2-17

「で、学校のほうはどうなんだ?」

 昔の感覚が戻ってきたところで、本題を切り出す。

「普通。特に問題なし」

「なら、進路はどうするんだ? いい話、来てるんだろ?」

「だから?」

「お前、結論ありきで考えてるだろ。せっかくチャンスがあって、それに見合う能力もあるんだ。試しに進学してみても、損はないと思うぞ」

 一応それらしいアドバイスはしてみるが、悠里は呆れたように鼻を鳴らす。

「就職で即決してたタカ兄がなに言ってんの?」

「あー、それはー、んー」

 ぐうの音も出ないとはこのことか。いや、自分のことを棚に上げているのはわかっていたが、こうもズバッと言われてしまうと困る。

 が、ここで引き下がっては咲江さんに申し訳が立たない。

「でもほら、後々の給料を考えたら、最終学歴ってのは重要みたいだぞ?」

「タカ兄はそこ、気にしたわけ? してないよね?」

「俺の話はいいんだよ。そもそも、進学するほど勉強好きじゃなかったし」

「うん、あたしもそう。必要な分はするけど、それ以上に勉強する気とか、ないんで」

「そ、そうかもしれないけどな? でもお前は一応女の子なわけでさ、仕事に幅を持たせるためにも、進学はありだと思うんだ」

「……ねぇ、なんで一応ってつけたわけ? 説明してくれるんだよね?」

 こいつ、的確にあげ足を取ってくるな……。

 それに心なしか、こめかみがピクリと動いたような気もする。

「言葉のあやだ。細かいこと気にするなよ」

「なんか、都合が悪いとそうやって誤魔化すの、オジサンみたい」

「俺がオジサンなら、咲江さんはどうなる」

「今の発言、本人に言っていい?」

「……ごめん。それはやめてくれ」

「っていうかさ、よく見るとタカ兄、前髪が少しあやしくなったような……」

「お前な、冗談でもそういうことを言うんじゃない」

「あ、気にしてる? ははっ、冗談だってば」

 けらけらと笑う悠里に、頭を掻く。

 悪戯が成功したときの笑顔も、変わっていない。

 悠里と話していると、昔に戻っていくような気がしてしまう。

 もしかしたら、悠里も同じ感覚を味わっているのかもしれない。

 涙を浮かべるほど笑っている姿は、そう見える。

「とにかく、もうちょい進学について、検討してみたらどうだ?」

 咳払いをして仕切りなおす。

「俺と違ってさ、悠里にはそういう才能みたいなものが、たぶんあるんだよ」

「才能があったら進学しなきゃいけないって決まりはないでしょ」

「そうだな。でもさ、そんな風に最初から選択肢を除外して、自分から可能性を手放すような生き方は、して欲しくないんだ」

「……俺みたいに?」

 あえて言葉にしなかった部分を、悠里が代弁する。

 否定のしようがないので、ただ苦笑いするしかない。

 俺には手放すほどの可能性なんてなかったと思うが。

「そこまで進学を拒む理由、あるのか? やりたいこととか」

 もしそれがあるのなら、俺としても無理に勧めるつもりはない。

 咲江さんを納得させる理由があれば、それでいいと思う。

 だから、確かめておきたかった。

「やりたいことって言うのとは、違うかもだけど……望みは、ある」

 それはなにか、と訊こうとして、その真っ直ぐな目に、声が詰まった。

 数年経っても変わっていない。いや、その純度は時間の経過とともに増したようにすら感じる、澄んだ感情。

 追及することの不用意さを、すぐに察する。

 控えめに見ても、精神的に早熟だった悠里が、何度となく俺に向けていた目だ。

 気づかないはずがない。

 そして悠里も、それを特別隠そうとはしていない。

 さすがに他の子供たちの前では誤魔化したりもするが、奥底に秘めたものは、変わっていない。

 ただ、言葉にしてカタチにすることだけは、決してしない。

 俺は悠里のその大人びた優しさに、甘えている。

「……どうするにせよ、まだ時間はある」

 一度目をそらして、気持ちを落ち着かせる。

「後悔はまぁ、どうしてもするかもしれないけど、咲江さんや学校の先生を納得させられる理由くらいは、考えてみたらどうだ?」

 悠里は小さく息を吐き、椅子の上で片膝を抱える。

「進学しない理由でも、就職したい理由でも、どっちでもいいからさ」

「そんなんでいいの?」

「たぶんな」

 希望をちゃんと伝えられるのなら、それは十分考えた証明になる。

 少なくとも、俺はそう思う。

「……わかった。考えて、みる」

 どれくらい納得してくれたかはわからないが、悠里は頷いてくれた。

「なら、終わりだな」

 俺の役目はここまでだ、と立ち上がる。

「…………なんだ?」

 そんな俺に、悠里はスマホを掲げて見せる。

「進路相談に乗るのが、タカ兄の役目なんでしょ?」

「そうだけど」

「なら連絡先、ちゃんと教えてよ」

 そう来たか……。

 またしても得意げな顔になっている悠里に、渋い顔をして見せる。

「必要か、それ?」

「当然でしょ。報告とか相談とか、したくなったらするから。それとも毎週、ここに顔出してくれるの? ま、こっちから会いに行ってもいいけど」

 とんでもない条件を突きつけてくる悠里に、頭が痛くなる。

「……返事が遅くても、文句言うなよ?」

 一番被害が少ないと思った選択をし、きちんと釘を刺しつつスマホを取り出す。

「オジサンになったタカ兄に、そこまでは期待してないんで。無視さえしなきゃ、遅くても許してあげる」

 俺の連絡先を入手した悠里は、新しいおもちゃを手に入れた子供のように、楽しそうだった。

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