俺が根暗美少女の心をこじ開けてみせる。
ニシマ アキト
第1話
俺は昨日、天使に出会った。
いや違う。彼女は天使なんかじゃなかった。天使なんていう、天界においては下っ端な存在で彼女を喩えてはいけない。彼女は、天使なんていう小規模な存在と肩を並べるような人ではない。もっと、上位な存在でもって比喩しなければならない。
俺は昨日、女神に出会った。
いや違う。彼女は女神なんかじゃなかった。彼女は確実に女神なんかよりも圧倒的に美しい。彼女と女神が二人並んでしまったら、神話が覆ってしまう。女神よりも女神な女性が女神の隣にいたら、神話が覆ってしまう。
そもそも、あの美しさを比喩しようという、なにかに喩えて表現しようというその姿勢から間違っている。あの美しさを的確に喩えることのできる言葉など、この世には存在しないのだから。
言うなれば、そう。
俺は昨日、美の極致に出会った。
美の極致。彼女のことを的確に表現するのなら、美の極致という言葉が一番しっくりくる。彼女は美の極致そのものであった。
美の極致とはつまり極致であるから、彼女は世界で最も、いや頂点のそのまた頂点、こと美しさにおいて大気圏を突破できるほどに突き抜けて、彼女は最も美しい。
世界のあらゆる美という美をかき集めて結晶として固めたとしても、それは彼女の有する美しさの前では足元にも及ばないであろう。
それほどまでに彼女は圧倒的だった。彼女は、世界のありとあらゆる美を、ただ黙って立っているだけでねじ伏せることができるのだ。まさに無敵。彼女の前ではどんなに美しいものでも倒れ伏すしかない。彼女と同じ空間にあっては、彼女の前に倒れ伏すというのが最も美しいポーズとなってしまう。彼女と同じ空間にあって、それでもなお倒れ伏すことなく平気で立っているというのは、下水道の汚泥よりも汚らわしい行為である。
そんな彼女の存在に俺が気付いたのは、ほんの昨日のことだった。昨日。なぜ俺は今まで、彼女と同じ高校に約一年間も通っていたというのに、その彼女の美しさに気付いていなかったのだろう。俺はどこまで愚かな人間なのだろうか。
彼女は俺の目の前に突然現れた。そう、本当に突然、何の前触れもなく、それは起こった。
放課後。俺が校舎から出るために廊下を歩いていたところ、彼女はまるで最初からそこにいたかのように廊下を歩いていた。という変な表現になってしまっているのはつまり、俺は最初、彼女の存在に気付いていなかったからだ。自分の他に廊下を歩いている人物がいるということに、俺は気づいていなかった。俺の注意力が散漫だったのか、彼女の存在感が薄かったのか、今となってはわからない。彼女の存在感がどれほどなのかをはかることは、もう俺にはできない。彼女の圧倒的な美しさに気付いてしまった今の俺にはできない。
俺が彼女の存在に気付いたのは、彼女が派手にすっこけたからだった。漫画のようにばたーんと、彼女は正面から床に倒れ込んだ。背中を天に向ける体勢になった。廊下の床は滑らかで、段差や障害物のたぐいは一切なかった。
そんな彼女を見た俺は、一瞬、迷ってしまった。彼女を助けるか否かを迷ってしまった。今から考えると、俺がここで一瞬でも迷ってしまったことはとんでもなく下劣で愚劣な行いだろうと思う。俺がここで彼女を助け起こさなかったという未来が存在したかもしれないことを考えただけで、寒気がするほどおぞましい。
迷った結果俺は、彼女を助け起こすという選択をとった。この選択がどれだけ賢明であったかは言うまでもない。
「あの、大丈夫?」
俺は彼女に近づいて、身を屈めて、未だ顔面を床にくっつけたままの彼女を窺う。
「ぅぐぐ……」
彼女はうめいてから、ゆっくりと、震える腕で床をついて身体を起こした。
そこで俺は刮目した。
彼女のあまりの美しさに、俺は刮目した。目を見張った。目からウロコだった。
一瞬、俺は地球外生命体に遭遇したのかと思った。俺は彼女のことを宇宙人だろうと勘違いしそうになった。
そう、彼女はぱっと見、人間の域を超えていたのだ。
どこの星にここまで美しい生命体がいるのか、俺にはわからなかった。少なくともそこが地球ではないことは確かだ。
「あぇ、えっと、あの……」
膝を床につけたまま、彼女は赤面して何かを呟いていた。だが、俺には彼女の言葉が全く耳に入ってこなかった。
なぜなら彼女に全ての感覚を奪われていたから。
彼女のその長い黒髪、瞳、鼻、頬、唇、耳、首筋、すべてが輝いて見えた。比喩ではなく、実際に、キラキラに煌めいて見えた。
「そんなに見つめないでくださぃ……」
言って、彼女は両手で自分の顔を隠してしまった。
「なんで隠すんだよ」
「え……えっと、あの……」
「隠しちゃったらもったいないだろ」
「ぁえ…………」
「そんなに美しくてかわいくて神々しくて素晴らしくて素敵な顔を隠しちゃったら、もったいないだろ」
「…………」
「だから早くその両手をどけてくれ」
「…………………………………………………………へんたい」
「え?」
「ここに変態がいる! 変態がいる! 変態がいる! 変態がいる!」
「いや、別に俺は変態じゃ……」
すると、彼女は不格好なクラウチングスタートのように、立ち上がりながらどこかへ走って行った。すごい勢いで、さながら熊にでも遭遇したかのような鬼気迫る様子で、全力疾走していった。
彼女の姿が見えなくなったあとも、しばらく彼女の「変態がいる!」という叫び声が俺のところまで響いていた。
そんな叫び声を聞きながら、俺は屈んでいた体勢からゆっくりと立ち上がって、それから肩をすくめつつ笑った。
なぜか笑った。
このときの俺は、自分は幻覚かあるいは夢を見ているんだと思い込んでいた。だがそう思い込んでしまうのも仕方がない。なにせ、彼女はこの世の人間とは思えないほどの美しさを有していたのだから。
あれほど美しい女子高生を無意識に想像することができる自分の脳髄がおかしくて、俺は笑った。俺の脳髄にはどれほどのお花畑が広がっているのかと考えて、笑った。
だが、俺はこの後知ることになる。
本当におかしくてお花畑が広がっているのは俺の脳髄なんかではなく、あの異常なまでの美しさを有する女子高生を作り出したこの世の神さまの脳髄であることを、俺は知ることになる。
彼女は、神さまが悪ふざけで作り出したとしか思えない。いや、悪ふざけだとしても度が過ぎている。
それは、その翌日、彼女が俺のクラスの教室にさも平然と当然のように入って来たからだった。
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