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 午後の授業は散々だった。

 屋上で放心していたせいで遅刻はしたし、先生の話なんか一つも頭に入らなかったし。

 おまけに、帰ってから気づいたのだけれど。今日の授業で使ったノートを整理してたら、五時間目と六時間目の分が真っ白だった。

 由紀子にでも写させてもらおうと思ってスマホを取った。

 が、もう夜の零時近く。

 いくら親友でもこの時間に、こんな自分勝手な理由で押しかけるのも悪いと思い、諦めてスマホをベッドの棚に置いた。

 ノートは明日学校ででも見せてもらえばいい。

 それに、こういう悶々とした精神状態で書き写しても身には付かないだろううし、それでは勉強する意味もない。

 真琴はベッドに寝転がり天井を見つめた。

 今日、藤代君と別れてからずっと考えていた。

 自分の能力について。

 何をしていてもそのことを考えずにはいられなかった。

 ただ、何となく手に入れてしまったこの能力は、簡単に人の心へ土足で踏み込んでしまう。

 勇壱の時はそのせいで傷つけてしまった。

(まあ、あれは私が馬鹿だったせいでもあるから、能力だけが原因ってわけじゃないんだけど)

 藤代君はどうだったのだろうか。

 何か自分でも気づかないような間違いをしてしまっただろうか。

 傷つけるようなことを言ってしまっただろうか。

 いや、たぶんそんなことはしていないはず。

 そう信じたい。

 藤代君が、去り際に言ってくれた言葉。そして、勇壱のことが好きだと正直に言った時の笑顔。

 あの時は気を遣ってそうしてくれたのかとも思ったけど、今こうして思い返してみるとそうじゃない。

 どれも偽物なんかじゃなかった。

 本心に気づいてもらうことで喜んでくれる人もいるのだと知った。

 この能力は使い方次第で毒にも薬にもなる。

 藤代君のことにしたって、結果的にはよかったのかもしれないけど、彼が秘密にしていた病のことまで知ってしまった。

 彼は隠していることが重荷になっていたみたいだから、ばらすことができて多少なりとも心を軽くしてあげられたのだろうが。

 でも、大多数の人は秘密なんて触れて欲しくないはずなのだ。

 真琴だってそうだ。

 藤代君のような事例は稀だと思う。

 この能力はみだりに使っていいものではない。

 やはり、なかったことにして生活していくべきなのだと真琴は思った。

 まあ、藤代君のことは聞いてしまった以上、もう無視はできないけれど。

 というより、秘密を暴露させるきっかけを作ってしまったことが負い目になっていた。

 藤代君が気にしていなくても、真琴は彼のためにできるだけ協力しようと思った。

 彼の心は、まだ本当の意味では解放されていないから。

 あけて翌日、さっそく放課後に真琴は藤代君を呼び出した。

 場所は屋上。

 今日は放課後だから昨日のようにチャイムに邪魔されることはない。

「ボクに何か用?」

 怪訝な顔をして、藤代君は警戒心丸出しだった。

 ま、昨日の今日だからそれは仕方ないと割り切った。

「私と友達にならない?」

「へ?」

 真琴の提案に、藤代君は気の抜けたような返事をした。

「だから、友達よ友達。なるの? ならないの?」

 秘密をばらした相手に呼び出されて、何があるのかと身構えていた藤代君は一気に脱力しているようだった。

「え? いや、あの……」

「秘密を知っちゃったからには、もう他人のふりなんかしたくないのよ。藤代君だって私のこと気にしちゃうでしょ?」

「…………」

 藤代君は黙ったままうつむいてしまった。

「でも、それが迷惑だって言うなら、私は金輪際藤代君には関わらないようにするわ」

「……ボクのこと変だとは思わないの?」

「何が?」

「何って、だって……ボクは男なのに本当は女だって言ったんだよっ!?」

 今にも泣き出しそうな顔を向けて藤代君は言った。

 その気持ちは痛いほどよくわかる。

 真琴自身、変な能力に振り回されているから。

 普通の人と違うということを告白して受け入れてくれる人がいたら、きっと同じ気持ちになる。

「だから、何よ。そんなこと、私たちが友達になるのに関係ないじゃない」

 藤代君の目から大粒の涙が溢れる。

「うん。……あはは、そうだよね。大崎さんの言うとおりだ」

 泣いているのか笑っているのか、よくわからないまま藤代君は真琴の傍に来て手を出した。

 真琴は差し出された手を握って言った。

「よろしくね」

「ボクの方こそよろしく」

「うん。あ、そうだわ。手始めに藤代君の名前を教えてくれない?」

「は?」

 それまでの感動はどこへやら、藤代君は変なものでも見るかのような目を向けた。

 三秒くらい前まで流していた涙も枯れている。

 何て器用な、ってそうじゃないか。

「ああ、そうよね。こういう時はまず自分から言うべきよね。私は――」

