3
次の日の朝、マリナの作った朝食を取り終えた私たちは、昼前にはこの村を出て行こうとユズと話していました。
しかし、私の嫌な予感は昨日から変わっていません。
あまりにも一人で抱える事が不安だった私は、とうとうユズに昨日の事を打ち明けるのでした。
私の話を真剣に黙って聞いたユズは、一呼吸置くと怒った様な表情を見せます。
「エルシアちゃん。どうして昨日心配した時に話してくれなかったの?」
「私の撒いた種です、それは私が摘むのが道理でしょう」私は俯きながら今にも消え入りそうな声で呟く様に言います。「ユズは……巻き込みたくなかった」
「…………」ユズの表情は更に険しくなります。
これだけ怒った表情のユズは見た事がありません。
そりゃあそうですよね。勝手な事をして、だんまりを決めたかと思ったら急に打ち明けて……私だって怒ると思います。
「私……」ユズは声を震わせながら言いました。「私、そんなに頼りない?。巻き込みたくなって言って遠ざける程、私は弱いかな?」
ユズは涙ぐみながら、手を強く握りしめていました。
「だとしたら……私は私が許せないよ」
「…………」
「一緒に旅をしてるエルシアちゃんに、心から信頼されてない程に頼りないのかと思うと……自分が情けなくて嫌になる」
「違うんですユズ、貴女の事は頼りにしてます」私は自分の事を殺しそうな勢いで悔やむユズの肩を掴みながら言いました。
「なら、どうして頼ってくれなかったの?」
「……誰かに頼って解決する問題じゃなかったからです」
「でも!――」
――ガシャァァン。
ユズが何かを言おうとした時、キッチンの近くで大きな物音が響き渡りました。
今のは食器の割れた音でしょうか?。かなりの枚数が割れた感じがしました。
というか今の、食器を落としたのとは違って、叩き付けて割った様に乱暴な音でした……まさか!。
嫌な予感がした私は、ユズを置いてキッチンの方に走り出しました。
自分の嫌な予感に外れろと念じながら走った私は、明かりの消えて薄暗く細い廊下の曲がり角の先に誰かが居る事に気付きました。
……確かあの曲がり角の先にキッチンがあった筈です。
私は頬を流れる汗を拭って生唾を呑みながら、一歩ずつ曲がり角に向かって歩き出します。
曲がり角の先からはグチャ、グチャ――と、生々しい物を潰す様な音が聞こえて来ています。
自然と呼吸が荒くなる私は、握った右手を胸に当てて恐る恐る近付きました。
すると、少し低い位置にマリナの姿が見えてきました。恐らく床に座り込んでるんだと思います。
何故かマリナを見て安心した私は、声を掛けようとして……体が凍り付きました。
「ふふ……あはははは……」
――グチャ、グチャ。
「はははは……あははははははははは!!」
――グチャ、グチャ……ビシャ。
強烈な鉄の臭いと共に聞こえていた生々しい音が、急に音を変えたと思うと……座り混むマリナの周りに液体の様な物が纏わり付いて来たのです。
暗くて見えませんが、あれは恐らく……。
「…………」私は無意識にバタフライナイフを展開して、震える手で握っていました。
「……エルシアさん?」角の向こうから声を掛けられます。
「……此処に居ますよ。何してるんです?」
私は恐怖心を押し殺しながら、なるべく明るい口調で聞き返しました。
するとスッと立ち上がったマリナは、ビチャビチャと液状の何かを踏みながら歩き、廊下のランタンに火を入れました。
明かりが点き、にこやかなマリナの顔を視認した私は……恐怖で表情が固まってしまいました。
彼女の顔や髪、首や胸にも大量の返り血がビッシリとこびり付いていたのです。
「……何か大きな物音がした気がしたんですが」私は背後にナイフを隠しながら言います。
「あぁ、それはね……」体を逸らして背後を見せたマリナは、血溜りの中に転がる肉塊を指差して言います。「彼が暴れて花瓶を落としてしまったんです」
「……彼?」私は首をかしげました。
あそこに転がるのは肉塊です。どう見たって「彼」と呼べる存在ではありません。
「そう、上手く分解出来なくて汚くなってるけど……」
何を言うのか察した私は、彼女から目を逸らしました。
「アレ、村長ですよ」
「…………………………………………」
「私、幸せになる為に村長を殺せました!」
狂気に満ちた笑みを浮かべるマリナは、俯く私の視界に入る様に体を曲げて覗き込んできます。
「村長を殺してて、私……気付いたんです」
「…………………………………………」
「……私の前に立つ奴は、皆殺しちゃえばいいって」
「マリナ……私は言った筈です。殺さずに済む方法があるのなら、それに越した事は――」
――ドスッ。
マリナが私にぶつかった時、私の腹部に鈍い衝撃が走りました。
ワンテンポ置いて激痛を感じた腹部からは、ポタポタと血が滴り落ちています。
「エルシアさんも……私の幸せを否定するんだ」
更にグッと腹部に何かが食い込んできます。
「ガハッ!」
彼女の顔に血を吐き出した私は、腹部に深々と突き刺さっていた包丁を引き抜きながら後ずさりしてナイフを構えました。
「あはははははっ!!」
笑いながら私に包丁で襲い掛かるマリナ。私は左手で腹部を押さえながらナイフで弾いて抵抗しました。
金属がぶつかって、擦れ、軋み、弾ける音が廊下中に響き渡ります。
包丁にこびり付いて、振る度に飛び散る血と、全力の刃物がぶつかって散る火花が、廊下の壁に影として映し出されます。
「マリナ!、今すぐ攻撃を止めてください!」
私は腕や足を斬られながら、それでもマリナに声を掛け続けました。
そんな時でした。マリナの横薙ぎに反応が遅れた私は、横首を斬られてしまったのです。
噴水の様に噴き出る血が、薄茶色の廊下の壁を赤く染め上げていきます。
体に力が入らなくなった私は、玄関のドアにもたれ掛かりました。
出血と予想外の痛みに、私の視界は歪み、擦れ始めていました。
私が弱ってる事に気付いたのでしょう、マリナは「あははは!、殺すっ!」と言って包丁を突き出して、突進してきました。
……いい加減に先日とは別の意味で腹が立ってきた私は、重い体に鞭を打って動くと、彼女の腕を掴んで村長宅の外に投げ飛ばしてやりました。
「はは……貴女程度に殺される私じゃ……ないですよ」
ワンピースの左半分を血で染め上げた私は、不甲斐ない事に立つ力さえ出せず、その場にへたり込んでしまいました。
「エルシアちゃん!」ユズが血相を変えて走って来るのが見えます。
「すいません……ドジ踏みました……」私は消え入りそうな声で、近寄って来たユズに体を委ねました。
「出血が酷い……早く医者に診てもらわないと」
「そう……ですね」
自分でも呼吸が浅くなってる事が分かります。息を吸う度に肺が、鼓動をする度に心臓が、悲鳴を上げたくなる程に痛いです。
ユズは速攻で荷物を回収して来ると、私の事を抱きかかえようとしました。
「さ、急いで医者に行こう!」
ユズは弱りきった私の頬を優しく撫でると「気付くのが遅くてごめんね」と、涙を零しながら言いました。
喋る力さえなくなった私は小さく首を振ると、そのままユズの腕の中で静かに瞳を閉じるのでした……。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます