第4話 お抱え運転手の椀台は守りたい
ふと僕は、前方を眺めた。
最後方の席にいる僕とは反対に、最前列に美麗の席はある。やはりあの頃の彼女はおらず、手にとった本を腑抜けた顔で読み進めていた。少し眺めていると、彼女はおもむろに本や机の中の荷物を詰め出してしまった。
明日翔と棚葉に、「ちょっと離脱する」といって、美麗のところにさりげなく向かう。
「美麗、荷物の支度なんかいきなりして」
自然に、自然に。そう念じても、昨日のことをついひきづってしまう。視線が四方八方にぶれている。きっと、目が泳いでいるんだろう。
「家の用事で早退。陸夜たちには関係ないことだから、早く棚葉たちのところに戻って。少しでも陸夜が私のシークレットな情報を保持していることが悟られたら終わりでしょ。にもクラスメイトいるから、考えて」
「ごめん、家の用事だな。深くは詮索しないでおく」
短い会話を交わし、すぐに明日翔たちのところへ踵を返す。ふたりと視線をどうにも合わせられない。腫れ物に触るようま態度で扱っている美麗にわざわざあのタイミングで話しかけにいったんだ。何も切り出せるはずがない。
「美麗ちゃん、変わっちゃったよね……」
さりげなく棚葉はつぶやく。棚葉は美麗の変化の深いところまで、気づいていたんだと思う。この二年間、大変だったのだろう。それだけでこの言葉を口にしたのではないと思わせぶりな表情を浮かべている。
明日翔はそれを受けてうなづく。二人も分かっている、彼女の変化に。詳しいことは知らなくても、明らかな変化に。表面上の理解ではないのだろう。
「さあ、もう授業だし、いこいこ。今日は実験の日じゃなかったっけ」
棚葉がわざとらしく会話を逸らし、授業の準備を急いだ。
「そうだったな、早くいかないとな」
美麗に何があったのか、直視しようとしないこと。それが美麗に対する正しい心遣いなのか、判断しかねた。
僕は、踊り場の窓ガラスから黒塗りの高級車が校門の前に泊まっていたるのを確認した。そしてすぐに、車に乗り込む美麗の姿を捉えた。遠くからだったが、美麗の顔が暗く不安げだったのがわかった。
「美麗……」
不安が拭えるようには思えなかった。美麗のことを考えすぎなのだろうか。互いの気持ちを確かめ合って、時間にしてまだ一日も経っていない。長い付き合いとはいえ、彼女のこと、わかってあげた上で、動けているのだろうか。
◆◆◆◆◆◆
私はもう、ふつうの女の子じゃない。笹倉美麗は、財閥の娘。
どうしてか。母が急に、どこの馬の骨ともわからないおじさんと再婚したからだ。歳の差が大きくても、相手が日本を代表する財閥のトップ級の人物だろうと。再婚して幸せになるなら、私は母さんの選択肢が正しかったと誇れたのだろう。でも、現状を見る限り、再婚は失敗だよ。
結婚相手は、笹倉グループのトップ、笹倉源蔵。笹倉グループは、日本の経済を牛耳るくらいのいわずと知れた有名グループ。
どうして、私たちと一切縁がなさそうな男と、再婚したんだろう。再婚が決まり、ここに移住してから財閥内の人間関係は最悪だった。
関わる人全て、自分の出世か地位のことしか考えていない。誰かを貶めることしか考えていない。浴びせられる毒の強い発言に、私の精神は日に日に蝕まれているのは明白だった。
転校先の私立中学では、どんなときも「なんであんな普通の子がここにいるの」といちゃもんをつけられた。
こちらの事情を一切鑑みようともせず、自分が偉い立場にある両親の権力を盾に、呑気に暮らしているような集団だった。生まれなんて、変えることができない。そんな当たり前のことを理解してもらえなかった。
そんな中でも、私を大事に扱ってくれる人がいた。
「美麗さん、今日は急用で呼び出してしまい、本当に申し訳ありませんね。せっかく登校二日目だというのに」
ハンドルを握り。ミラー越しに私を覗きながら言った男性。彼は私のお抱え運転手、
快く私を受け入れてくれた、数少ない人間だ。長年笹倉家に努めている、もうベテランの運転手。四十代であるということを聞いたことがある。年をとっていても、その内からの魅力は衰えることはなかったらしい。柔和にほほ笑む姿を見ると、いいおじさんだと思ってしまう。ダンディといった方がいいのかな。
「椀さんは悪くないんです、今日は私のせいで急用ができただけじゃないですから。そういえば、私に関わる、大事なことといわれたような」
「その通りです。まだ詳細は教えられませんが、笹倉グループとして、美麗さんの今後が問われる日になるかと」
「笹倉グループとして、ね……」
椀さんは、うーんとうなって返答に困っていた。
「そうやって肩の力が入ってしまう気持ちは分かりますが、どこへいっても美麗さんは美麗さんです。そのままの姿で本当はいいんですよ。ここの家系の方々がおかしくなってしまっただけです。大事なことを欠落させてしまっているんですよ。こんなときは、自然体でリラックスです」
いつの間にか高速道路に乗っていたらしい。延々と似たような景色ばかり流れていく。
昨日のことのせいか、胸は高まっていたけど、体は疲れていたみたいだった。また、自分を隠して過ごす学校生活を送るのが予想以上に苦痛だったみたい。
「さあ、つきましたよ美麗さん」
「それでは行きましょうか」
エンジンを切り、椀さんが先に出ていく。扉を丁寧に開け、白い手袋をはめた手をこちらに差し出す。車内で寝ていたおかげで、体はだいぶスッキリした。
「こちらへどうぞ、お嬢様」
椀さんには、こうやってお嬢様と扱われていいんだと思える。他の財閥の方には、下手下手に出ないといけないから。
「どうも、椀さん」
屋敷は二階建てで、客人をもてなすには十二分すぎる広さだ。代々の土地であるというこの屋敷。建てられたのは随分昔のようで、西洋の建物を再現しているらしい。毎年何回か手直しが加えられているため、常に屋敷は新しく変わり続けている。住んでいる人々の心の醜さは変わらないというのに。
鉄格子の門を開け、段差を上る。そして扉を開ける。少し狭い廊下が延々と続く。学校の廊下の幅はある。その先に、もう一つの扉がある。そこを開け、部屋に入る。
「美麗、今日はごくろう。学校の途中で呼び出して申し訳ないね」
「いえ、お父様のおっしゃられたことですので」
椅子に腰かけ、見下げるようにして話しかけたのが義理の父、笹倉源蔵。笹倉グループのトップであり、総資産は日本トップクラスであるといっていい。
数々の事業に取り掛かってきた実力者であり、コネではなく実力で上がってきた男。権力争いの必要性すら感じられない、絶対的権力がある。それも全て椀台が教えてくれた。これまでの登校は、彼の運転する黒塗りの自動車であり、合間合間に椀台さんが話してくれたから。
「椀台、一旦ここから出ていってもらえるかね」
「承知いたしました、源蔵様」
長い廊下への扉に手をかけ、椀台さんが退出する。
「美麗、今回の件なんのだが」
「なんでしょうか、お父様」
「実は、美麗に会わせたい人がいる」
奥の扉を開けようと、あ手伝いさんが扉に手を触れている。
「では、入ってもらおう。婚約者の雨宮グループ、
婚約者?? え、何。どういうこと。なぜ、どうして。私は陸夜と一緒になれるんじゃなかったの? 開いた口が塞がらない。重い扉が、開けられていく。
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