1-7
もう何度も思っていることだが、寒くなると陽が落ちるのが本当に早い。
夕方5時頃までPC室でレポートを作成し、完成して外に出てみるともう空が真っ暗になっていた。正門に続く坂道を、足場に気を付けながらゆっくり下る。
「桐田くん、帰り?」
声をかけてきたのは白石さんだった。
「うん 白石さんも遅くまでご苦労様です」
「ははは ただの部活だよ」
「大学でも部活ってガッツだよね」
「それはそうかも 桐田くんは部活やってなかったの?」
「まったく」
「へー にしては運動神経よさそうな体型だよね」
「あざっす」
白石さんは笑った。
「彼女にはなったの?」
「えっ」
「前の授業で話した人 わかってるでしょ」
「ああー」
白石さん、よく覚えてるな。
「白石さんは彼氏いるの?」
言ってから、何となくまずいことを言った、まずい言い方をしてしまったような気がした。
「いるよ 3人」
「ひょえ~」
白石さんが平然と答えたので、思わずそんな声が出た。
その時、正門のほうでバイクのエンジン音が派手に鳴った。白石さんは、そっちを指さして「あれ、4人目ね」と言った。
「じゃあね」
「うん バイバイ」
白石さんが足早に坂を降りていく。縦ラインの入ったクリーム色のニット越しに、柔らかそうな胸が揺れていた。
彼氏の有無を聞くより、「ひょえ~」なんて言うほうがよっぽどまずいんじゃないか。次会う時までに忘れていてくれますように。
俺が後悔に苛まれていると、カバンの中でスマホが振動した。連続した振動なので、誰かからの着信だ。俺は坂の途中で足を止め、カバンからスマホを取り出す。画面に表示された名前を見、通話ボタンをスライドした。
「はい」
『もしもし 着信が来てたからかけたんだけど ラインでもいいかなと思ったんだけど、電話だったから電話で返したほうがいいのかなと思って』
「あっ そうだったんですね すいません わっ!」
通話しながら歩みを進めていたら、小さな段差につまずいてしまい、電話を握ったまま、1メートルほど坂を転げ落ちてしまった。ほんの数秒だったが、一瞬目の前が真っ暗になり、自分がどこにいるのかわからなくなった。
しばらくうずくまっていると、スマホのスピーカーから声が聞こえた。
『陸くん!?』
その声で、一気に現実に引き戻された。
なんとか起き上がり、スマホに耳を当てる。
『陸くん 大丈夫?』
「ああ……めちゃくちゃびびりましたけど……大丈夫です……」
スピーカーから、大きなため息が聞こえた。
「俺、志保さんいなかったら死んでましたわ」
心から思ったことを、そのまま口にしてしまった。そして、今起こったことを電話越しの志保さんに説明した。
『それは危なかったね 怪我してない?』
「まあ、転がっただけなんで、大丈夫です」
『そっか』
恐る恐る坂道を下りながら話していたが、そこで一通りの会話が終わった。
『それで、前くれた電話は?何かあるの?』
「あっ あれは」
俺が志保さんに電話したのは、高架を通っていた特急電車に志保さんが乗っていたような気がしたあの時だった。見間違いだと思ったがどうしても気になって、鍵を届けてもらった夜に交換した番号に着信を入れた。3コール程したころ、だんだんと自信がなくなってきて、しかも、もし乗っていたとしても電車の中だから話せるはずもないと思い、電話を切ったのだ。履歴自体は残るので、何かメッセージを送っておかなければと考えたが、何を送ればいいのかわからずうやむやにしたままだった。
気にしないで忘れてほしいと思っていたことへの反応が不意に来たため、俺は頭が真っ白になった。
俺は思わず正門前で足を止めた。
「あれはちょっと、間違って押しちゃったんです」
とっさに口から出たのがその言葉だった。
『そっか』
志保さんは短く言った。
再び会話が終わった。
「話すことなくなりましたね」
俺が言うと、志保さんは、俺のクロスバイクを見た時のように吹き出した。
『陸くんって思ったことけっこう口にするタイプ?』
「そうかもしれないです」
『面白いね』
スピーカーから、車が通り過ぎる音が聞こえた。
「ていうか、電話するの初めてですよね」
『うん』
「話すのも、2回目ですね」
そう言うと、途端にあまり知らない相手との会話であることが頭の中で強調され、少し話しづらいような。
『陸くんって呼んでよかった?』
そう言われて、志保さんが自分のことを陸と呼んでいるのにようやく気付いた。
「あ、全然」
『陸くんも、私のこと名前で呼んでるよね』
「わっ 失礼しました」
『こっちこそ なんか呼んじゃった』
俺も、ずっと頭の中でそう呼んでいたから、とっさに出たのが名前だった。
『よろしくね 陸くん』
「はい、志保さん」
こんなにお互いの名前をじっくり呼んで認識しあうのは何年ぶりだろうか。小学校ぐらいまで遡らなければいけない気がする。
『じゃあ、また』
「はい」
俺は通話を終え、スマホをカバンにしまった。
「えっ」
ずっと正門前に立っていると思っていたら、いつの間にか目の前には大学の最寄り駅があった。電話をしながら、知らぬ間に歩いていたらしい。急に景色が変わったように感じて、思わず声が出てしまった。
気を取り直して、改札を通る。電車を待ちながらさっきの電話のことを思い出していると、再び一瞬にして俺は自分のワンルームの部屋に到着していた。
怖くなって、その日はすぐに寝た。
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