5
午後四時過ぎ、美希は一人でお見舞いに来た。
勇壱が来ない時点で来る理由などきっとないのだろうに。
「こんにちわー。マコちゃん、体の方はどう?」
「頭痛以外はこれといってないわ。検査の方も良好」
「ふーん。でもマコちゃんの頭痛って長いよね。入院する前からなんでしょ?」
「まあね」
真琴はベッドから起き上がり、美希に椅子を勧めた。
「あ、ありがと」
そして、そのまま病室のドアの所まで行き、廊下を見渡してから静かに閉めた。
「今日は一人で来てくれたの?」
「うん、そうだけど。あっ、もしかして廊下に誰か隠れてると思ったの?」
「う、うん。まあ、そんなとこ」
美希が由紀子たち以外に誰か連れて来るなんて思ってはいなかった。
ただ、誰にも聞かれたくない話をこれからするのに、ドアが開いていては気が散ってしまうから閉めただけだ。
その真琴の不自然な行動を勝手に勘違いしてくれたので、助かった。
ドアを閉めた理由を聞かれたら、取り繕うための言葉はいくつか用意していたが、言わずに済んだから。
真琴は少しだけ気を引き締めて、美希を見つめた。
「ねぇ、美希。私に嘘ついてることない?」
「え? 別にないわよ。あ、やっぱり誰か一緒に来たと思ってるの? 残念ながら今日は皆用事があって来れないみたいよ」
美希は真琴の質問の意味を履き違えてそう答えた。
「そう……。ううん、そんなことは聞いてないのよ。知ってるから。皆には今日お見舞いに来ないように私から頼んだんだもん」
「え……どうして?」
「美希と二人っきりで話したかったから」
平然と言ってのけた真琴の言葉に、顔を赤らめて美希は慌てふためいた。
「ちょ……それって、どういう……ってあれ?」
しどろもどろになりながら照れている。
これも演技なのだろうか。いや、きっとそうなのだろう。
だとしたらやっぱり演劇部にでも入って女優を目指すべきだ。
「宝の持ち腐れね」
真琴は自分にだけ聞こえるような小さな声でつぶやいた。
「何? 何か言った?」
「別に」
「あ、そうそう」
美希は何か思い出したように鞄を漁り、ノートのコピーを取り出した。
「はい、これ今日の授業の分」
「毎日、悪いわね」
「気にしない、気にしない。マコちゃんのためだもん。これくらいなんてことないわよ」
あっけらかんと言い無邪気な笑顔を向けてくる美希を直視できなくなってしまった。
真琴はノートのコピーを受け取るとベッドのサイドテーブルに置いて、窓際に立って外を眺めた。
いつもと様子の違う真琴の態度に多少戸惑っていた美希だが、それでも猫をかぶり続けるその姿勢にはある意味関心すら覚えた。
美希は真琴の背中に向けて今日に出来事を一々脚色をして話しているみたいだった。
だが、真琴には聞こえていなかった。……違う、そうじゃない。聞こうとすらしていなかった。
真琴は急にクルリと向きを変え、窓にもたれかかり美希と対面した。
夢中で話していた美希もさすがに言葉を詰まらせた。
何かを感じ取ったのだろう。
いろいろ考えてはいたのだが回りくどいやり方が苦手、というより嫌いだったのでストレートに聞くことにした。
これ以上茶番を続けるのも馬鹿馬鹿しいし。
「ねぇ、美希は本当は私のこと嫌いなんでしょ? 何で無理してまで付き合おうとするの?」
「――は?」
美希は一瞬だけ表情をこわばらせたが、とぼけたような言葉を発して苦笑いをした。
「言っている意味がわからなかった?」
「っていうか、何でそんなことを言うのかわからないんだけど」
高柳グループの令嬢というだけのことはある。この程度の揺さぶりには全然動じないらしい。
「聞いたのよ。美希が私のことをそう思ってるって」
「それ、誰かが流したたちの悪い噂じゃないの? 私と付き合いたがってる人は多いからね。一番仲良くしてるマコちゃんにきっと嫉妬してるんだよ」
あくまでもしらを切るつもりなのだろう。美希はきっぱりと言った。
しかし、そんな噂が流れていないことは美希だってよく知っているはずだ。
第一、美希の演技に気づけるものなんていない(真琴を含めて三人ほど例外はあったのだが)。
「噂なんかじゃないわ。いや、むしろ噂だった方がましだったわ。だって美希のどんな悪い噂が流れたとしても私は絶対信じないもの」
「でも、今『聞いた』って言ったじゃない。誰に聞いたのよ」
