第36話 殴ったら あなたのことを 抱きしめたい(ざまぁ回)
何度も転びながら、当てもなく走る。こんなスピードじゃ、すぐに追いつかれてしまうことくらいわかってる。それでも、この空間から逃げないと。
恐怖心から、目を瞑らずにはいられなかった。
目指すは、自分のクラスの教室。なぜか。陸夜たちのことを、少しでも思い出したかったから。陸夜たちの存在を最も感じられそうな場所だったから。
最端にある私の教室まで、ようやく手をかける。コツコツと足音が少し前まではきこえたけど、別方向だったはず。光一は来ていないにきまっている。
扉に手をかけた。あとは、中に入って気持ちを落ち着けるだけ。
引き戸を開け、ずっと閉じたままだった瞳を開けた。
「よくきたね」
────逃げられなかった。教卓の回転する椅子に跨り、楽しそうにグルグル回る光一が、いた。
「どうして、なんで……」
光一から逃げるべく、校舎に逃げ込んだのはいいものの。光一に先回りされていた。
「キミは気づけなかっただけだろう。ボクはとっくに先回りできたんだ。美麗と会う前、下駄箱に君の名前が書かれているのを見た。それでクラスがわかったという理屈さ」
座っている椅子をクルクルと回し、彼はこたえた。
私は、陸夜とイケない恋をしていた。本当なら、光一を受け入れる必要があった。それなのに、私は。
光一は立ち上がり、私の方へと歩み寄ってくる。
「何かいいたいことでも」
「異性、しかも婚約者とふたりきりの教室。健全な男子なら、こう頭によぎってもおかしくないんじゃあないかな」
最悪の事態を私は想定した。光一が私のことを────。一線を超えるようなことを、彼は求めてくるかもしれない。抵抗しても、彼がやめてくれるとは思えない。
身の危険を感じた私は、瞬時にバッグからスマホを取り出した。
今は光一から逃げることが最優先事項だ。メッセージアプリを起動して、素早くメッセージを打ち込み、送信する。
────たすけて いまクラスにいる
「美麗サン。キミに激しい要求をするつもりなんてさらさらないよ。それだけは安心してくれたまえ」
「私はあなたを信用するつもりなんてないわ」
「ひどいな。ボクはボクらしくキミに接してきただけさ。少し距離が近くて、手の甲にキスをしただけの男。問題があるようには思えないのだが」
「大問題よ。その態度、私には受け入れがたかった。それも初対面から……ずっと嫌だったんだよ」
私は、嫌悪を含んだ視線をぶつけた。
「すでにキミとボクが運命的な出会いを果たしてからしばらく経っているじゃないか。そろそろ、キスのひとつやふたつ、してくれてもいいんじゃないのかな」
一度目のキスを、不本意な形でこの男に奪われる。それだけは避けたい。
「どうしてあなたなんかと。ずっと嫌だっていっているでしょ」
「キミはボクの誘いを拒否するのかい? 婚約者であるボクの。少しずつ愛を深め合ってもいいんじゃないのかな。美麗サンが結ばれるのは、ボクだけだからね」
私は、高一の婚約者。婚約者であることは、財閥の人間としての義務だ。逆らえない運命だ。光一を愛せる日なんて、果たしてくるのだろうか。
「じゃあ、キスしてもいいかな、いいかな」
なぜか、首を縦に振ってしまう。抵抗する気力が失われている。
『間も無く、花火大会がはじまります』
「奏流の花火をみながらキスをする日が来るなんてね。ボクの思うままに、美麗はあろうと
してくれている。なんて素晴らしい日だ。今日はボクと美麗サンのためにある」
悦に浸っている。もう、口から出る言葉の全てが、私のためではなく、あいつのエゴによるものだった。私のことなんて一切考えていない。汚い感情だ。
外では、すでに花火が始まったようで、花火が咲いては散りゆく様子が耳を介して伝わる。
陸夜達は楽しめているだろうか。
肩に手を回されていく。負のエネルギーが、体を
「光一という恥じぬよう。美しく、麗しいキミという光を、一番に受けとれるようなボクでいたい。それがボクの思いだ」
目は閉じていても、顔が近づいてくることはわかる。身長が高い彼は、しゃがみこまないとキスできないようで、膝をついた。
詩人のようなことを口走って、何がしたい。高そうな香水の匂いと湿り気のある息。
本当に、これでいいのだろうか。走馬灯のように、陸夜とのことが思い出される。
