人と向き合う事。ちょうど良い距離感

最近の人たちは……なんて思う事が多くなったのは歳のせいだろうか?

つい先日職場で漫画の話をしていた。

昔は〇〇を読んでたなー。とか

〇〇て漫画知らない?とか

自分に話してるわけではないけど、

耳だけそちらを向いて

『それ昔読んだなー』とか思って懐かしんでいた。普段からよく話す人でもなかったのでこころで返事をするだけに留めていた。


けれどもその中で『藤原カムイ』の『雷火』という漫画の名前が出た時、あまりにもびっくりして、つい「それ知ってるですか??」と声をかけてしまった。


まーどれだけの需要があるかわからないけれど、長年その漫画を知っている人に出会った事がなかったのでこんな間近にと思えた。

『藤原カムイ』の漫画はとても絵が好みで、

『雷火』に関してはその時代背景が(卑弥呼の時代)非常に興味深くとても良い作品です。しかも800円もするワイド版(当時の漫画で800円はかなり高めだったと思う。)は本のカバー表紙もとても質が良く。ただの単行本収集だけではなく、一つの画集を持っているかの様な高品質だった。おそらく連載がジャンプとかマガジン、サンデーみたいなメジャー雑誌じゃなかったのでマイナーかしなかったのだろう。けれどもそれ故にその単行本の出来は他には見られない特徴的なものだった。

(なのに何故かBOOKOFFに放流してしまった。非常に悔やまれる。)

興味のある方は是非一度手にとって、

読んでいただきたい。

まーそんな話で盛り上がり、その時から少しだけその人との距離が近くなった気がした。

共通の話題とはきっかけさえあれば、

人との距離を縮めるものだと実感した。


さて本題の人との距離感。

世の中のWEB化が進めば進むほどに、

人の関係性は希薄になっている。

何故ならば人と接しなくても、共通の趣味を持つ人たちは繋がる事ができるからだ。

人と接しなくても、わからない事を簡単に調べる事ができるからだ。

昔(遠い昔の学生時代)はドキドキしながら、好きな人に電話をして、親兄弟が出てきて、ヒヤヒヤしながら変わってもらった物だ。そういうところに人と人との気遣いや、遠慮や人の気持ちを察するという気持ちが芽生えたものだ。

時代の流れ……とはいえ希薄になったのは、

若い人だけではなく、同じ世代の人たちもまた、道路にゴミが落ちていようが、顔色が悪い人が座り込んでいようが、子供が危ない事していようがが繰り広げられている様に思う。(もちろん皆んながそうでは無いが……。)


反面、今年のはじめにあった石川の大地震。

その映像で、デーサービスの送迎中に地震にあわれた施設職員が車の道が閉ざされ、1人では無理だと判断して逃げゆく人たちに協力を仰ぐと、見知らぬ人が老人をおぶさり、手を繋いで公民館まで逃げたというものがあった。そういった映像を見るとまだまだ日本も捨てたもんじゃないとも思える。


もう一つほっこり話。

先日ショッピングモールのフードコートを訪れると、小さな2人の子連れの親子がソフトクリームを購入していたが、2個目を買ってる間に一つ落としてしまった。(おそらく3歳くらいの子が)少し疲れた顔のお母さんが怒る事もできずに、とりあえず落ちたソフトクリームを掃除して片付けていると、店のおばちゃんが、「どうしたの?」と声をかける。

その後返事も待たずに「落ちたのか?そしたらほら。」とすかさず新ソフトクリームを差し出した。お母さん慌ててお金を払おうとすると、「何いってんのいいんのよ。」

と払いのけ、お母さんは頭を下げながら、3歳?の子供と一緒に「ありがとうございます。」という光景を見ました。


いやほっこり。

もしあれが20代のアルバイト店員ならあれは出来ない。それは時代関係なく出来ない。

でもそういう人を見ると、そうか自分もそういう事してあげられたらいいな?って思うんじゃないだろうか?


人との距離感は大切だ。

そういうおばちゃんは気はきくけど、時には入らないでほしい領域まで入ってくるかもしれない。でもそれはそれ。

人との付き合い方をそこで感じればいいのかもしれない。

とにかく『人との距離感』

を感じる為に『人と向き合って生きる』


それを忘れずに生きて行きたいと思ったお話しでした。


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わたしがおもうこと 雨月 史 @9490002

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