いい刺しゅうの日
~ 十一月四日(水) いい刺しゅうの日 ~
※
一万人からにらまれる
器用だし。
頭も良い。
でも、そんな天才も。
初めての体験じゃあ、こんなもの。
「……む、難しい……」
「ダイジョブ。ユックリ」
なんとも微笑ましい秋の一コマ。
ストーブ前の、毛足の長い絨毯に。
春姫ちゃんと、お母さん。
仲睦まじく、座り込んで。
刺しゅうの稽古。
丸い木枠にピンと張った白い布。
そこに赤い糸でバラを描くのは。
金髪碧眼の美少女。
「いい趣味だね。どうして刺しゅうを?」
「……ただの宿題だが。立哉さんがいいと言うなら、趣味にしてみようか」
初めて入った舞浜家の居間は。
アンティーク、西洋風のインテリアに囲まれた部屋の中央に。
綿がペッタンコになったこたつと。
やたら痩せた安物ミカン。
相変わらず。
金持ちなのか貧乏なのか。
さっぱり分からん家だ。
――今日、舞浜家にお邪魔した理由は。
ガスストーブのケーブルを。
どう挿したらいいか分からないという春姫ちゃんからの連絡を受けたから。
「……まさか、押し込むだけとはな」
「外す時は、横のボタン押せばいいから」
作業にかかった時間は十数秒。
だというのに、ラングドシャと紅茶でおもてなしされて。
割のいいことと言ったら。
「……立哉さん。そう言えば、お姉様と二人で部活を始めたらしいな」
そんな呑気なくつろぎタイムも。
西の空が、にわかに曇りだす。
春姫ちゃん。
最近。
「……それは、お姉様と二人の時間を作るため、ということか?」
この無表情な仮面の下で。
俺と秋乃をいかにしてくっ付けるか。
そんなことを企むようになってきた。
さて、今日は。
どう切り返したもんかな。
「ああ、そうだ。先輩から引き継いで、変な部活に入らされた」
「……変な?」
「そうだな、いろんな部活にお邪魔するだけの部だよ。この間はグランピングを体験してきた」
「……ほう。それはまた、高尚な趣味だな」
「高尚なのか? グランピングって、結局のところ魅力が分からん」
よし、上手いこと話題を逸らしたな。
あのままだと、春姫ちゃんの隣でニコニコしてるお母さんからも。
根掘り葉掘り問いただされることになってたはずだ。
「……私も、体験してみたいな」
「道具はうちにあるな……。やってみるか? 隣の駐車場になるが」
「……よし、言質を取ったぞ?」
「そんな不穏なこと言わなくても。喜んで招待するよ」
「……私は途中で用が出来て帰るから。お姉様と二人、秋の夜を堪能するといい」
「用が出来るってなんだよ。いちいち俺たちをくっ付けようとすんな」
軽く怒った口調で。
ぴしゃりと言ってやったが。
ここのところ。
ちょっと意識してたから。
顔が熱くなっているのが分かる。
……そう。
意識はしていた。
でもそれは。
秋乃に彼氏が出来たら。
友達ではいられなくなるって事についてであって。
決して。
俺が秋乃と付き合いたいという話ではない。
そもそも。
春姫ちゃんは気にしてないからそんなことを言うんだろうけど。
当事者は。
知ってるんだ。
秋乃が美人であることと。
俺が、それには吊り合わない程度だということを。
……世の中。
ルックスが吊り合う者同士がくっつくようにできてるわけで。
なんであいつがと。
平気でいられようはずもねえ。
「……お姉様では不服と思われるやもしれんが、あれでなかなか、尽くすタイプだと思うぞ?」
「不服なんて思ってねえ、そういうこっちゃなくてだなあ……」
「……ほう? 不服でないなら、お姉様がいぬ間に既成事実を作ってしまおう」
「なにする気だ!?」
「……その前に、宿題を手伝ってくれ」
なんだろう。
仕込みでも必要なのかな。
だったらせいぜい。
宿題を長引かせて。
秋乃が帰ってくるまで粘ってやろう。
「よし。何をすればいい?」
「……まずはこの布に、『立哉』と刺しゅうしてみてくれ」
「名前かよ」
春姫ちゃんが渡してくれた。
やたら小さな刺しゅう枠。
「わー。難しいなー。久しぶりで、上手くできないぜー」
ぶつくさ言い訳しながら。
わざとゆっくり名前を縫っていると。
「た、ただいま戻りました……」
一体、どこへ行っていたのやら。
一時間近くのお出掛けから帰って来た。
「どこ行ってたんだよ」
「よ、よかった……。まだやってた……」
「刺しゅうの話か?」
「うん……」
ほっと胸を撫でおろしながら。
春姫ちゃんの隣に腰かけて。
「わ、私も一緒に、刺しゅうする……、ね?」
そう言いながら。
こいつが袋から取り出したのは。
タンバリン。
「ぷっ! ……ふぉふぉふぉふぉふぉふぉ!」
「うはははははははははははは!!! 針通す度、しゃりんしゃりん言うわ!」
一時間もかけて。
どこで借りて来たんだそれ!?
これだから。
舞浜家は度し難い!
「こっちのは、既に布を張っておいた……」
「うはははははははははははは!!! 叩くな叩くな!」
「……ふう。毎日毎日、私が笑う練習に付き合って下さらなくともよいのだが?」
「春姫が笑えるようになったから……。もっと面白いことしないと……、ね?」
……かつては。
笑わないための特訓でしかなかった行為が。
今では。
一緒に笑うためのネタ。
でも。
秋乃が、日々面白いことばかりやるのは。
今も昔も変わらず。
春姫ちゃんのため。
そのことに気付いた俺は。
胸があったかくなったと同時に。
チクリと。
痛みが走った気がしたんだ。
まるで。
針が刺さったように…………?
「いてて! 刺した!」
情けねえ。
仲良し姉妹の笑顔を惚けて眺めてたら。
指に針刺しちまった。
「だ、大丈夫? たつ、保坂君……」
「平気平気」
心配すんなって。
指先なんて、あっという間に血は止まる。
でも、秋乃の視線は俺の指じゃなく。
刺繍の方に向いていた。
「…………え、えっと」
「ん? ……ああ、下手だろ?」
お前が帰ってくるまでの時間稼ぎ。
何度かやり直すために。
わざと下手に書いた俺の名前。
「あ。あの……」
「そんな目で見るな。悪かったな」
「わ、悪いって言うか……。そ、それはどういう意味……」
ん?
なんだよその複雑な表情。
なにが言いたいのか分からん。
「どういうもなにも。俺の名前だが」
「だ、だってそれ……。私のパン……」
「なんだってえええええええええええええええええええええええええええ!?」
慌てて刺しゅう枠を放り投げると。
丸まってた布が広がって。
赤いリボンが目に入る。
「ちょっとまてええええ! 誤解だ! これは、その……」
春姫ちゃんに渡された。
そう言うのは卑怯な気がして。
言葉を濁らせたんだが。
「……既成事実」
諸悪の根源が。
すまし顔で言うから。
俺は思わず。
おでこにチョップした。
……そして、しばらくの間。
「変態の保坂君、晩御飯食べてく?」
「その呼び名をやめてくれたら考える」
秋乃が、俺を呼ぶ名が。
またすこし変化した。
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