2-8

「あの先生はさ、ひっかけるのが好きなんだよ。ちゃんと設問を読んで理解しているかどうかってところを重視してるって言ってたから」

「なるほど、面白い方ですね」

「面白い、かなぁ」

 約束通り、テストの出題傾向を可能な範囲で教えていた。

 かれこれ、一時間は経過している。

「性格が悪いってわけじゃないと思うけど、何割かは楽しんでるっぽい」

「注意力を鍛えるという意味では、悪くないのかもしれないですね」

 クッションに座って向かい合う音羽ちゃんは、普段よりも柔らかく見える。

 外にいるときの優等生然とした印象よりも僅かに幼く、年相応といった感じだ。

「俺が教えられるのは、これくらいかな」

「参考になりました。お願いして良かったです」

「正直、必要なかったと思うけどな。誤差の範囲だろ、これくらいじゃ」

「99点が100点になるとしたら、誤差ではなくなると思いますよ?」

「たとえが極端すぎ……ってわけでもないか」

 音羽ちゃんの学力なら、あの学校のテストで100点を取ることも可能な気がする。

 わざわざこんな対策をしなくても、普段通りにやっていれば問題などないくらい、彼女は優秀だ。

 ぶっちゃけた話、物足りないくらいじゃないかとすら思う。

「音羽ちゃんはさ、なんであそこにしたんだ? もっと上の進学校、いくらでも目指せただろ?」

 休憩がてらにお菓子をつまみながら、ふと思ったことを訊いてみた。

 お世辞にも彼女が通う学校――俺が卒業した学校は、レベルの高い場所ではない。

 校風そのものも緩く、部活動に精を出す層が多かったように思う。

「自宅から遠すぎるところは嫌だったので」

 確かにこの辺りからは比較的近いけど、そんな理由で決めるのはどうかと思う。

 将来に関わる重要な選択なのだから、多少の通学時間は犠牲にしてもいいような気がする。

「別にそれだけが理由でもないですよ。進学校に行って、勉強ばかりに追われる青春も嫌でしたから」

「青春、ねぇ」

「将来と同じくらい、大切だと思いますけど?」

「……俺にはなんとも」

 彼女にとって価値があるものと、俺にとって価値があるものは違う。

 適当に答えるにしても、それは無責任だろう。

「私は、私が大切にしたい時間を優先したかったんです」

「そうか」

「それは……って訊いてくれないんですか?」

「訊いたら教えてくれるのか?」

「秘密です」

 ならなぜ、とは口にせず、肩を竦める。

 緩みそうになる気持ちを引き締めるように、残っていた飲み物を一気に流し込んだ。

「……いりますか?」

「ん? あぁ、ありがとう」

 ペットボトルを手にする音羽ちゃんに頷き、コップを差し出す。

 飲み物を注いだコップをテーブルに置く際、音羽ちゃんが小さく笑みを漏らした。

「なに?」

「いえ、微かに匂いがして」

 そう言って口元を隠し、柔らかく細めた視線を向けてくる。

「あー、ごめん。一応、社屋でシャワーは浴びて着替えてきたんだけど」

 彼女が気づいたのは、おそらく仕事場で染みついた匂いだろう。

 あまり時間がなかったので、軽くシャワーを浴びる程度で済ませたのが失敗だったかもしれない。

 いや、そもそも着替えた私服のほうに、多少なりとも匂いが残っていたと考えるべきか。

「すみません。そういうつもりではなくて」

 音羽ちゃんは意外にも首を振りながら、口元を緩めてみせる。

「それの……機械油の匂いは、慣れていますから」

 確かに慣れているだろうが、かと言って好意的に思う匂いとも思えない。

「私、嫌いじゃないですよ、機械油の匂いって」

「意外っていうか、ちょっと驚いた」

「まぁ、普通の女子ならあまり好きなものではないでしょうけど」

 彼女もその気持ちはわかると言いたげだが、優しい目をして続ける。

「この匂いは、私を育ててくれた証、みたいなものですから」

 なるほど、そういう考え方もできるのか、と感心してしまった。

 普段は厳しいことを社長にも平然と言う子だが、大切なことをちゃんと理解しているらしい。

「今の、社長に言ってみたらどうだ?」

「言いません。桜葉さんも、絶対に言わないでくださいよ?」

「もったいない。社長、号泣するかもしれないのに」

「だから、です。そんなこと言ったら、ますます甘やかそうとするに決まってます。想像、できるでしょう?」

「確かになぁ」

 彼女も彼女なりにいろいろ考えているのだと、どうしても緩んでしまう顔に手を当てた。

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