第2話
朝、 彼女がさも平然と当然のように教室に入ってきた、というのは少し語弊があるかもしれない。彼女はそんな堂々とした様子で教室のドアをくぐってはいない。
彼女はそそくさと、まるで忍者のように気配を消して、なぜか申し訳なさそうなくらいに存在感を消して、素早く教室に入ってきて、そして一切音をたてずに着席した。
窓際最後列の席に、彼女は着席した。彼女の黒髪は相変わらずキラッキラに輝いていた。音も光景もうるさい教室の中で、彼女の周りだけ別次元が広がっているかのように見えた。
「主人公の席だ……」
彼女は俯いて、その長い前髪で美しい顔を隠して、ブレザーのポケットからスマホを取り出した。それを横持ちにして、何かの操作をして、やがて親指でどかどかスマホ画面を叩き始めた。
「ゲームか?」
心なしか、彼女は楽しそうに見える。表情が見えないからよくわからないけど、彼女の周りの雰囲気がふわふわしたオレンジ色のものになっているように見える。
そんな彼女の姿に注目しているのは、この教室の中で俺ただひとりだけだった。あんなに美しい容姿を誇る彼女が同じ空間にいるのに、彼女の周りの女子はもちろん、男子でさえも彼女に注目していない。学校一、いや宇宙一美しい女子高生が同じ空間にいるのに、誰も彼女のことを気にも留めていない。
そんな様子からだいたい察しがついてしまうがもちろん、彼女が男子たちの間で学校の一大美人として噂になっていたりもしない。なんなら、彼女よりも美しくない女子が、その一大美人として噂になってしまっている。
この教室内で、いや学校内で、俺だけしか彼女の美しさを知らないのだろうか。
俺は廊下側最後列の席に座って彼女の姿を観察している。いや観察というより、目の保養として、美しい絵画でも堪能するようにして彼女のことを眺めている。こうして遠目から見ても彼女は間違いなく断トツで学校一の美女なのに、なぜ誰も彼女を気にしたり話しかけたりしないのだろう。
というか、そうだ。よく考えれば、さっきから彼女に話しかけている人が一人もいない。教室にはもう八割以上のクラスメイトが集まっているのに、誰も彼女に話しかけない。女子であれば大抵、この朝の時間はテスト期間でもない限り、派閥ごとに誰かの机を囲んでおしゃべりに興じているけど、彼女はさっきからずっと独りでスマホ画面をどかどか叩いている。
「友達がいない……ぼっちか?」
なぜあの宇宙レベルの圧倒的な容姿をほしいままにしていながら友達が一人もいないのだろう。このクラスで男子からの人気ナンバーワンだと噂されているあの陽キャ女子と彼女を比べてみても、いや比べるまでもなく彼女のほうが圧倒的に美人なのに。
口角が緩んでいるように見える彼女と、その人気ナンバーワンの女子を同じ視界に収める。実は人気ナンバーワンの女子は俺の幼馴染なんだけど、今はほとんど口を聞いていない。幼馴染は今も、なんだか嘘っぽい笑顔を浮かべながら複数人相手に談笑していた。いつから俺と幼馴染は住む世界が違ってしまったんだろうな。
こうして二人を視界に収めて見比べてみると、絶世の美女である彼女のほうはダイヤモンドのような神秘的な輝きを放っているのに対して、幼馴染のほうは春の日和のように柔らかく穏やかな輝きを放っていた。
同じ輝きでも、その種類は全く違った。クラスの男子連中は、幼馴染の穏やかな輝きのほうが好みなんだろうか。いやそもそも、男子連中が彼女の存在に気付いていないだけかもしれない。なにせ俺だって昨日まで気付いていなかった。
まあ、ともかく。
色々ごちゃごちゃ考えてみたけど。
まずはなにも考えずに、俺は彼女とお近づきになってみたい。それは純粋な好奇心で、そして純粋な興味だった。
俺はまだ彼女の名前も知らない。彼女の性格だって、全く知らない。彼女はどんなものが好きなのか、そしてどんなものが嫌いなのか、趣味嗜好その他諸々を全く知らない。知っているのは、彼女が宇宙一の美人であるということのみ。
この、彼女のことを知りたいと思う気持ちが恋心なのかは知らない。恋心であってもなくても、正直どうでもいい。
ただ俺は、彼女とお近づきになってそして、その美しい姿をより近くで見ていたいというだけだ。
俺は椅子から立ち上がって、軽い足取りで彼女の席に向かった。彼女の机の前で立ち止まって、しゃがむ。彼女よりも目線が下になる。彼女はまだ俺の存在に気付いていなくて、スマホ画面に目をくぎ付けにして、画面をどかどか叩いていた。
「それ、なにやってんの? ゲーム?」
まずはとりあえず、相手が興味のありそうな話題から。
