1-3
10月下旬にもなれば、夜はさすがに冷え込む。店を出てしばらくは、居酒屋特有の熱気を湛えていた体に冷たい風が心地よかったが、夜道でペダルを漕いでいるとどんどん全身が冷えていく。街灯の明かりを頼りに、居酒屋までの道を走った。
クロスバイクは高校時代から乗っていたものだった。家賃が安い分最寄り駅から少し遠いアパートに住んでいるので、大学に入った今でも乗り続けている。アパートから駅までバイクに乗り、電車で大学の駅まで向かう。駅からは、歩いたりバスに乗ったりとその日の気分によって変えながら通学している。バスは運賃がかかるが、匂いが好きだからたまに乗りたくなるのだ。
2階がスイミングスクールになっているスーパーを通り過ぎたところで、ふと電車に乗る間際の河野のことを思い出した。フラフラだったが、無事に帰れただろうか。最悪、駅員さんに叩き起こしてもらってくれ。あいつ、明日必修あるって言ってたよな。課題とかいけてんのかよ。でも、どうしても今日行きたかったんだろうな。分かんないけど。
(―――?)
俺は、何かを通り過ぎてしまった気がして、不意にペダルを漕ぐ足を止めた。クロスバイクを降り、方向転換して引き返す。知らない間に結構な距離を漕いでいたようで、駅前のほうまで来てしまっていた。
スイミングスクールまで戻ってきたところで、声をかけられた。
「さっきの子、だよね?」
その人は、俺に向かってぱっと手を上げた。その手には、俺の紺色の鍵入れが握られていた。
探していたものだった。
「もう一人の子が潰れちゃって君らが帰ってから、しばらくして私たちも帰ろっかってなったとき、席に忘れてるの見つけたんだよね。お店に預けてもよかったんだけど、鍵だったからすぐ必要かなと思って。ごめんね、勝手に中身見ちゃって」
「いえいえ。助かりました。」
その人は、相席居酒屋で同席したOLのうちの一人だった。鍵入れに挟んでいた学生証の住所を頼りに、俺の家まで届けようとしてくれていたそうだ。
「ありがとうございました。えっと、リナさん。でしたっけ」
俺が言葉に詰まると、その人は眉毛を少しへの字にさせて、首を横に振った。細いチェーンのピアスが、首筋に沿うように揺れていた。
「実はね、嘘の名前だったんです。ああいう場所行くの初めてで、ちょっと怖くて」
「なるほど。確かに。」
「君も、あんまり乗り気じゃない感じだったよね」
「え、バレてましたか。それは失礼しました…」
その人は、俺の言葉に笑った。ちょうど23時まで営業のスーパーのライトが、がこんと音を立てて消えた。
「新田志保です」
その人は、ぺこりと頭を下げて言った。
「あっ いいんですか 名前言って」
「だって、君の名前も住所も見ちゃったし」
「いやいや しがない男子大学生の情報なんで」
志保さんは、また髪を揺らして笑った。
「すいません、こんな時間まで。明日もお仕事ですよね?」
「明日は休みにしてあるから、大丈夫」
その言葉に、俺は少し安心した。
「じゃあ、おやすみなさい」
「はい。ありがとうございました。」
俺は、駅に向かって歩いていく志保さんの背中をぼんやりと眺めていた。そうするうちに、思い出したようにバイクに跨り、その背中を追いかけた。スピードを出しすぎたので、ブレーキを握ると大きな音が響いた。
「わっ びっくりした」
「すいません。ごめんなさい。
送っていきます。こんな時間なんで」
「えっ これで?」
志保さんは、俺のクロスバイクを指さして、笑っていた。
「これ良くないですか?」
思わず口をついてそんなことを言ってしまった。すると志保さんは、さらにぷっと頬を膨らました。
「うん。すっごい良い。」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます