコードで聴いたもの。

 よく夕飯の後に、その人と一緒に聴いていた。

 悠里も一緒だったから、自然とそういうチョイスになったのだろう。

 今よりもずっと幼かった頃の記憶が、自然と蘇る。

 懐かしさと共に走るのは、痛みだ。

 決して切り離すことのできないものが、胸の奥で疼く。

「ま、こんな感じ」

「素直に驚いた。凄いな」

 称賛が心地良いのか、悠里は上機嫌な笑みを浮かべる。

 驚きもする。まさか、弾きながら英語で歌うとは思いもしなかった。

 どれくらい練習したのかはわからないが、さすがとしか言いようがない。

「もしかしてお前、音楽に興味があるのか?」

「楽しいとは思うけど、別に」

 素っ気なく答えながら、ギターをもとの場所に戻す。

「ただ、気がまぎれるから」

 悠里はそう呟くように言って、机の引き出しからなにかを取り出した。

 あれもよく知っている。

 手頃な値段で買える、棒が付いた飴だ。

「…………ぁ」

 包装をはがそうとしたところで、悠里はなにを思ったのか、引き出しに飴を戻す。

「俺の分なら気にしなくていいぞ」

「は? 違うし」

 よくわからないが、飴を舐めるのはやめたようだ。

「それ、まだ好きなんだな」

「うっさいなぁ」

 なぜかそっぽを向く悠里の横顔に、思わず苦笑してしまう。

 大人びたと思っていたが、変わっていないところも多くある。

 節々に見えるかつての名残が、不思議と温かい。

「でも安心したよ。ちゃんと年長者やれてて」

「そんなの、当たり前でしょ」

 刺々しく聞こえる言い方だが、褒められた嬉しさは隠しきれていなかった。

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