青い馬

松長良樹

青い馬


 僕がその馬を見つけたのは駅の近くだった。終電に揺られて、会社の新年会の帰りに若い仲間と三次会まで盛り上がって、仲間と別れ駅からふらふら歩いて帰る途中だった。

 

 まだ酒が残っていたから馬を見ても驚きもしないで素通りするところだった。

 

 だけど僕の視覚が小さい馬の存在を疑って、再度振り返ってそれを見た時に初めて驚嘆した。


 ――それは確かに馬だった。


 この世にこんな可愛い馬が存在するのだろうか? そう思って立ち止まり、目を凝らして観察した。


 子犬ほどに小さく全身がぼーっとして、水銀灯の様な光に包まれ、地が薄い青でグレーの縞模様が浮き上がっている。目が大きく、長い睫毛がとても印象的だ。


 仔馬に違いないがその視線がとても優しい。酒のせいもあったのか、僕は思わずその馬を抱きしめてしまった。


 その行為は衝動的で、酔っ払いみたいだったけれど、抱きしめると柔らかで温かい馬の体の感触が伝わってきた。


 で、僕がどうしたかというと仔馬を抱きかかえて家に連れ帰ってしまった。


 僕の家は幸い戸建てだったから、わりとペットを自由に飼うことが出来た。

 でも僕は馬を束縛してしまうような事はしたくなかった。だから庭で放し飼いみたいにしたが仔馬は決して逃げようとはしなかった。


 僕の家族は母と姉の三人暮らしで、父はすでに他界している。五十六歳の母はその馬を見てとても驚いて「敬一、馬なんてものが家で飼えるわけがないじゃないか。どこからか逃げ出したのかもしれないから警察に届けなさい」と反対したが、それがあんまり可愛いもので、つい「少しだけ家に置いてみようか」と言った。


 行かず後家の姉も、最初は驚いて、本当に馬なのかと疑ったりしたが、その愛らしさに思わず冷蔵庫からニンジンを出して食べさせると、その食べ方がとても上品で愛らしいので、すぐに気に入ってしまった。僕の家族はとても甘い。


 僕は庭の物置を改造して一週間かけて馬小屋をつくった。それでも寝る時はベッドで時々一緒に寝たりした。名は姉がペガサスと名づけた。


 そんな風にして仔馬はいつしか僕の家族同然になった。そして仔馬は三人に可愛がられてすくすくと成長していった。


 エサは飼葉でなく野菜だった。というかペガサスは雑食でなんでもよく食べた。そして数か月が過ぎたころペガサスは大型犬ぐらいの大きさになり、背中に左右対称のこぶのような突起が出来た。姉はそれを見て「この馬、本当のペガサスかも知れないね」と不思議そうな顔をした。


 でも僕はこう言った「姉さんがペガサスという名を付けたから、この馬はペガサスになろうとしたんだ。きっと」

 姉さんは呆れた顔をしていたけどペガサスの背の突起は姉の予想通りに、鳥の翼みたいに成長していくのだった。


 日々凛々しく成長していくペガサスだったけど、とても賢くおとなしい性質は依然として変わらなかった。


 僕はその頃、家に庭に塀をつくってペガサスが人目に触れないようにした。こんな奇抜な馬の存在をマスコミなんかに嗅ぎつけられたら、ろくな事にはならないだろうと考えての事だった。絶対に秘密にしたかった。


 それからまた数か月が過ぎたころ奇妙な事が起こった。


 僕が会社の休みの日にペガサスにブラシをかけていると何処からともなく声が聞こえてきた。


「ねえ、敬一」

 

 その声はそう僕の名を呼ぶ。


 僕は最初、誰が自分を呼んだのかと思って、きょろきょろしたが誰もいない。そしてしまいに、もしかしたらペガサスが自分を呼んだのかと思い当たった。


「ねえ、敬一、私はペガサスです。私はあなたの心に話しかけているのですよ」


 そして僕は直ぐにペガサスがテレパシーによって自分と会話できることを知った。


「敬一、今まで私を育ててくれてありがとう」


 そう語りかけるペガサス。僕は驚いたけれど、ペガサスならテレパシーを使えたっておかしくないと思った。


「ペガサス、君はとても賢いんだね。でも他の人には決して話しかけたりしたら駄目だよ」


 僕はそう言った。するとペガサスは急に黙り込んで、僕に背を向け、空の一点を見つめているのだった。

 

 僕がそんなペガサスに歩み寄って背を撫でると、僕を振り返ってこう伝えてきた。


「敬一、そろそろ旅立ちの時が迫ってきました」


「旅立ちの時って、それ、なんなの?」


 僕がなんの話かと思って、そう訊き返すと、大きく成長したペガサスは、一回身震いしてから僕を自分の背に乗るように促して、こうも言うのだった。


「敬一、旅立ちの前に真実を知る必要があります。辛いでしょうが受け入れてくださいね」


 そう言うのも束の間で、僕はいつの間にかペガサスの背に乗って、宙を飛んでいるのだった。少し怖かったが、慣れてくると爽快で、まるで夢のようだった。


 どれ位空を飛んだかわからなかったけれど、気が付くとそこは見覚えのある夜の駅で、誰もいない。そしてペガサスがホームに着地した。


 僕は無意識にホームに降りて少し歩き、ふと下を見ると、頭から血を流した男の人がホームの下に倒れていた。

 これは大変だと思ったけれど、その人を良く見るとそれは他ならぬ僕自身なのだった。


 僕はあまりのショックに気持ちが混乱して収拾がつかなくなった。


 しかし暫らくして僕はすべてを悟った。そして不思議な程、心が落ち着いてきた。


 一瞬に蘇えった記憶……。


 僕はあの新年会の帰りに泥酔してホームから転落して死んだ。


「ああ、ペガサス僕はもう死んでいたらしい。そうなんだね。ねえ、ペガサス」


 ペガサスの慈悲深い目が僕をただ見つめていた。


「実はあなたが死んでからまだ数秒しか経っていないのです」


 その言葉を聞いて僕は全てが一瞬の出来事だった事を理解した。いつの間にか僕の中で悲しいと、嬉しいとが見事に融合していた。

 

 心地よき錯乱。それは素晴らしくて不思議な想いだった。


「さあ、新しい世界に一緒に行きましょう。敬一、私に乗って」



 ――静かにペガサスが言った。





                 了

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青い馬 松長良樹 @yoshiki2020

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