「えっ…………」
すると彼女は、怯えた子猫のように目を丸くして、前髪の間から覗ける瞳で俺を見下ろした。どかどか画面を叩いていた指も、空中で止まった。
「いや、なんか楽しそうだったから、なにやってんのかなって思って」
「あなたは、昨日の…………」
「そうだよ昨日の俺だよ」
彼女は昨日の邂逅を覚えていた。
「変態男……」
消え入りそうな細い声で、彼女は言った。
「だから俺は変態じゃない。断じて変態男なんかではない。本当に、この命に懸けても俺は絶対に変態じゃない」
一周回って逆効果なくらいに俺は否定した。これから親睦を深めていこうという相手に変態だと思われてはかなわない。
「変態じゃなかったら、何男?」
「俺は普通に普通の男だ。ただの平凡などこにでもいる男子高校生だよ」
「普通の男の子はわたしに話しかけたりしないし……」
意外と普通に会話が成立していることに驚いた。昨日あんなやり取りをしていたから、彼女とこうして会話らしい会話ができていることに、違和感のような感慨を覚える。
「そんなことはない。むしろ、こんな美人に話しかけない男のほうがよっぽど異常だね」
「やっぱり変態だ……」
「なんでそうなるんだよ」
「わたしのことを美人扱いするなんて、絶対に性癖が歪んでいるとしか思えない。それか、とんでもなくえげつない特殊性癖を持ってるか……」
「いやだからなんでそうなるんだよ。俺は普通に普通の、性癖が歪んでいたりもしない健全な男子高校生だ」
「そんなことない。あなたは歪んでる。だってわたしのことが美人にみえるはずないもん」
「な、なんなんだ? それ。美人に見えるはずないって、キミはどっからどう見ても美人にしか見えないじゃないか」
「…………………………………………といれ」
「え?」
「トイレ行ってくる!」
がたっと勢いよく椅子から立ち上がって、それから彼女は走って教室から出て行ってしまった。ぴしゃりと勢いよく教室の扉を閉めて行ってしまった。
「あれ、間違ったか……」
俺はゆっくりと立ち上がって、彼女の出て行ったドアを呆然と見つめた。さすがにあんな様子の彼女を追いかけようとはしなかった。ここで追いかけたら本物の変態になってしまう。
「おい
すると、背後から
訝しげな目つきだった。
「いや、俺は別にあの娘をいじめてるわけじゃない。ただ、仲良くなりたかっただけなんだよ」
「仲良くなりたいんだったら初っ端なからかわいいとか美しいとか言うなよ。警戒されるに決まってるだろ」
「ああ、それもそうか……」
確かに、突然見ず知らずの男からかわいいだの美しいだの言われたら、ただのナンパかあるいは危ない人だと思うのが自然だろう。初対面の人に外見を褒められて喜ぶ女の子なんていないのかもしれない。
「てかお前、女子に向かってかわいいとか恥ずかし気もなく言うようなやつじゃなかっただろ。急にどうしたんだ? 彼女欲しくなったのか? だから簡単にころっと落ちそうな陰キャ女子に目を付けたのか?」
「そういうわけじゃない。違うんだよ。あの娘はもう、恥ずかしいとかそういう段階を超越してるんだよ。恥ずかしいとか思う余地なく、あの娘のことを美人だと認めてあげないといけない衝動に駆られる。だから彼女が欲しくなったから口説いてるとかそんなよこしまな気持ちじゃない。俺は心の底から彼女のことを美しいと思っている」
「……なんか怖いな、お前。頭どうかしちゃったのか?」
訝しげな表情のまま、少し心配そうな目で俺を見る。
なぜ俺を心配する?
俺は何かおかしなことを言ったか?
「いや、俺の頭は健全健康正常だよ。おかしくなんてなってない」
「まぁ、お前がそう言うなら別にいいんだけど」
そう言うと、古泉はさっきまでの顔つきが嘘だったかのようにころっと冷静な表情に戻り、俺から離れていった。
そして、俺の中には一抹の不安が残った。
俺は本当にどうかしてしまっているのだろうか。自分では気が付かないだけで、客観的に見れば、彼女のことを美人だと豪語する俺はどうかしてしまっているのだろうか。
……いや、そんなはずがない。
彼女の美しさは絶対的に確固たる事実としてそこに存在する。あの美しさが俺の目の錯覚なわけがない。そんなことは誰にでもわかることで、俺でも秒で理解できる。
あの美しさを疑うなんて、俺はなんて愚かなのだろう。彼女を疑うなんて、それこそどうかしている。
彼女の出て行った教室の扉から、得体の知れない神秘的な光が漏れ出ているような気がした。
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