陸夜とハグをした、再開を果たした日。図書室まで本気で走って、小丸に会った日。部活見学にふたりでいった日。私の我がままで、ふたりカラオケにいった日。文化祭に向けて準備を重ねてきた日々。帰り道、喋らずにタップダンスをした日。一緒に海でふざけ合ったりした日。
そして、学校で刻まれてきた全ての時間。遡って、中学のときの陸夜と私の時間。
それが、光一を受け入れた瞬間に崩れてしまいそうだと思った。色褪せることのない、かけがえのない思い出が。
光一の唇は近づきすぎている。下手したら、次の瞬間には触れてしまうかもしれない。
「美麗、どうしたんだい、いきなり顔をそらすなんて」
私は顔をそらしてしまった。私が好きなのは光一じゃない。陸夜だ。陸夜のことが好き。一方的な愛で私を丸め込もうとする光一は────最低だ。この男には、罪がある。罰しないといけない。
「……バカなの、あんた。私が誰も愛していないのにあなたを避けているとでも? 大好きで大好きで、何があっても忘れられなくて、ずっとそばにいたくて、でもときどき離れたい時もあって、ちょっとからかいたくなって、バカなことをしあっても許せて、あいつの笑顔が見たくて、嫌われたくないけど天邪鬼なこといって、心の底から大事だといえて、生まれてきて良かったと思える人で、生きてていいんだと痛感できて、いるだけで何があっても幸せでさ、波長があって」
「私にはそのくらい大事な人がいるの。それを、たった数ヶ月の付き合いで婚約者ぶって、私の嫌なことを無自覚にやり続けるような、イタすぎてキモイ奴にはもう懲り懲りなの。いい加減にして」
出せる精一杯の力を出して、私は彼の頬を叩いた。なす術もなく、彼は地面に叩きつけられた。
「美麗サン、一体何を」
「これが私にとってのあなたの気持ち。ちょっと誤解してたみたいだからさ。もうしばらく顔も見たくない。だから」
「さようなら」
私は勢いよく扉を閉めた。いいたいことを全部いえた。花火大会は台無しだけど、感情は盛大に爆発させられた。
だいぶ強く体なり頭を打っただろうから、もう追ってくることはないだろう。彼を恐れる気持ちはなくなっていた。あとは、陸夜の元に戻ってもいいかな。
階段を降りていく。
そういえば、「たすけて」とメッセージを送ってしまっていた。今、こちらに向かっているかもしれない。ひとつ下の階に降りたとき、向こうの廊下に、誰かがいるの確認した。
「美麗!!」
「陸夜!!」
ドン、と一発、力強い響き。それと同時に、私たちは抱き合っていた。
◆◆◆◆◆◆
「美麗。探したよ。どうして校舎なんかに」
今日の美麗の様子は、明らかに変だった。せっかくの夏祭りなのにわざわざひとりになろうとするなんて。
「話をつけなくちゃいけないことがあってね」
「大変だったな」
つい、美麗に抱きついてしまった。美麗の匂いで、僕は優しく包み込まれた。柔らかい肌の感触がよく伝わってくる。彼女の顔が胸部に密着する。
美麗は、綺麗だ。
「ねえ陸夜」
見上げるような体勢で美麗はいった。
「陸夜、好き」
そういうと、美麗は恥ずかしそうに視線を逸らした。美麗の頬が、赤く染まっていく。
美麗から、「好き」というセリフがきけるなんて。
純粋に、嬉しかった。
「もう一回いってくれないか? きけるときにきいておきたいんだ」
「はぁ……これだから、陸夜は」
美麗は冷たいため息をつく。
「こっちだって勇気振り絞っていってるの。なのにその反応はないでしょ。怒ってるわけじゃないけどさ……まあ、陸夜だから許せるけどね」
「悪い」
「謝らないで。この瞬間だけに、集中して。ほら、まだ花火やってるよ」
上を見あげる。
絶え間なく、花火は打ち上げられる。煌めいてから消えるまで、たった数秒。短い時間しか輝けないからこそ、美しいのだと思う。
「高校生活も、花火みたいだよな」
「早く終わるってこと?」
「何にも劣らないくらい、綺麗だってことだ」
美麗が苦笑する。つい、格好つけてしまった。
「ねえ、陸夜。少し屈んでもらっていい?」
首肯し、僕は膝を曲げた。
「屈んだけ……」
彼女の顔が急に迫ってきた。美麗の唇が、僕の唇と重なる。
美麗は「じゃあね」とだけいって走り去ってしまった。
「ファーストキス、適当に掻っ攫うなよ、あいつ」
キスの味を噛み締める余裕なんて、なかった。
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