それは答えに窮する質問だった。美希の心のコエを「聞いた」から知りえたことだったから。
それに答えるには、能力のことを説明しなければならない上に、きっと美希は本心を否定するために信じようとはしないだろう。
「そうね、聞いたっていうのは訂正するわ。もっと正確に言うべきだったわ。伝わったの、美希の心が私に」
「気のせいでしょ」
美希はそう言って鼻で笑った。
だが、真琴は意に介さず美希の目を見据えて続けた。
「どんなに隠しても、どんなに演技が上手くても、人の負の感情って伝わりやすいものなのよ。もう見破ってるって言ってるんだからやめたら? これ以上演技を続けてもピエロになるだけよ」
わざと皮肉っぽく唇の端を上げた。
「――!?――」
美希の顔から初めて余裕のある笑みが消え、うつむいてしまった。
ちょっと言いすぎたかなと思ったのも束の間、美希がそっと顔を上げると病室の空気が一変した。
「へぇー。まさか鈍感だと思ってた真琴なんかに見破られるとはね。驚きだわ。これでも結構気を遣ってたんだけどな」
やっと本当の美希に出会えた。知っていたことだったけど何だか別人のように感じられた。
「二重人格とかじゃないのよね?」
「わかってるんでしょう? 真琴の言うとおり、私は装っていただけよ。あなたの良い友人ってやつを」
この期に及んで何を期待していたのか、くだらない質問をしてしまったなと思った。
「何で、そんなことをしたの?」
「決まってるじゃない。真琴が嫌いだからよ」
そんなことは知っている。真琴が聞きたかったのは別のことだった。
「だったら無視すればいいじゃない。私はどこかの社長令嬢とかじゃないんだし、美希にとっては取るに足らないただのクラスメイトのはずでしょっ?」
「本当にそう思ってるの? 私の嘘を見破ったのに何もわかってないんだ。やっぱり鈍感だね」
「どういう意味よ」
「真琴のそういう不器用で天然なところ、はっきり言って大っ嫌いっ!」
美希は実にすがすがしそうに言い放った。
でも、そう言われても尚、真琴は何が不器用で天然なのかわからなかった。
美希が真琴を嫌ってる理由が勇壱に関係あることはわかっているのに。
「それだけじゃないんでしょ?」
ここまで言われたら全部言わせようと思った。今日の目的は美希の心のコエを解放することでもあったし、話を聞けばもっと何かわかることがあるかもしれないと思ったから。
「不思議だね。真琴と話してると調子狂うわ。鈍感なクセに妙に鋭いところもあるし」
「褒め言葉として受け取っておくわ」
「いいわよ別に。感心してるところだしね。……確かに私が真琴を嫌っている一番の理由は他にあるわ。それは……神田君のことよっ」
意気揚々と話していた美希の表情が段々曇っていった。それは真琴が教室で倒れた時に見たあの悔しそうな表情と重なった。
「勇壱のことが好きなの?」
美希は信じられないものでも見るように目を見開いた。
「どうして、そんなことまで知ってるの?」
「美希をよく見ていればわかるわ」
それは薫の言葉だったのだが、真琴も実際それで美希の想いに気づいたので同じ言葉を使った。
「そう……やっぱり真琴って不思議だわ。あ、一つだけ誤解のないように言っておくけど、私は真琴と神田君が親しくしてることに嫉妬してるわけじゃないからね」
「え?」
それは、どういうことだろう。
美希の思いに気づいた時から真琴は漠然とそう思っていた。
勇壱のことをよく見ていたであろう美希が、勇壱の想いに気づかないはずがない。
真琴が混乱していると、美希はいきなり話題を変えてきた。
「ねぇ、真琴はどうして神田君が女嫌いになったか知ってる?」
「はぁ?」
もうこうなってくるとわけがわからない。
いったいどうしてこんな話になったのか。
「まぁ、知らないわよね。おそらくこの学校でそのことを知ってるのは私だけよ。――同じ中学時代を過ごした、私だけ――」
「美希って付属の私立中学に通ってたんじゃないの?」
勇壱は公立の中学へ通っていたと前に聞いたことがあった。だから、同じ中学ということは、公立に通っていたことになる。
「お父様の方針なのよ。義務教育は高柳グループの影響がないところで受けろって言われたの」
「そう、だったの……」
真琴は複雑な気分だった。自分も公立の中学へ通っていたから。
住んでいる所と学区の関係で勇壱とは別々の中学だったのだ。それが少しだけ違っていたら勇壱と同じ中学だったのかと思っていたのだが、そこには美希もいたというのだ。
もし、その頃から一緒だったらきっと三人の関係も違っていたのだろうなと思った。
(運命って、不思議なものね……)
何て、ちょっと大人ぶったことを考えていたら、美希が話を戻した。
「中学の時の神田君は今とは違ったわ。人付き合いが悪いってところは同じなんだけど、女子とだって普通に話してた。そうね、ちょうど真琴と話してる時みたいにくだらない話だってしてたわ」
「それが、どうして?」
真琴が質問した途端、美希の目から光が消えたような気がした。
「……私のせいよ。私が馬鹿だったから神田君に女嫌いのトラウマを与えたの。直接ではなかったけど、間接的にね。でも、同じことだわ」
その言葉に真琴はちょっとだけ心が痛んだ。
真琴も自分が馬鹿だったせいで勇壱のことを傷つけてしまったことがあったから。
「悪いことをしたと思ってたなら謝ればよかったじゃない」
「それは無理よ。私が神田君にトラウマを与えてしまったことに気づいたのは最近だもの」
「じゃあ、今からでも」
「それはもっとできないわ。今さら謝っても神田君に苦い経験を思い出させてしまうだけよ。神田君の女子に対する拒絶反応は真琴も知っているでしょう。あなたにはそれを向けたりしないけど」
「それは、まぁ」
そこまで話すと、美希の目には再び輝きが戻ってきた。
「私はね、神田君のトラウマは誰にも簡単には取り除けないと思っていたの。それでも、自分の想いと向き合って彼しかいないと思ったから、たとえどんなに傷つけられても彼のトラウマを取り除いてあげたいと思っていたのよ。なのに真琴がそれをあっさり取り除いてしまった。その時私は悟ったわ。自分じゃダメなんだって。でも、諦める気はさらさらなかったけど」
心のコエが聞こえる真琴にも、美希の葛藤や羨望の想いは想像すらできなかった。
かける言葉が見つからない。
真琴が言い淀んでいると、美希は目を三角にして吐き出すように言った。
「私が最も許せなかったのは、真琴が神田君をその他大勢の男子と同じ扱いにすることで彼の心を傷つけて弄んでいることよっ!」
「私が勇壱を傷つけて、弄んでいる?」
そんな馬鹿なと反論しようとしたが、美希がおっかぶせるように言った。
「真琴にはそんなつもりがないことはわかってるわ。でもね、その意識していない天然なところも含めて許せないのよっ!」
「そ、そんなこと言われたって仕方ないでしょ。勇壱はただの友達だもの」
「は? ま、まだ自覚してないの?」
「何をよ」
美希はため息を一つついて言った。
「真琴は神田君のことをどう思っているの?」
「どうって、そりゃ今は大切な友達の一人だって……」
「フ……クククッ……」
美希は真琴の言葉を聞いて、ケタケタとあざ笑っていた。
「何なのよ」
「フッ……別に、やきもきしてた自分がおかしくって笑っちゃっただけよ」
美希が笑った理由はよくわからなかったが、美希が真琴を嫌ってる理由と無理してまで付き合い続けた理由は理解できた。
勇壱のトラウマを唯一取り除いてしまった真琴の動向が気になったのだろう。
美希はずっと自分がそうありたかったと思っていたようだったから。
美希にとって真琴は決して無視できる存在ではなかったのだ。
それは納得できる。
でも、さっきから一つだけ気にかかることがあった。
勇壱のことを諦めていないと言ったことが、どうしても。
美希の行動は矛盾しているように思えた。
美希が勇壱と話してるところなんてほとんど見たことがなかった。本当に勇壱のことを諦めていないのなら真琴になんか構わず、もっと勇壱と接するべきだろうに。
「美希、私にまだ嘘をつくつもり?」
「嘘って何がよ」
「本当に勇壱のことを諦めていないなら、どうしてもっと勇壱にアプローチしないの?」
真琴の言葉に美希は顔を真っ赤にして拳を震わせた。
「あなた、正気でそんなことを心配しているの? 自分だって……勇壱のことが好きなくせに!!」
言い放たれた矢のような言葉が心に突き刺さった。
茫然自失している真琴から逃げるように美希は病室を出て行った。
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