3
帰り道の道中、ミラさんは肩から『獲物』をぶら下げて、解体した方の肉は大きな袋に入れて持っていました。
あれからも色々と話をした私たちは、かなり仲良くなっていました。今なら彼女の事を聞いても問題ないと判断して声を掛けます。
「その爪、かなり長いですよね」
「……不気味でしょう?」
「…………」私は何も答えませんでした。
すると彼女の方から、爪を見せながら自虐的な事を話してきます。
「私はこの爪、醜くて不気味だから嫌いなの」
「なら切ってしまえばいいんじゃないですか?」
「駄目だよ、この爪がないと狩りが出来ない。妹たちに肉を食べさせられなくなっちゃう」
「……妹?」初耳です。てっきり一人きりだと思っていました。
ミラさんは頷くと、家族の事を話し続けます。
昔街の外れに住んでいた頃、ミラさんの家族は街の人に嫌われていたそうです。
虐めや嫌がらせは日常的に繰り返されて、日に日にエスカレートしていったと、そう辛そうに言いました。
そして虐めや嫌がらせは、遂に両親を殺す所まできたそうです。
獣狩り――そう呼ばれた虐めを越えた虐待は、街ぐるみで行われたそうです。
誰も助けてくれない中、両親は許しを請いながら街の人たちに殺され、家には火を焚べられたんだと。
火の熱さと街の人の狂気に満ちた目が余りにも怖くなったミラさんは、家族を置いて一人で逃げ出したそう。
そんな時、妹たちの泣き叫ぶ声が聞こえたらしいんです。
そしてミラさんが震える足を酷使しながら家に戻ると、街の人は居なくなっていた。
燃えて崩れ落ちる家の隅では今でも妹たちの泣き声が聞こえ、ミラさんは火傷を顧みずに火の中に飛び込み、何とか二人を助け出せたんだと。
「壮絶ですね……かける言葉も思いつきません」
「別に要らないよ。ただこれ以上、私たちには手出しをしないでほしい。私の望みはそれだけ」
「そうですか。……所で獣狩りとは?」
私がそう聞くと、小さくタメ息を吐いたミラさんはフードを脱ぎました。
灰色の長く美しい髪が舞うのと同時に、側面からは歪な形の角が現れました。
「……どう?」ミラさんは曇りきった表情で生気の無い笑みを零して言いました。「この角、獣みたいで醜いでしょ」
「…………」
「別に気持ち悪がっていいんだよ? コレを嫌がらなかった人なんて居ないんだし」
「…………」
「私だって気持ち悪いと思う。……こんな角、本当は切り落としたいと思うんだけど、神経が通ってるのか傷付くと痛くて――」
「何が?」
「……え?」私の返答に驚いて固まるミラさん。
私はそんなミラさんに近付くと、抱きしめながら角と頭を撫でました。
「私は旅人です。沢山の人や魔物……それこそ人ならざる者も見てきています」
だから貴女の角は気持ち悪いとも思わないし、嫌だなんて思いません――そう言いながら、痛いほど強く抱きしめました。
その時、私のブラウスが温かく濡れる感覚がありました。ミラさんの肩も小刻みに震えています。
…………。
私は何も言わず、いつまでも彼女の事を抱きしめ続けるのでした……。
暫くして落ち着きを取り戻したミラさんと私は、やっと彼女の家に戻って来ました。
屋根はありますが窓が殆ど割れていて、冷たい空気が家の中から吹き抜けてきています。
「ただいま」
ミラさんはそんな事お構い無しに、立て付けの悪い根元の腐ったドアを開けると、居間で座る二人に挨拶をしていました。
「ほら、エルシアさん。二人も貴女の事を歓迎してるみたいだよ」
そう言われて家の中に通された私は、異臭に顔をしかめました。
「……どうしたの?」平然とミラさんが聞いてきます。
「あの、いきなりで失礼ですが……最後に家の中を掃除したのっていつ頃です?」
「そう言えば掃除なんてして無かったな……」
……マジか。
しかし郷に入らずんば郷に従え……我慢しましょう。
