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 授業を終えて廊下を歩いていると、突き当りの曲がり角から車いすの人が現れた。50代ぐらいのおじさんで、福祉系の授業に講師として招かれた人なのだろう。車いすの前輪部分がテーマパークの夜のパレードみたいに光っていて、思わずじっくり見てしまう。あんなの、初めて見た。おじさんが前進すると共に前輪はきらきらと回って、丸いライトの色彩1つ1つが一色に混ざり合う。

 ふと回転が止まった。車いすが、スムーズに方向転換できなかったようだ。俺はおじさんのほうへ向かい、ハンドルを持って方向転換をした。やってから、このやり方で良かったのか不安になっていると、おじさんは「サンキューなあ!」とハリのある声で言った。

 「大丈夫でしたかね」

 「バッチグーやで!」

 おじさんは元気に手を振って、俺の横を通り過ぎていった。

 「桐田」

 そう呼ばれて顔を上げる。

 「おー 花影はなかげ

 そこにいたのは、分厚い教科書をたくさん持った花影だった。花影は、入学式で成績優秀者としてスピーチをしていて、その数日後たまたま学食で見かけた。真面目そうだから声をかけていいものかと思ったが、話してみると案外気さくだったのが印象に残っている。学部が違うから同じ授業にはならないが、学内ですれ違ったら声をかけるような関係だった。

 「車いすが止まったから追いかけてきたんだけど、桐田が介助してたからびっくりしたよ」

 「ああ 花影の授業の人?」

 花影は確か、福祉系の授業を取っていたと聞いたことがある。

 「うん 関西の大きい施設の代表さんだって」

 「それで関西弁だったのか…」

 「俺もびびったわ」

 「な 

  それパーマ?」

 「うん よく気づいたな」

 花影はゆるくウェーブのかかった髪をくしゃくしゃっと触った。

 「いいじゃん」 

 「そうかな ちょっと失敗」

 「彼女に言われたの?」

 「違うわ だからいないって」

 花影はすらっと背が高く服装も清潔感があって大人っぽいので、どこからどう見ても彼女がいそうな出で立ちだ。なので、毎回彼女がいるていで話すのだが、否定される。

 「そっちは?」

 「俺はー…」

 俺もまた否定しようとしていると、花影はあっと小さく言った。

 「次の授業教室遠いんだった」

 「おっ 急がなきゃ」

 「じゃあまた」

 俺は遠ざかる花影の背中をしばらく目で追った。会うたびいつも、忙しそうにしている気がする。河野同様、青春真っただ中な感じだ。

 花影って、相当珍しい苗字だな。


 「はいはい、集中」

 塾長が、ブースの外でそういうのが聞こえた。

 「すいません」

 塾では、授業が始まる前に生徒の近況報告を聞く時間を設けている。学校で嫌なことはないか、逆に楽しかったことはあったか。よくコミュニケーションをとることで、よりよい指導につながると、研修中に教わったことがある。まあ、いきなり授業に入るよりもやりやすいから、というのもある。今日は、生徒の学校のクラスで流行っているノリを詳しく聞いているうちに盛り上がってしまい、ついつい声が大きくなり、塾長に叱られてしまった。

 「桐田さんは高校と大学だったらぶっちゃけどっちが楽しい?」

 「うーん…

  …」

 「いや仏みたいな顔!」

 男子生徒のクラスで流行っているらしい、目を細めて微笑む「仏みたいな顔」を実践すると生徒の声がまた大きくなり、塾長が咳払いする。

 「大学かな」

 俺は小声で答えた。

 「なんで」

 「自由だから」

 俺も生徒も、同じタイミングで吹き出した。


 「だって、これがやってみたいことなんです!」

 授業を終えて個別ブースから出ようとしていると、塾の入り口のほうから生徒らしき女子の大きな声が聞こえた。

 「桐田さんありがとうございましたー」

 「うん お疲れー」

 俺がその声を聞いていると、男子生徒は足早にブースを去っていった。俺は恐る恐る声のする現場のほうを見た。

 「でも、先生も難しいって言ってるし…」

 「それは関係ないじゃん!」

 女子生徒の母親らしき人が、必死でなだめている。高3生なのか、進路のことで揉めているようだ。

 「うわー やってる」

 どこからともなく女子生徒・日下が現れ、そう言った。

 「知ってる子じゃないのか」

 「知らない 制服違うし」

 女子生徒はとうとうわっと声を上げて泣き出してしまった。

 「あらら 大丈夫かな」

 「すごいね てか、あんなに感情表に出せるとかうらやましいわ」

 「日下さんも表に出したい感情があるの」

 「別に」

 日下は手元にスマホを出して、下を向いた。

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