「知ってるよ。っていうかさぁ、ボクたちもう半年近くも同じ教室で勉強してるよね? 今さらそんなこと聞かないで欲しいんだけど」

「うっ……」

 それは、そのとおりだけれど。興味のない人のフルネームなんて一々覚えたりしない性格なのだ。

 十五年以上もそうやって生きてきたのだから今さら変えられるものでもない。

 真琴の決まりが悪そうな顔を見て察したのか、「仕方ないな」というようなため息を一つついてから藤代君は言った。

「ボクの名前は薫だよ、藤代薫。よろしくね、大崎真琴さん」

 薫は満面の笑みを浮かべていた。


 それから、真琴は薫と一緒に行動することが多くなっていった。

 休み時間やお昼や帰宅等、学校にいる間は常に一緒にいるといっても過言ではないくらい。

 真琴にとっては女子の友達が一人増えたくらいの感覚しかなかった。

 薫も秘密を共有している友達と一緒にいることに安心しているみたいだった。

 だから、大事なことを忘れていた。

 薫が、この学校のアイドル的存在だということを。

 それを思い出したのは翌週のことだった。

 いや、正確には思い出させてもらったのだ。美希に。

 火曜日の放課後、薫と帰ろうとしていた真琴を美希が引き留めた。

 そして、引っ張り出すようなかたちで校舎裏へ連れ出して、開口一番美希は言った。

「ねぇ、マコちゃん。藤代君と付き合ってるって本当?」

「はあ?」

 いったい、何がどうなってそう話が飛躍するのかわけがわからなかった。

「まだ、小規模だけど噂になってるのよ」

「私と、薫が?」

「そう。確かにここ最近マコちゃん四六時中藤代君と一緒にいるもんね。私とかユキちゃんとも付き合い悪いし」

 その理由は明確に説明できる。

 しかし、説明するということは他人の秘密を勝手にばらすことになる。

 美希や由紀子を信用してないわけじゃないが、やはりそれはできない。

「薫はただの友達よ」

「本当に?」

「神に誓って」

「……藤代君って誰に対しても平等に優しくて、こんな風に特定の女子と親しくなったことって今まで一度もなかったんだよ? それでもただの友達って言えるの?」

「同じこと何回も言わせないでよ」

 心底うんざりした顔を向けると、渋々納得したのか、美希は「そう」とだけつぶやいた。

 そして、美希は真琴から離れ、そのままテニスコートにでも向かうのかと思ったら振り返った。

「……どういう付き合い方してもマコちゃんの勝手だけど、私は警告したからね。どうなっても知らないからね」

 脅し文句のようなことを言って美希はいなくなった。

(どうなってもって……どういうことよ)

 何が言いたかったのか、さっぱりわからない。

 警告したって言っていたが、何を警告されたのだか。

 それよりも、最近親しい薫との関係を、何だか美希が嫉妬しているように感じられた。

(ん? いや、待って)

 真琴は美希との会話を最初から思い返す。

「あ!」

 答えはそこにあったのだ。

 「真琴と薫が付き合っているという噂が流れている」と。

 馬鹿馬鹿しくて聞き流していたけど。

 それは真琴にとって重大な問題だった。

 というか、そもそも薫と友達になる時にまず自分から懸念すべきことだったのだ。

 薫は勇壱と同じかそれ以上の人気者だ。

 いきなり親しい女子が現れたら噂になるのも当然だ。

 真琴は明日から少し目立たないような付き合いに変えようと思った。


 ――しかし、時すでに遅かったのだ。

 翌日、水曜日。噂はとても小規模と呼べるものではなくなっていた。

 噂の中心にいたのが真琴だったことも広まるのに一役買っていた。

 「神田勇壱に振られた女子」が「藤代薫と付き合っている」というのはインパクトが強すぎたのだ。

 真琴は噂話に苦い思い出があったので、黙殺するつもりでいた。

 ただし、薫がそれに同意してくれたらっていう条件が必要だった。

 一人で無視していてもあまり意味はないから。

 放課後、帰宅する道すがらその話を切り出した。

「薫は例の噂、聞いた?」

「うん。迷惑な話だよね、ボクたちのこと何も知らないクセに」

 滅多に怒ることのない薫も今回のことには怒って呆れている。

「それで、私としてはあまり騒ぎ立てたくないんだけど……」

「あ、ボクも同じ。こういうことって変に反応すれば余計に収拾つかなくなるもんね」

「それじゃ、噂は聞き流すってことでいいのね?」

「もちろん」

 薫は意外にもあっさりと真琴の意見に賛成してくれた。

 皆に弁解したがるかなと思っていただけにちょっと気が抜けた。

 ま、何にしてもこれで事態は収束していくはず。時間はかかるだろうけど。

 噂を無視することにした真琴と薫はますます二人でいる時間が多くなった。

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