1-7

 ここまで言えば、彼女も納得してくれるだろう。

「それでも私はあなたを……桜葉孝也さんを幸せにしたいんです」

 そんな俺の希望は、見事に流されてしまった。

 笑顔でもなく、ジト目でもなく。

 ただただ純粋に、真っ直ぐな碧い瞳で。

「……なんでそこまで俺にこだわるんだ?」

 さすがにここまでしつこいと、そのあたりをスルーできなくなる。

「お答えできません」

「おい」

「いいじゃないですか、理由なんて」

「よくはないだろ。いざ叶えたあとで代償とか請求するつもりかもしれないし」

「女神はそんなことしません。というか、そんなことを心配するんですか? 私、女神ですよ?」

「自称女神の言葉を信じるほど、楽天的じゃなくてね」

 自称と言われた彼女は不服そうだが、こっちとしては信じる材料が皆無だ。

「ただより高いものはないって言葉、知らないのか?」

「知識としては理解していますが、今回の件は当てはまりません。さっきも言ったじゃないですか。これは世界の……神の意志も同然ですから」

 今の一言はこれまでにないほど胡散くさいのだが、彼女はどう見ても本気で言っている。

「こっちがいいって言ってるんだから、それで納得してくれない? そのほうが君も手間が省けて楽でしょ?」

 あまりの面倒くささに耐え兼ね、その場にしゃがみ込む。

 ただでさえこっちは仕事帰りで疲れているのだ。そろそろ勘弁してほしい。

「申し訳ないですけど、私、諦めませんから。孝也さんが納得して、願いを言ってくれるまで、帰りません」

「……マジかぁ」

 ここまでひどい押し売りもそうはない。

 おまけに彼女はどこまでも真剣で、悪意のかけらも見当たらない。

 愚直で無垢な善意の押し売り。

 いや、善意かどうかはまだわからないが。

 彼女の容姿や雰囲気がそう思わせるのだろうか?

 そこまで計算されているのだとしたら、ひと筋縄ではいかないだろう。

「…………わかった。俺の負けだ」

 形勢の不利を悟った俺は、彼女の強引さに根負けしたことを認める。

「じゃ、じゃあ――」

「とりあえず、願いごとうんぬんは後回しだ。もう一回、ちゃんと話を聞かせてくれ」

 気持ちを切り替えるように立ち上がり、部屋の奥を指さす。

 と言っても、少し広めなワンルームの部屋なのだが。

「よろしいんですか?」

「いいよ。お茶くらい出すし」

「ありがとうございます。では、失礼して」

 見ているこっちが心配になるほど不用心に、彼女は靴を脱いで部屋に上がる。

 無防備な背中をため息とともに見送り、念のためドアスコープから廊下の様子を確かめる。

 懸念していた近所のやじ馬も、怖そうな厳つい黒服の姿も見当たらない。

 ひとまず面倒な展開はなさそうだと胸をなでおろし、一応鍵をかけておく。

 この部屋は会社の社員寮として借りている部屋だ。

 あまり玄関先で妙なやり取りをしていると、近隣住民に妙な噂を立てられかねない。

 お世話になっている社長に迷惑をかけるのは忍びないので、それだけは避けたい事態だ。

「なんでこんなことになってるんだか……」

 いつもと変わらない一日だったはずなのに。

 綺麗に揃えられた靴に感心しつつ、興味深そうに部屋を眺めている彼女のもとへ向かった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る