「あ、そうだ」私は右手で左手をポンと叩きながら「家の掃除、私がしていいですか?」と、尋ねました。その間にお風呂の準備でもしておいてください――とも付け足して。
〇
エルシアさんは変わった人だ。何を考えてるのか、全く読めない。ただ分かってる事は、彼女は私たちに危害を加える悪い人じゃ無いって事だけ。
「何か捨てちゃいけない物ってあります?」台所の方からエルシアさんが大声で聞いてくる。
「私たち何も持ち物は無いから平気ですよ!」
彼女の問いに、次女のシャルが答えてくれた。しっかり者で頼りになる子だ。
もちろん三女のミュゼも頼りになる。ただあの子は甘えん坊だから、世話の焼ける所が玉に傷って感じだ。
「シャル、ミュゼ。今の内にエルシアさんに挨拶しておきなさい」
「はぁい!」「分かった!」
二人の元気な返事を聞いた私は、何だか家族が増えたみたいで嬉しい気持ちになりながら、お風呂の掃除をした。
今日くらいは奮発して、ちょっといいシャンプーと石鹸を使おう。そして可愛いくて綺麗になった二人をエルシアさんに見てもらおう――そう思いながら浴槽を磨き続けた。
お風呂を洗い終わって居間に戻ると、シャルの前にエルシアさんはテーブルを挟んで座っていた。
部屋を見渡してみると、ゴミらしき物は何も無くなっている……既に掃除は終えた様だった。
「エルシアさん、どう?」私はシャルとミュゼのフードを取って、二人の角を彼女に見せた。「私の角よりも綺麗でしょ? ミュゼなんて角がハートの形になってて――」
「ミラさん」私の話を遮ったエルシアさんは立ち上がると、エプロンを着けて台所に向かって行った。「夕飯の準備、手伝いますよ」
「う、うん……」
どうして妹たちに辛辣なんだろう?――そう思いながらも、私はエルシアさんと一緒に夕飯の支度に取り掛かるのだった。
肉の解体は私がして、エルシアさんはそれを煮込んだり焼いたりしながら、いつも以上に豪勢な料理を作り出していった。
エルシアさんが持参した果物をデザートとして出してくれるそうで、私は果物の皮を向きながらも彼女の料理の手順をメモ帳に書き連ねていった。これで今度から私も二人に美味しい物を食べさせてあげれる。
そして食事の準備が済んだ私たちは、テーブルを囲んで座ると、肉に手を出し始めるのだった。
妹たちの肉を頬張る姿に見惚れていた私は、エルシアさんが全然食べてない事に気付いた。
「エルシアさん、食べないの?」
「えぇ……お腹が空かないんです」
「……全部シャルとミュゼが食べちゃうよ?」
「…………」
エルシアさんの返答なく、目を瞑ってしまった。……街から来た訳だから疲れてるのだろう。ちょっと忍びないけど、私たちだけで肉は完食してしまう事にした。
……それにしてもエルシアさんの動きは妙だ。あった時から先の行動が読めない人だとは思っていたけど、家に戻ってきてからの彼女は一層変に感じた。
……どうして、妹たちを無視するんだろう?――そう思いながらも、私たちは肉を食べ続けるのだった。
気が付くと、私たちは本当に肉を平らげてしまっていた。……少しだけエルシアさんに残しておくつもりだったんだけど、親切心は食欲に勝てなかった様だ。
…………。
おかしいな。こんなに食べたのに、お腹がいっぱいにならない。
妹たちは満腹なのか、テーブルに突っ伏して寝てしまっている。
「……後、一匹だけなら狩ってもバレないよね?」私はフラフラと動くと、フードを被って椅子から立ち上がった。
「いけません」
「……?」
エルシアさんはそう言うと、玄関の前に立って私を外に出さない様にしてきた。彼女に出会ってから初めて感じる、真剣そのものの雰囲気だった。
でも私の空腹は既に我慢出来る域を超えている、今すぐにでも食べないと死んじゃいそうだ。
「退いてよ、エルシアさん……」
「……私は貴女を助けたい。だから退けません」
…………。
意味が分からない。
