1-4

「……なんて?」

 聞き間違いかと思い、一応訊き返してみる。

「ですから……あ、そうだ。こういうときのためのメモが……えーっと、少しお待ちください」

 ただ繰り返せばいいだけなのだが、彼女はポンと手を叩いてスカートのポケットをまさぐり始める。

「よかった、ありました」

 やがて一枚のメモ用紙らしきものを取り出した彼女は、真剣な面持ちでそれに視線を走らせ、口の中でなにかを呟く。

 何度も確認した彼女は、もう大丈夫だと言うようにメモ用紙をポケットに戻し、

「どんな願いもミコスリハン! あなたを幸せに導く、ランプの女神です」

 などと、語尾に楽しげな記号が付きそうなことをリズムに乗せて言った。

 おまけに、なぞの決めポーズ付きで、だ。

 ポーズを決めたまま固まっている彼女の頬は、どう見ても赤い。

 まさかとは思うが、自分で勝手にやっておいて恥ずかしがっているのだろうか。

 一体なにを見せられているのかと言ってやりたいが、話が進まないのでその言葉は飲み込む。

「話はわかった。やっぱり興味はないから、帰って」

 その代わり、これで終わりだと宣言してドアの向こうを指さす。

 これ以上付き合ってやる義理はない。

「待ってください。どうしてそうなるんですか?」

「どうもうこうもあるか。やっぱり風俗か宗教の類だろ、絶対」

「えぇ⁉ そんな要素、どこにあったって言うんですか? 私、真剣なんですけど」

「あれをマジで言ってるならあんた、きっと騙されてるよ。誰に紹介された仕事か知らないけど、さっさとやめたほうがいい」

 あの言葉とポーズを見せられて、風俗の営業と思わないほうがどうかしている。

「あ、あれぇ? 先輩のアドバイス通りにやったはずなんですが……間違えたかな?」

 迷子のようにうろたえながら、彼女は先ほどのメモを取り出す。

「うーん、間違ってない、と思うんですけど……」

「ちょっとそれ、見せて」

「あ、はい」

 あっさりとメモ用紙を差し出してくる彼女から受け取り、書かれた内容を確認する。

「……間違ってない、ですよね?」

「……確かに、書かれてある通りだった」

 が、それ以前の問題だ。

「その先輩とやらがどんなやつか知らないけど、あんまり信じないほうがいいと思う」

 メモに書かれた内容を見る限り、まず間違いなく、書いた本人は面白がっていたはずだ。

「実は私、ちゃんと理解はできてなくて。特にその、ミコスリハン? とかいう言葉の意味が。人間界ではどういう意味なんですか?」

「俺もまぁ、会社の先輩が言ってたのを聞いたくらいで、正確に理解しているかと言われるとあれなんだけどさ」

 だが先輩が口にしていた状況と言葉の響きから、いかがわしい意味なのは間違いないだろう。

 このメモを書いたやつは、俺の先輩と同じいい年をしたおっさんかなにかなのだろうか?

 いや、この際それはどうでもいいか。

「とにかく、これについては忘れよう」

 そう言って丸めたメモ用紙を、キッチンにあるごみ箱めがけて放り投げる。

 彼女は僅かに声を上げたが、勝手に上がり込んで取りに行く気はないようだ。

「で、改めて確認するけど」

 わざわざ口にするのは億劫だが、仕方がないとため息をつく。

「俺を幸せにするのが目的って、本気で言ってるの?」

「はい。それだけは、間違いありません」

 こちらの気分などまるでお構いなしに、彼女は真っ直ぐな瞳を笑みに乗せ、頷いた。

 本気だということだけは、嫌というほど伝わってくる。

「って言われても、な。人違いじゃないか?」

 あいにくとこっちは、そんな幸運に恵まれる覚えが一つもない。

 怪我をした動物を助けたこともなければ、他人に親切を施したりもしていない。

 むしろ、真逆の生き方をしているはずだ。

 極力他人には関わらず、その日その日をなんとなく生きている。

 ただ、それだけだ。

「いいえ、人違いなんかじゃありません。このランプは、あなたのために用意されたものです。そして私は、あなたの願いを叶え、幸せにするために天界からやって来た女神なんです」

 しかし彼女は、そんな俺の思考を迷いのない笑顔で吹き飛ばそうとしてくる。

桜葉さくらば孝也たかやさん。あなたの願いを、叶えさせてください」

 本当に、質が悪い。

 嘆くような思いで、俺は天井を見上げた。

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