2-1

 いつものように目覚め、いつものように身支度を整え、簡単な朝食と会社に持っていく弁当を用意する。

 手早く済ませることができるので、朝はトーストにすることが多い。

 弁当を用意するついでに、目玉焼きとソーセージくらいはフライパンで調理する。

「手間はさして増えないな」

 いつもと違うのは、一人分ではなく、二人分の朝食を用意しているという点だ。

 と言っても、そのもう一人はまだ爆睡中なのだが。

「よくもまぁ」

 同じ室内でこれだけ動いていれば、気配や音で目覚めそうなものだが、自称女神さまが目覚める気配は今のところない。

 目が覚めたら姿もなく、昨夜の出来事はすべて夢だった、という展開も少しは期待していたのだが、そんなことはなかった。

「……冷めても、温めるくらいはできるよな」

 完成した二人分の朝食をテーブルに並べる。

 自分用のコーヒーも用意して、いざ食べようとしたところで、彼女が目覚めた。

 まさかとは思うが、匂いにつられて起きたわけじゃないよな?

 もしそうなら、ただでさえ感じられない女神としての威厳が、さらになくなる。

「……おはよう」

 むくりと起き上がり、寝ぼけ眼で周囲を見回す少女に声をかける。

「…………おはよう、ございます」

 少し乱れた髪を指先で弄びながら、少女は小首を傾げるように頷く。

 条件反射のように挨拶を返してはきたが、意識はまだ半分ほど眠っているようだ。

 小さくあくびをかみ殺して目をこする仕草は、小動物を思わせる。

「コーヒー、いるか?」

「……ふぁい、いただきます」

 目を離したらそのまま布団に倒れこみそうだな。

 あの様子だと、昨夜はなかなか寝付けなかったか。

 単純に朝が弱いのかもしれないが、おそらくは寝不足もあるはずだ。

 日付が変わるころに眠る俺に合わせて、彼女も布団に入った。

 俺はすぐに眠りに落ちたが、彼女はそうではなかったのだろう。

 まぁ、仮にも初対面の男と同じ部屋なのだから、落ち着いて眠れないのも当然だ。

 どんな事情があるにせよ、不安がなかったとは、思えない。

「ほら」

「……ありがとう、ございます……ん、おいしぃ……でも、にがい」

 ガムシロップもミルクも入れずに飲むコーヒーは、苦いに決まっている。

 少し温めのお湯にしておいて正解だった。

「できたばっかりだから、食うなら今のうちだぞ」

「……はいぃ」

 夢うつつな様子でパンに噛り付く彼女を見ながら、自分の食事を再開する。

 いつもの出勤時間まで、それほど余裕はない。

 特に会話もせず、食事に集中する。

 俺が食べ終えて食器を片付けている間も、彼女はぼんやりと食事を続けていた。

 進展があったとすれば、コーヒーにガムシロップとミルクを追加したくらいか。

 こっちはそろそろ家を出なくてはならない時間だ。

 相変わらずマイペースにトーストを齧っている彼女を見やり、小さくため息をつく。

 玄関先に置いてあるキーホルダーから合鍵を外し、彼女がいるテーブルに置く。

「これ、置いてくからな」

「はいぃ?」

 本当に理解しているのか、不安が残る返事だ。

「寝起きが悪いすぎるだろ、えーっと……ぁ」

 どうするのか、と尋ねようとして、ずっと聞きそびれていたことに気づいた。

「名前、聞いてなかったな。なんて呼べばいい?」

「なまえですかぁ?」

「そうだ。聞き忘れてた」

「そうですねぇ……では、アンジェとお呼びくださぁい。地上ではそう呼んでいただくのが無難なのでぇ」

「アンジェ、ね」

 金髪碧眼という容姿には似合っているが、口振りからすると、本名とは違う気がする。

 なんとなく、そう思えた。

 まぁ、本名であろうが偽名であろうが、彼女をどう呼べばいいのかがわかれば、それでいい。

「合鍵、置いてくぞ。どうするつもりか知らないけど、出かけるなら鍵はかけていってくれ」

「あいかぎ……わかりましたぁ」

「……頼むぞ」

 出勤する気持ちまで削がれそうな脱力感に襲われながら、玄関へ向かう。

 ちゃんと目が覚めたあとで、彼女がどう行動するのかわからない以上、弁当まで用意してはやれなかった。そもそも予備の弁当箱なんてないし。

 日用品だって、改めて考えれば追加で必要になるかもしれない。

 そう考えれば、多少不用心かもしれないが、合鍵を預けたほうがいいと思った。

 万が一の場合には、社長に謝って鍵を変えてもらえばいいだろうし。

 これ以上時間を無駄にしている余裕もない。

「じゃあ、行ってくる」

「はぁい。いってらっしゃいませぇ」

 微妙なこそばゆさを背中に感じつつ、玄関を開けて外に出る。

 彼女を一人にするのは、正直不安だ。

 とは言え、疑うには今更すぎる。

 なにも問題が起こらないことを祈りながら、徒歩十分で辿り着ける会社へ向けて歩き出した。

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