私は助けなんて無くても生きてこれた。もう暫くは何とか助け無しでも生きていける自信もある。
「……いいから、退いてよ」私はエルシアさんの腕に掴み掛かった。
「……退けません」
私が睨む様にエルシアさんを見ると、彼女は泣きそうな顔をしながら私を抱きしめてきた。そして「これ以上……堕ちないで」と、弱々しく言ってきたのだった。
やはり理解出来なかった。そして苛立ちと空腹が頭を満たしていくのを感じる。肉が……食べたい――。
そう思った時、私の腕には強い痛みが走った。
何かと思って痛みの先を確認すると、エルシアさんが私の腕を握り潰す勢いで掴んでいたのだった。
私は彼女を押し飛ばして距離を取る。まさかエルシアさんも私を殺しに来たんじゃないか……今になってその考えが頭を過った。
――ぽた、ぽたぽた。
エルシアさんはしゃがみながら腕を押さえている。歯を喰いしばって、額から沢山の汗を零しながら、まるで痛みと戦ってるかの様だった。
彼女の押さえる左腕を見てみると、そこからは大量の血が噴き出していた。肉が抉れて骨が見えている……重症どころの騒ぎじゃない。
私は慌てて駆け寄ると、着ていた衣類を破いて止血を始めようとした。
しかし彼女は私の手を払い除けて、両肩を掴んできた。
「私の怪我……しっかり見えますね?」
「何言ってるの!? そんな訳の分からない事を言ってる場合じゃ無いでしょ!」
だけど私の意見には耳も貸さず、エルシアさんは私の腕を引っ張りながら風呂場の鏡の前に連れてきた。そして鏡の前に私を立たせると「今の貴女は、どう映っていますか?」と聞いてくる。
意味の分からなさに苛立ちながら、私は自分の顔を見る……相変わらず忌々しい角と目だ。
「別に、いつも通りだけど?」
「本当にそうですか? 口には何も付いていませんか?」
口……?。そう言えば何かが歯に挟まってる気はする。
私は恐る恐る口から歯に挟まった何かを引っ張り出した。そして絶句した。
黒い服の切れ端に血がべっとりと付着していたのだ。
「なに……これ……?」突如として口の中に生肉特有の粘りや味が流れ込んで来る。
「もう一度、鏡を見てみてください」
私は恐る恐る鏡に映る自分を見た。
そこに映っていたのは、今までにも増して化け物の様になった姿の私だった。
両目は爬虫類の様に縦長な瞳孔になっていて、濁った黄緑色の瞳と黒く変色した眼球。口からは牙の様に鋭いものが生えていて、角も攻撃的で禍々しさが増していた。
そして口からは……血濡れた人の皮膚が飛び出していて、口周りには赤黒い血が付着していた。この血と皮膚は間違いなくエルシアさんの――。
「エ……エルシアさん!? 私……私はッ!」
「ミラさん!」
私はエルシアさんの呼び声を無視して、妹たちの元に急いだ。彼女が妹たちを無視し続けたのって、まさか!。
「あ……あぁ……!」私は居間に戻ると、その場で崩れ落ちた。「そんな……そんなッ!」
今まで綺麗に見えていた家の中はボロボロで、朽ちた椅子に座る二人には……ハエが集っていた。
違う……こんなの幻だ。きっとエルシアさんと妹たちが仕組んだイタズラだ。
「シャル、ミュゼ……そのイタズラは笑えないよ……」私はおぼつかない足取りで立ち上がると、ミュゼの肩を掴んだ。
「ミラさん!」
「邪魔しないでッ! 二人は生きてるんだ!」
私は後ろから掴み掛かって来るエルシアさんを振り解こうともがいた。
「逃げるなッ!」
「――ッ!」
「逃げちゃ駄目です! 現実を……二人の死を受け入れてください!」
その時、ミュゼの腕が腐り落ちて、彼女は私の足元に転げ落ちてきた。
その光景を見て気が動転した私は、泣き叫んで暴れて、エルシアさんを傷付けて……その後の事は何も覚えていない。気が付いた時にはベットの上で何も考えられずに転がっているだけだった。
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